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木下直之著『股間若衆;男の裸は芸術か』を読んで考えてみる

2013年12月22日 | 折々の読書
 「新股間若衆」、「股間漏洩集」をも収めている。もちろん、有名な和歌集のシャレだが、男性彫刻像の股間が日本国民の眼前に初めて出現した明治時代からの奥深い問題を扱った貴重な文献なのである。

 なぜか、駅前や公園にひっそりと佇む男性像たち。彼らを見たことがない人は、まず、いないだろう。では、なぜ、彼らはそこに立っているのか。なぜ、裸体なのか。なぜ、股間があるのかないのか、考えたことがあるでしょうか。この本を読むと、その股間に刻まれた受難の歴史を思わずにはいられなくなる。

 思えば、彼らは様々な股間スタイルを有している。それには、西洋美術を受け入れた近代以降の日本人の視線が刻まれていると言っても過言ではないのだ。

 「いったいどこから、こんな曖昧模糊とした股間表現が生まれてきたのかを知りたいと思った。そして、その持ち主が一糸まとわずなぜ駅前に立っているのか、通行人の多くはなぜ目を留めようとしないのかについても考えてみたかった」(あとがき)とあるように、この本は素朴な疑問から端を発したなかなかどうして真面目な芸術論の本なのである。

 明治以来、我々はどう西洋の美術を受け入れてきたか(受け入れられなかったか)思い返したり、裸体に対する彼我の相違に思いを致すのに格好の本かも知れない。今まで、沈黙を余儀なくされていた場所に焦点が当てられた意義は大きい。男性像をみて、ニヤニヤするだけではなく、男性としても、真剣にその意義を考えてもいいのではないか、と思う。

 さて、チェロの利点のひとつに、楽器が演奏者の身体(の前面)を覆うということが言えると思う。演奏中に限ってだが、奏者の大部分がチェロに隠されて見えなくなる。一時的に、姿形も股間も覆い隠されるということになる。これは、他の楽器にはない、特筆すべき利点と思うが、どうか(笑)。

 ■ 木下直之著『股間若衆;男の裸は芸術か』新潮社,2012年3月刊. ★★★★


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