<私の歩み ①>
青春の挫折からの再起をめざし鍼灸師に。
私は、旧制中学2年のとき、終戦を迎えました。
軍国少年として育てられた私の精神的混乱は激しく心の拠りどころを求めて、
キリスト教・プロテスタント教会にも「聖書」の勉強に通い、
その後カトリック教会には当時の「親友」に誘われて、「洗礼」一歩前まで行ったのです。
しかし、当時第2次世界大戦の傷跡も癒えず、社会的動乱のさなかにあり
また新たな戦火の危機もくすぶりを感じさせていました。
私は、カトリックから、一挙に「無神論」に傾き、社会運動に踏み込んで行きました。
高校卒業のとき「希望大学」の受験に失敗し、一浪して「物理学徒」として上京。
そして、皇居前での「メーデー騒擾事件」に遭遇し、学業放棄。
青春の情熱を社会革命運動に燃やして活動しましたが、挫折しました。
その後、住み込み店員などをしながら、
「医学への志」を実現することで学業復帰を図ろうと
「医学コース」への再受験に挑戦しましたが果たせず、10年近く、夢を追い続け
20くらいの職を転々とし、「意志の弱さ」から、
自暴自棄のアルコール生活に落ちてしまったのです。
結局「夢」を諦めて、生保外務の仕事をしていた母の勧めで、「セールスマン」として
転身しようと帰郷しました。
そんな中で、漢方医と鍼灸師との二人との出会いは、衝撃でした。
諦めていた「医学への夢」が現代医学とは全く異なった生命観に基づいて築かれた
鍼灸医学に触れて再燃したのです。
しかし、当時偏見の対象であったため私の友人・知人たちには猛烈に反対されました。
それでも反対を押し切り、子供を抱えた妻の同意を支えに、新たな人生の目標に挑戦しようと再び上京し、
「あんま治療所」で住み込み修行し働いて鍼灸学校への入学に備えました。
青春の挫折からの再起をめざし鍼灸師に。
私は、旧制中学2年のとき、終戦を迎えました。
軍国少年として育てられた私の精神的混乱は激しく心の拠りどころを求めて、
キリスト教・プロテスタント教会にも「聖書」の勉強に通い、
その後カトリック教会には当時の「親友」に誘われて、「洗礼」一歩前まで行ったのです。
しかし、当時第2次世界大戦の傷跡も癒えず、社会的動乱のさなかにあり
また新たな戦火の危機もくすぶりを感じさせていました。
私は、カトリックから、一挙に「無神論」に傾き、社会運動に踏み込んで行きました。
高校卒業のとき「希望大学」の受験に失敗し、一浪して「物理学徒」として上京。
そして、皇居前での「メーデー騒擾事件」に遭遇し、学業放棄。
青春の情熱を社会革命運動に燃やして活動しましたが、挫折しました。
その後、住み込み店員などをしながら、
「医学への志」を実現することで学業復帰を図ろうと
「医学コース」への再受験に挑戦しましたが果たせず、10年近く、夢を追い続け
20くらいの職を転々とし、「意志の弱さ」から、
自暴自棄のアルコール生活に落ちてしまったのです。
結局「夢」を諦めて、生保外務の仕事をしていた母の勧めで、「セールスマン」として
転身しようと帰郷しました。
そんな中で、漢方医と鍼灸師との二人との出会いは、衝撃でした。
諦めていた「医学への夢」が現代医学とは全く異なった生命観に基づいて築かれた
鍼灸医学に触れて再燃したのです。
しかし、当時偏見の対象であったため私の友人・知人たちには猛烈に反対されました。
それでも反対を押し切り、子供を抱えた妻の同意を支えに、新たな人生の目標に挑戦しようと再び上京し、
「あんま治療所」で住み込み修行し働いて鍼灸学校への入学に備えました。