スロバキア、タトラ山脈の麓より

スロバキア人の夫と2人の娘と私の生活
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LEGO展

2017-02-26 | スロバキア2017
先日、「こんなところに日本人」でお世話になったディレクターさんからメッセージが届きました。「(訪ねてくださった)モト冬樹さんと明日一緒に仕事をするので最近撮った家族の写真があれば送ってください」と。家族写真をメールで送ると翌日ディレクターさんとモトさんとのツーショット写真を送ってくださいました。取材に協力してからもう3年半ほど経ちますが、日本に帰るたびにお会いし、時々こうして連絡をとり、取材が終わったらそれで終わりではなく、まだこうして覚えていてくださることがとても嬉しいです。取材後、放送されたものを見て、こんな平凡な私たちの生活を、ありのままに、でも笑いあり、涙ありの素敵な映像にうまくまとめてくださりすごいなぁと思ったのですが、良い仕事をする方って仕事だけでなく他に色々されているんですよね、たとえばこうやって一期一会を本当に大切にされているとか。こういう方にお会いできて幸運だったなと改めて感じました。

さて、数週間前のことになりますが、LEGO展に行ってきました。理由はネルカが幼稚園で行ったのですが、展示作品を見た後に、LEGOで遊ぶコーナーがあったそうなのですが、子供たちは多いは、時間もほんの少しだけで満足行くまで遊べなかったそうでもう一度ゆっくり行きたいと。

LEGO展は私たちの住む町、ポプラドのギャラリーでありました。駅の隣にあるこのギャラリーはもとは発電所でした。なかなか趣のある建物ですよね。中に入ったのは私は初めてで、中は期待をちょっと裏切る発電所の面影は何もない普通に綺麗な空間でした。

Tatranska Garelia

写真:SITA/Rastislav Ovšonka

入場料は大人も子供も一律1ユーロ。

始めのコーナーにはLEGOのロゴの入った木製おもちゃが少し展示されていました。LEGOの歴史をご存知ですか?始めはこの会社、大工さんだったんですよね。以前ママ友に「LEGOの創設者の精神が素晴らしくて好き」と聞いたことがあったのですが、そんな歴史を調べる時間も機会もなく、今回ようやくちょっと検索し、3つほど読みました。本当にざっくり語ると始めは家と家具を作っていたそうですが、その後、木製のおもちゃ、そしてプラスチック製のブロックへと移って現在に至ります。その変化の背景にあるのは2度の火事(で木工所と倉庫を失う)と世界恐慌、それにも屈しない精神。それから50年前のLEGOと現在のLEGOが今もぴったり結合できる、これだけでも驚きですが、幼児向けのデュプロとレゴも結合できるのだそうです。我が家もデュプロとレゴ(フレンズ)両方あるのですが、まさかこの大きさの違う2種類のブロックを結合できるとは思いもしませんでした。明日早速してみたいと思います。とてもシンプルなのに奥が深いのですね。ママ友がその精神に感銘を受けていたのも納得です。

LEGO展はスロバキアLEGOファンの方たちの私物の展示で、多くはマルツェルの世代かそれより少し古いくらいのシリーズで作られた町や乗り物で、子供たちよりもマルツェルの方が夢中で見学していました。何せ高校生になって彼女とデートするお年頃になっても、デートから帰ってきてレゴで遊んでいたほどのレゴ好きだそうですから。余談になりますが、マルツェルの幼少時代はまだ共産主義、その後も貧しい時期が続いていましたから、レゴは今ではとても考えられないほど高価なものだったのだそうです。マルツェルの友人のご両親はクリスマスプレゼントにレゴをローンで購入したとか。



早く遊びたいと機嫌の悪くなり始めるネルカをなだめ、ようやくお目当てのレゴで遊べるコーナーへ到着すると、まぁとても小さな小さなコーナーでした。ブロックの数も家にある方が多いんじゃないと思うくらいの少なさ、ここで園児たちはどうやって遊んだのだろうかと思うほどでしたが、場所とブロックの種類が少し違うだけでも楽しいんでしょうね、家にもレゴあるんだからと言ったってなかなか帰ろうとせず、二人とも夢中になって遊んでいました。

4月1日までLEGO展はあるそうなのでもう一回くらい行ってもいいかもしれません。たった1ユーロですし。
ギャラリーのサイトはこちらから→Tatranska garelia Poprad

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