カトリック情報 Catholics in Japan

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秋田の聖母  1973年10月13日

2024-08-17 15:15:29 | 格言・みことば


愛する娘よ、これから私の話すことをよく聞きなさい。そしてあなたの長上に告げなさい。前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、御父は、全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。そのとき御父は、大洪水より重い、今までにない罰を下されるに違いありません。火が天から下り、その災いによって、人類の多くの人々が死ぬでしょう。善い人も悪い人と共に、司祭も信者と共に死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々をうらやむほどの苦難があるでしょう。そのとき、私たちに残る武器はロザリオと御子の残された印だけです。毎日、ロザリオの祈りを唱えて下さい。ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈って下さい。悪魔の働きが教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。私を敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者で一杯になり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。特に悪魔は、御父に捧げられた霊魂に働きかけております。沢山の霊魂が失われることが、私の悲しみです。これ以上罪が続くなら、もはや罪の許しはなくなるでしょう。

秋田の聖母  1973年10月13日



聖ヒアチント証聖者    St. Hyacinthus C.

2024-08-17 11:52:45 | 聖人伝
聖ヒアチント証聖者    St. Hyacinthus C.          記念日 8月 17日


 今熱心なカトリック教国として知られているポーランドが、初めてキリスト教に改宗したのは10世紀の終わり頃であったが、もとより始めから国民一般がよく聖教の趣旨をわきまえていた訳では決してない。その蒙を啓き信仰を深める上には、聖アダルベルトとか、本日祝う聖ヒアチント等の東奔西走して教えを説いた活躍が、あずかって大いに力があったのである。

 ヒアチントは1185年西ポーランドの有名な貴族オドロヴォンズ家に生まれ、クラカウ及びプラハの両市に於いて普通の教育を受けた後、イタリアのボローニャ市に留学して神学と聖会法とを修め、博士号を得て帰国、クラカウの司教カドルベックに同司教座聖堂の参事会員に任ぜられた。
 カドルベックが没すると、その後任司教に補せられたのはヒアチントの伯父コンスキーであった。彼は1218年教皇に敬意を表すべく遙々ローマに上ったが、その時にはヒアチント及びチェスラオという二人の甥も同伴して行ったのである。
 たまたまローマにはスペインの聖ドミニコが、その創立した新修道会の認可を得る為来ていた。コンスキー司教は彼の語る所を聞いて大いに感動し、ポーランドにも同修道士の派遣方を願った。ところが同じくドミニコ会の理想に感激共鳴したヒアチントとチェスラオは、自らその会員となり故国に於いて活動したいと申し出たから、ドミニコも大いに喜び、彼らに修練を施す事暫し、ついに聖サビナの聖堂で二人の着衣式を執行った。
 やがてポーランドに帰ったヒアチントは早速国の首都クラカウ市にドミニコ会の修道院を建て聖三位に献げ、そこを本拠として諸々を巡回説教したが、全国至る所で大歓迎を受け、多大の成果を収めることが出来た。殊に彼は祈祷と苦行に熱心で奇蹟を行う力さえ授かっていたから、衆人が彼に帰依することは一通りでなく、我も我もと馳せ集まってその教えに耳を傾けたのである。
 ヒアチントがプロシアに布教を試みるべく、友人と共にダンチッヒ市に行こうとワイクセル河の畔まで来た時であった。あたかも大雨が降った為大河の水量は増して、渦巻く濁流は見るも凄まじいばかり、しかも渡るべき橋もなければ船も見えない。ここに於いてヒアチントは暫く地上にひざまずき天を仰いで主の御扶助を祈り求めていたが、つと起ち上って水に向かい十字架の印をしたと思うと、友を促し河を渡り始めたのに、さながら地上を歩む如く少しも沈むことがなかったという。これは聖人の列聖調査記録中にも載っている名高い奇蹟である。
 ヒアチントは主要な都市に修道院を建て、そこを根城として使徒的事業に活躍した。その中に韃靼人の襲来を蒙り、数多の教会を破壊されたが、彼はこの不慮の災禍にも絶望せず、いち早く復興に着手した。
 さてヒアチントは数々の労苦を忍びながら使徒的活動を続けること30年、1257年8月3日病を得、常々特に崇敬していた聖マリア被昇天の大祝日に臨終の秘蹟を受け、この世で樹てた勲功の報酬を授かるため天国指して旅立った。享年時に70であった。

教訓

 主イエズス・キリストは御昇天の直前遺言して「すべての被造物に福音を宣べよ」と仰せられた。聖ヒアチント始め多くの宣教師が艱難労苦に甘んじて布教に努めたのは、全くこの聖言によるのである。我等も同胞の救霊をなおざりにせず、機会ある毎に主の聖教を伝えるよう心がけねばならぬ。