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いかなる者が地獄に落ちるか

2023-10-28 18:18:03 | 天国・地獄


マキシム・プイサン神父「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』岸和田天主会教会、1925年

32.いかなる者が地獄に落ちるか

 まず、何においても暴行、誘惑をもって、部下を悪に導くに、自己の権力を乱用する者は天主より最も厳しい宣告を受け、地獄に落ちるのである。

 無宗教なる文筆家、無神論と異端とを教うる輩、信仰及び良心の麻痺せし卑り劣なる新聞雑誌の記者、似非文学者等彼等は朝夕にロと筆とをもって真理を罵り誤解と知りながら神を漬す。いつわりの本源なる悪魔の奴れいにて、救霊を防害し、キリストを侮辱するに、全力を傾ける。

 他人を軽蔑し無慈悲をなし、据傲、自尊なる者、もし侮改めずこの世を去れば憐慈なき宣告を受くるは確かである。

 我慾者、不正な富豪、この輩は賛沢な生活をなし、肉欲に耽溺し、困窮者を塵埃視してかえり見ぬ故、聖書に云える地獄に落ちし富豪と同一の道を辿り住く者である。

 貨殖汲々たる吝商者(必要以上にけちなこと)自己の霊魂、天主、永遠の生命を忘却する者は地獄を踏んでいる。良心の諌めを退ぞけ、狸せつな癖に任て、凡百の慾に惑い天主の代りに唯自己の腹を飽かせ、劣等な醜楽をもっぱらにして光陰を消費する者、世間好き、よく云えば交際場に出入りする者、遊興三味に貴重な時間を愚用する者人類の目的が全く現世で果せるように生活する者、その内情を洞察すればこれも又地獄に行く道を踏んでいるのである。

 有名無実の信者、洗礼を受けたがその行いは、未信者と異ならぬ、否、未信者にも劣る者、天主との約束を破り、朝夕の祈りを怠り、主日、祝日のミサにも与らず、寝ると起床と食うだけにて犬猫と同様の者と天主から云われても仕方あるまい人、大斎小斎、御復活の頃の告日、聖体にも拝頭せず、霊魂が無い如くに生活し、良心の注意がたびたびあっても、うわの空で大罪をもっておる者どもである。

「汝等、警戒せよ、汝等の主の来り給うは何れの時なるかを、知らざればなり。」(マテオニ十四~四十二)と不意に来りて審判し給うことを、訓戒せられても意に介せざる常識を失った処女等の如く、畏るべき聖言葉をこうむる者、

「友よ如何で婚礼の服(成聖の聖寵)を着けずして、此処に入りしそ」と云いけるに彼、黙然たりき。王遂に給仕等に云いけるは「彼乃手なげきはがみ足を縛りて之を外の闇に投げ出せ、其処には痛嘆と歯噛とあらん」(マテオニ十三の十三)。地獄の道を踏んでいる者は、偽善なる信者、又義理で無覚悟、真心なき者大罪の赦宥をこうむるため、告白をせずして聖体を拝領する者等、で漬聖(大罪をもって御聖体を拝領する)を犯すよりむしろ聖体は受けぬ方が良い。

 狡猜な心、あるいは、逆心をもって他人をそしり、自己の秘密を打ち明けるのが恥かしいとの理由にて、告解の際、大罪をかくす傲慢者、罪をかくさぬとしても、大罪を一般的に一つも残さず、痛悔せぬ者も同じく地獄の路の侶伴人である。痛悔には真実、一般、超性的と、せんぜんの決心とがなければ、罪の赦宥はない。

 次は聖寵を利用する者、真実、心の底から敵を赦さぬ者、異端者、凡ての未信者は救霊の福音を聞き、良心の観告を受けながら教理の研究もせず、口実を構え、信者となるを延期している者はすべて地獄の道を歩んでいる。




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