写真は20年以上も前のものとなりました

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

人を食った話

2013年08月10日 | 歴史・史実

 

両脚羊の話ではない。

 

戦後の首相 吉田 茂 のエピソード(Wikipedia より)である。

 

癇癪持ちの頑固者、また洒脱かつ辛辣なユーモリストとしての一面もあった

吉田 茂は、公私に渡りユニークな逸話や皮肉な名台詞を多数残している。

 

 

寺内正毅が首相に就任する際、寺内から総理秘書官就任を要請されたとき、

秘書官は務まりませんが、総理なら務まります。」と答えた。

 

ある日、会いたくなかった客人に対して居留守を使ったが、その客人にばったり

出会ってしまった際、「本人がいないと言っているのだから、それ以上確かな事はない」。

 

晩年に大勲位菊花大綬章を授与された後、養父である吉田健三の墓の前で

「(養父の)財産は使い果たしてしまったが、陛下から最高の勲章を戴いたので

許して欲しい」と詫びた。

 

昭和39年11月の宮中園遊会で、昭和天皇が「大磯はあたたかいだろうね」と

吉田に呼びかけたとき、「はい、大磯は暖かいのですが、私の懐は寒うございます。」

 

 

日米修好通商百年祭に日本の代表として訪米し、外国人記者団に質問されたとき、

元気そうなのは外見だけです。頭と根性は生まれつきよくないし、口はうまいもの

以外受け付けず、耳の方は都合の悪いことは一切聞こえません」。

 

特別の健康法とか、不老長寿の薬でも、という質問には

「はい、強いてあげれば人を食っております」とすました顔で即答した

 

 

その 吉田茂が、

サンフランシスコの講和会議で演説する予定の原稿が英語だったことに

噛み付いて、日本語、それも巻紙、毛筆に改めさせたのが、白洲次郎

長さ30m、直径10cmにもなったという。

各国のマスコミは 「吉田のトイレットペーパー」 と報道したという

 

 

その白州、マッカーサーの側近に、『貴方は本当に英語がお上手ですな』

 

とお世辞を言われたとき、『閣下の英語も、もっと練習したら上達しますよ。

 

ネイティブに言い返したのだから、これも人を食った話だ。

 

 

ゴルフ場のトイレに「洗面所のタオルを無断で持ち出さないで下さい」と

張り紙がしてあったのに持ち出そうとした、ときの総理大臣 田中角栄に、

おい、お前は日本語が読めねえのか!」と言ったという話もある。