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志村辰弥神父著『カトリックとプロテスタント - わかりやすいその分析』、2

2016-07-10 05:22:25 | プロテスタント
志村辰弥神父著『カトリックとプロテスタント - わかりやすいその分析』

◆2、革命の兆し

 こうした状況のもとに、改革の火の手があかりました。それは、ウィクリフとフスです。ウィクリフ(1384年没)は、司祭で、オックスフォード大学の教授国家主義をとなえて、国家は教会をさばく権利があると主張しました。そして、教会の唯一の首長はキリストであるから、教皇は不必要、また、人は天国か地獄のいずれかに予定されているから、修道生活や告白はいらない、聖像や聖画の崇敬は迷信だというのです。

 フス(1415年没)は、ボヘミアの出身で司祭となり、プラーグ大学の学長を勤めていました。ウィクリフの説を擁護し、討論会、説教に、その雄弁をもって多くの共鳴者を得ました。かれは、教会の悲しむべき事態について、教会とその中に働く聖職者たち、教皇職と教皇個人とを混同して、個人を攻撃せず、教会や教皇権を非難しました。かれの生活は厳正で、教会の成聖を望み、受刑に際しても、熱心に祈りつづけた姿が人々に感動を与えました。それで、プラーグ大学はかれを国民的英雄、聖人とあがめ、その祝日や記念碑を設けたほどであります。

 オッカム(1347年没)は、フランシスコ会修士で、哲学者、神学者、唯名論者です。かれは、「すべての思考の基礎になる普遍的概念はむなしい記号にすぎない、だから物事は信仰によって真と認めることができるし、理性によって反対することもできる」と主張しました。

 ルーテルは、この学派に属していたので、信仰の砦となる哲学を無用の長物と決めつけて、信仰一筋を主張したのは、当然であります。

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