真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

工学部ヒラノ助教授の敗戦 日本のソフトウェアはなぜ敗れたのか 今野 浩【著】2012.12

2022-03-01 | 読書-エッセイ/小説etc
工学部ヒラノ助教授の敗戦―日本のソフトウェアはなぜ敗れたのか

目次
ソフトウェア科学の拠点作り
ヘルツ副学長
国際A級大学
新構想大学
天国と地獄
四人目の秘書
悪い種子
荒野の三銃士
三国同盟
非常勤講師の不明
師弟の確執
ティーチング・マシーン
物理帝国の謀略
学生担当教員
カリキュラム差し替え要求
ドーハの悲劇 ←H劇ではねぇだよ
敗因はどこに
残像
ラインの古城

工学部ヒラノ助教授の敗戦 今野浩 著
新潮社、新潮社、技術評論社ときて、シリーズ第4弾の本書から青土社へ。

「日本のソフトウェアはなぜ敗れたのか」は話がでかすぎというか、誇大表示といえよう。
新設される「国際A級大学」に招かれて(助手を経ないで)助教授ポストについたヒラノ博士は、「あの大学の運営がもっとまともに進んでいれば、こんなことにならなかったのに」という怨念がある、ということはよく理解できるが。

筑波大学(沿革)は、南面堂が大学進学するタイミングで設立されたんではなかったっけ。
南面堂自身は学部構成等から受験先の候補ではなく、縁がなかったものの、高校の同級生などが興味を示すや否や、教師(リベラル系)が全力で止めていたっけw

大学内の勢力争いに文部省がどう影響力を及ぼし、教官たちがどのように翻弄されたか等等々、ご苦労様なことだった。
結局、主導権を取らないとやるべきことができないので、まずは権力奪取、ということになるのよね。
文部省はその当時からろくなことをしてこなかったことが、改めてわかるというか。

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