写真は20年以上も前のものとなりました

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

古代文字?

2024年09月06日 | 随想

かなり前から興味深く拝見していて、本ブログにおいても、ざんまい(2019年5月5日)」とか「読了。(2020年8月29日)」などで参考にさせていただいたりしていた、「千夜千冊」の作者、松岡正剛氏が2024年8月12日(月)、逝去された
(故 松岡正剛氏)



あざとい書店では早速「特別コーナー」を作って遺作となったいくつもの書籍を並べていた。
いくつか興味を引いたんだが、予算の都合上、「白川静―漢字の世界観」だけを購入してきた。



千夜千冊」の987夜「漢字の世界」 白川静では、後段で「藤堂明保氏から非難が出た。」ということで、その理由が「無名の者を岩波新書に起用するとは何事か」ということだったと説明しているが、本質は白川氏の書籍の内容が藤堂氏にとっては自説とは相容れなかったから、というところであったのだろう。
とにかく、このサイトを読むだけでも結構忍耐力と知力を必要とするんだが、この調子で書籍のほうも続いていくのだから、こりゃなかなか読み進めないし、読んでいるだけでも相当に疲れる。読了は無理かもしれない、ということで早々に白旗を上げておくこととする。


ただ、藤堂・白川のお二人とも、漢字はチャイナで生まれ、日本はそれまで文字が無かったために漢字を輸入した、という路線では一致している。

しかし、だ。日本には古来、文字というものは無かったということになっているが、チャイナよりも数倍の古い歴史を有する世界最古の縄文文化とかの継承は口伝だけでできるものではなかろうし、そもそも「日本書紀」という書物が全文漢字で記載されているのは、あくまで当時のチャイナに日本の歴史をアピールするためという極めて政治的、戦略的な目的で作られたということであって、「漢字で書かれている」からという理由だけで、日本に文字が無かった、ということにはならないだろう。

たとえば、日本書紀では「一書曰(あるふみにいわく)」とか「別本云(べっぽんにいわく)」、「或本云(あるほんにいわく)」などで始まる幾つもの別伝(出雲風土記など各地の風土記とか帝記、旧辞など)からの出来事も併記されているのだが、なぜか学者先生がたはそれら全国に散らばっている神社の文献や、古くから伝わるいくつもの風土記とかも全て漢字で書かれていたに違いないという頓珍漢な先入観による前提でいらっしゃるご様子で、疑問にすら感じていない神経をお持ちのようだ・・・先入観とはかくも意固地なものかと・・・・・

日本古来の「やま」というものに「山」という漢字を充てたので、今でも「訓読み」「音読み」という読み方が使われている訳だが、同じように「読む」「書く」という日本古来の所作に「読(どく)」「書(しょ)」という漢字が充てられた訳だが、はて、何を「読」んだり、「書」いたりしていたというのだろう。
「読」んだり、「書」いたりしていたものは、何だったというのだろうか。

伊勢神宮には、約1450年前の物部尾輿自身の奉納文や、藤原鎌足藤原不比等源頼朝源義経等、99葉の本人による奉納文が保存されており、そのすべての奉納文が、日本古来の文字で奉納されている、という。

ハングルと似たのもあるようだが、これについては、7300年前(BC5300年)頃鬼界カルデラ噴火破局噴火)によって当時の南九州の縄文人がほぼ絶滅状態となり、何とか逃げ伸びた縄文人が当時は無人に近かった朝鮮半島へとたどり着いたようだ。
その人たちが韓国人の祖先の一つであれば、日本に古来からあった文字がハングルの祖先になったとしても、それは充分にあり得るだろう。
ちなみに、全国各地の神社で大切に保存されている文字を、一般の日本人は誰も読めず、韓国朝鮮人なら読めるという(伊勢神宮文庫)話もある。

鬼界カルデラ噴火に関連するエピソードとしては、世界最古のメソポタミヤ文明を築いたとされるシュメール人というのは、6500年前に突然として現れ、いまだにどこから来たのか不明らしいのだが、鬼界カルデラ噴火が7300年前ということから推察すると、逃げ伸びた縄文人だったのではないか、との説もあるようだ。
焼いた粘土板に楔型文字が残されているそうだが、焼き物といえば縄文人のお手の物だし、楔型文字なども日本各地の神社で残されているペトログリフの多くはシュメール語と同じ、というから、これは本格的に研究されたら面白い結果が期待できそうだ。



チャイナから漢字を輸入する遥か昔から使われていたと言われている日本古来の文字が 30種類以上存在している、のだとか。

神代文字とは、漢字伝来以前に古代日本で使われたとされる多様な文字・文様の総称であり、 神代(かみよ)から伝えられたとされる。それは、日本各地に数十種類存在していたとされる。

平仮名は漢字を崩したもの、カタカナは漢字の部首から取って出来たものと覚えさせられたが、平仮名の「あ」は「安」から来ていて、カタカナの「ア」は「阿」から、平仮名の「い」は「以」から出来ていて、カタカナの「イ」は「伊」から、という説明には子供心に「んなわきゃねぇだろ?」と思っていたことを思い出した。
カタカナの元とされる漢字というものを、今一度、見てみると明らかに不自然と思われるものにマルを付けてみたが、じっくり眺めてみると、どれもこれも後からつけた屁理屈にしか見えなくなってきた。