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8-3-7 西洋と東洋

2023-12-20 06:10:24 | 世界史

『アジア専制帝国 世界の歴史8』社会思想社、1974年
3 鄭和の南海経略
7 西洋と東洋

 鄭和の西征は七回をもって終わった。いや、大規模な海外への遠征そのものが、これを最後として、おこなわれなくなったのである。
 こののち明朝の対外政策は、ふたたび消極的となって、南海へ招諭の使者を発することもなくなった。
 それにしても鄭和が、このように七回まで南海につかわされたのは、どういう目的からであったろうか。
 建文帝のゆくえをさがすため、と説明されたこともあった。
 しかし、それだけのために、これほどの大遠征がくりかえし実行されるわけがない。
 やはり真の目的は、永楽帝が威勢を遠く海外におよぼそうとした、というところに求められよう。
 北方のモンゴルには、五たびも親征した永楽帝である。
 南海に対しても、大艦隊をもって大明の国威を発揚しようとしたに違いない。
 しかも鄭和の出使は、単なる遠征ではなかった。
 それは大規模な官営の貿易であった。
 もちろん永楽帝の代になっても、民間の貿易は厳禁されている。
 貿易は皇帝によって統制され、朝貢(ちょうこう)という形をとるものでなければならなかった。
 服属した諸国から貢物をささげると、その代償として明朝の「天子」からは賜品をあたえる。
 それは物資の交換であり、すなわち貿易であった。
 鄭和の西征にもちいた船は「西洋宝船」とか「西洋取宝船(しゅほうせん)」とか呼ばれた。
 そして、ほとんど定期的に、おなじ方面におもむいた。
 こうしたことも、鄭和の遠征が貿易を目的としていたことを物語るものといえよう。
 ところで、ここに用いられた「西洋」の語は、いま、私たちがつかっている西洋の意味ではない。
 中国人は元代の末ごろ(十四世紀なかば)から、南海の諸国を西洋と東洋とに大別していた。
 その境界は、いまのボルネオ島の北部にあるブルネイであった。
 ブルネイは「東洋の尽きるところ、西洋の起こるところ」だったわけである。
 こうした区分は、そのころの航路にもとづいたものと考えられる。
 すなわち西洋針路にそったところが西洋列国であり、東洋針路にそったところが東洋列国とよばれたのであった。
 早くから開かれたのは、西洋針路である。
 中国の南部から、海岸にそって針路を西にとり、スマトラ島をへて東に転じ、ジャワ島に達する。
 それからバリ島をへてチモール島にいたる航路と、東北をさしてボルネオ島の南岸から西岸をまわって、ブルネイにいたる航路があった。
 またスマトラ島からは、マラッカ海峡をへてインド洋にでる航路も、古くから開かれている。

 これは鄭和の艦隊がとおった航路であり、イスラムの商船が往来した道であった。
 そのころの呼びかたにしたがえば、鄭和はまさしく「西洋」におもむいたのである。
 西洋の諸国は、文化も進み、物資もゆたかであった。
 というのも、中国との間はもちろん、インドや西アジア地方との交通が古くからさかんであったためである。
 ところが東洋は、交通が不便のために開発がおくれた。
 中国からは近いといっても、まだ当時は台湾がまったくの蕃地(ばんち)である。
 中国の領土にもなっていない。その南方にはバシー海峡があって、これまた航海の難所であった。
 陸影を見ずに大海をわたることは、容易ではない。
 それはヨーロッパの歴史をみても、わかるであろう。
 大海をわたることができるようになったのは、羅針盤が用いられてから後のことである。
 そして中国では、すでに宋代から羅針盤が用いられていた。
 これによって、はじめて東洋針路が開かれる。
 あたらしい航路であった。
 東洋針路は、福建の港から澎湖(ほうこ)島、台湾をへて、ルソン島におもむく。
 そこから南下し、ミンダナオ島をへてモルッカ諸島に達するものと、スールー島をへてブルネイに達するものとがあった。
 すなわち、ブルネイが東洋の終点だったわけである。
 やがて西方からヨーロッパ人が渡来する。
 中国人は、それまでの「西洋」のかなたに、さらに大きな海洋と、強力な国のあることを知った。
 そこで、「大西洋」という呼びかたが生まれてくる。
 西洋のしめす範囲が拡大するとともに、やがて東洋も、中国から見て東方の全体をさすようになっていった。
 まず台湾が東洋にふくまれ、さらに日本もふくまれる。
 あげくの果てには「東洋」といえば、日本だけをさすようにもなってしまった。
 今日の中国で、俗に「東洋」といえば、日本のことなのである。
 私たち日本人は、東洋といえばアジア全体を、西洋といえばヨーロッパ(およびアメリカ)をさす。
 これも東西洋の変わった用い方である。




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