ホーリーの日々

元気なの?

もう30年も前のことなんだけど、
今も心配なことがある。

当時の私は小学6年だった。
通ってた学校のクラスメートの男の子が、
ある時、家族で北朝鮮帰国することになった。
その子は日本生まれ
性格は大人しいんだけど、
意見のある時はハッキリ伝えるタイプで、
勉強もすごく出来る子。
教室の座席は私の隣でよく話した。

その子が突然、北朝鮮へ?
かなり驚いて、本人に確認してみた。
「うん、親が日本に住むより良い環境になるし、
楽しいことが待ってる!って聞いたから、
僕もついて行くことに決めた」

当時の北朝鮮は、
今ほど悪いイメージが定着してなかったからなのか、
私は「そうなんだぁ」と思う程度だった。

でも、、、
北朝鮮行くのを大反対したのが、当時のクラス担任
担任は、ご両親にも説得されたそうだが、
どうしても帰国する!という意志が強かった為、
諦めたらしい。

で、北朝鮮へ行く前日、担任が、
「鐘○江君、北朝鮮での住所を教えてくれないかな?
皆で、手紙を書くから」

すると、、、
「お教えすることは出来ない!というか、
僕達も分からないんです。
上が決めた所へ行くだけです。
住所は到着した後、
僕が手紙を必ず書きます」という返答。

私たち子供は、その言葉を聞いて、
アチラの国の怖さを初めて実感した時だ。

クラスメートが海外へ帰国するのは慣れてたのだが、
こんな経験は無かった。
どの子も自由に往来していたし、
また、私達も当たり前だと思い込んでいた。

実は、私の通ってた学校というのが、
海外からの移住がとても多い学校だった。
私のクラスだけでも、、、
アメリカを始め、カナダ、イギリス、
フランス、ブラジル、タイ、北朝鮮の7カ国。

みんな海外へ転校して行く時は、
住所を教えてくれてた。
なので、
その後の連絡も互いに取り合っていたのだが、
北朝鮮へ行く子だけは全く違った。
なんだか秘密主義というか、見えない不気味さも感じられた。

翌日、北朝鮮へ行くのをクラス全員で見送った。
その後、何の連絡も無く、音信は途絶えた。

それから1年後、、、北朝鮮大飢餓が襲った。
150万以上の人々が餓死された!とニュースを見た。

私達は心配になり、
その子の伯母宅(その子の隣家)を訪ねて、その後の消息を伺った。
そしたら、、、
「分からないのよ~!
私たちも全く連絡が取れなくて、、、
今頃、どうしてるのか、、、
ちゃんと食べてるのかしら」
と泣きながら教えて頂いた。

身内の方々が分からないんだから、
尚更、分からないわけで。

せめて食糧でも御送りして差し上げたいのだが、
住所も不明で、どうしようもなかった。

私たちは(お願いだから生き抜いて!)
と願うことしか出来なくて。

あれから30年が経った。
元気で生きてくれてるのかな?
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