真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

『評伝ナンシー関―「心に一人のナンシーを」』 (横田 増生さん 2012年)

2012-09-09 | 読書-現代社会
評伝ナンシー関―「心に一人のナンシーを」
横田 増生【著】
朝日新聞出版 (2012/06/30 出版)

関女史がコラムを持っていた週刊朝日に何度かに分けて掲載された前宣伝的記事で知る。
王様は裸だ!と指摘する者だったからねぇ。

ああ、素晴らしい。
スヴァラ歯科

無名時代の売り込みの際から、ビックリハウスの高橋女史と折り合いが悪かったと知る。
ほか、知らなかった事実も色々。

「ナンシーのことなら語りたい」という感じで、著者の依頼した取材に快く応じてくれた関係者が多かったのだろう。
ナンシーが高く評価した毒蝮の公開放送の現場にも足を運び、毒蝮を捕まえて事情を説明し、「覚えているか?」と尋ねるも、あっさり否定される。

で、弟子のはぶ三太郎氏に代わって説明を受ける。
そうか、毒蝮の弟子だったのか。

それではぶだったのね。
今まで知らなかった。

ナンシー関評伝著者 熱心な読者ではなかったからこそ書けた

今も思う、ナンシーだったらどう論じただろう。没後10年『評伝 ナンシー関』

【書評】没後10年、その死を改めて悼む『評伝ナンシー関』

テレビがなんとか飼い馴(な)らそうとして、最後まで馴致(じゅんち)できなかった偉大なる魂に、合掌。

評・星野博美(ノンフィクション作家・写真家)
“短すぎた人生を俯瞰ふかんしてみると、旬だと思えば群がって使い倒す出版業界の残酷なまでの無節操が、彼女の寿命を縮めたように思えてならない。”
というのは正に本質をついた指摘。
サスガ。

「著者の無意識な男目線」だなんて言われちゃいやがんの。
けっ。

でもさ、まさに、寄ってたかって使い倒したからね。
本人はまた、期待にこたえようと、運動もせずに頑張っちゃって、心臓にはますます負担が…。

夕鶴は自分の羽根を抜いていき、スカスカになって行ったけど、ナンシーは、テレビの前からますます離れられなくなって、冠動脈には脂肪分が沈着、とか?

時代を「駆け抜けた」というと、イメージが違うよな。
高校時代は自転車通学だったらしいので疾走した場面もあっただろうが、東京で仕事を始めてからは、テレビの前に座るばかりだっただろうから、駆け抜けたではなくて、坐りづめた?

「ベトナム戦争の泥沼」は納得できるが、イラクやアフガニスタンで泥沼といっても、イメージ違う感じなのと同様?
quagmire…

閑話休題。


ナンシー関に言及した過去エントリの数々w

一応貼っとくか

消しゴムはんこの基礎知識&トリビア

横田氏の他の本も読んでみようと思った。
  ↑
これ、最高級の評価の表現のひとつ。

<関連して話変わるが>
某氏が、転入してきた某女史に、「キミ、格闘技やってたの?」と尋ねたという件:
そう言われた某女史は「ショックを受けた!」と述べていたのだが、実は、最大級の歓迎の表現だと誰が知る…。
普通なら、「スポーツやってたの?」とか、「球技かなにかを?」とか聞くところなのだが、某氏の場合はね、むにゃむにゃだからね。

なんのこっちゃ。

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