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つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

おがら

2018年08月13日 | 随想

お盆とは、正式名称を盂蘭盆会というのだそうだが、コトバンクの盂蘭盆会(うらぼんえ)の解説によれば、盂蘭盆会とは「サンスクリットのウランバーナullambana倒懸・・・逆さ吊りの刑・・・)の音訳(元の音をテキトーな漢字で置き換えたってこと・・・)で、7月15日を中心に死者のをまつる行事」ということのようであり、「インド夏安居(げあんご、夏の期間、外出せずに一所にこもって修行をすること)が終わった日、死者が受ける逆さ吊りの苦悩を払うため供養したのが起源」である、という解説になっている。

 

「ウラボン」ってのは「逆さ吊り」という意味らしいが、そもそもインドでは昔から輪廻転生の考えが基本であり、「死者の霊をまつる」という考えや行事などは、古代も今も、インドには存在しない。世界的にみても、「ご先祖様に祈る」ということ自体が不思議がられているのが実情である。祈るのは「神」に対してだけ、というのが一神教の常識らしい。子ができるのも、死ぬのも神が介在している、ということなので、少子化対策には妊活よりもお祈りをする方が効果があるらしい。(んなこたぁ、あるわきゃない。)

で、先祖を供養する風習というのは、インドではなく、盂蘭盆経という中国で都合良く創作された「お話」、つまりエセお経「偽経」が元になっているということらしいが、簡単な概要はお盆の由来という住職のブログがわかりやすい。

 

一方、古来から我が国では祖霊信仰というものが存在していて、仏教の説くお盆というのは日本古来の習俗を巧みに採り入れて、いかにも元々は仏教に由来しているんですよ、とされてきただけなのではないかと推測される。

先祖のまつり」に詳しいが、古くから日本では、人が死んだ後は、はるか遠くの西方浄土とかに旅立って去って行ってしまうというような考えではなく、生前に家族と一緒に暮らしていた家を望むことのできるような場所で、その土地や残された子孫を守ってくれている、という信仰だったので、「お盆」には、盆入りに火を炊いて先祖の霊を迎え、お盆の期間を先祖の霊とともに過ごし、盆明けに先祖の霊を送り出す、という習俗が定着していた。

 

また、我が家は長く浄土真宗だった訳だが、浄土真宗の教えというものは、よく葬儀の場とかで坊主から聞かされたものだが、死ぬときには阿弥陀さまがお迎えに来て極楽浄土に往(い)って生まれる(=往生する)し、同時に仏になるという「往生即成仏」なので、「ご冥福」を祈ってはならないらしい。ご先祖様が既に仏になっているということと、その霊をお迎えするとか送り出すということの整合性が子どもの頃からどうしても理解できなかったものだったが、何のことはない、もともと古くからあった祖霊信仰とエセ経典の盂蘭盆経の内容を無理に合体化させ、違う習俗を一緒の時期に、さも同じであるように行なっているから、いろいろと整合性のない出来事が噴出してしまっていた訳だ。

まぁ、今となっては、間違った教えに基づいているとはいうものの、長い間にいろんなことが浸透してしまってきているので、こと細かにアラ探しをしてみても何の得になるものでもない。

 

ところで、「お盆」では、ご先祖様が迷わずに家に帰ってこれるようにという目印に火を炊いて知らせる、という風習になっているそうだが、そのときにくべるのが「おがら(麻幹、麻がら)」なんだとか。お盆用のカット済みの商品も売られていたりする。

当地ではあまり見かけなかったものだが、「おがら」を使った「お招来棒」というものが、最近、スーパーやホームセンターなどでお目にかかる機会が増えた。

 

 

そもそも「おがら」というのは、ヘンプ(大麻)の茎の木質部を乾燥させたものであり、「麻幹」「麻がら」とも書く。

 

太古の昔から日本では大麻とのつきあいは切っても切れない関係にあるのだが、近年は大麻=マリファナ、という短絡的な発想しかできなくなってきており、もともとの日本の大麻は、そんなアホな使い方をしてきていないのだが、そのあたりはお盆のおがら(麻がら)と大麻・マリファナの関係などを見て確認しておいてほしい。

麻の特徴や用途、日本人との関わりの歴史などについては、麻福.netで精力的に発信されており、ここでも多く引用させてもらっているが、このブログででも、思いついた都度、大麻に隠された歴史的な偏見や謀略、陰謀などを曝け出して書き記していきたいと思う。

 

大麻の茎だけでも、その全てを活用していることが活用範囲図からも窺い知ることができるのだが、ここでは視点を少しだけずらして、「稲わら」のことをちょっとだけ見てみたいと思う。

先ほどの「お招来棒」は「おがら」でできていたが、我が家の周辺では、稲わらを束ねた先端部分に火を付けてグルグル回してた記憶がある。

いつもは「火遊びするな」と叱っていた大人たちがが、なぜか、その日だけは燃えやすい稲わらに火を付けさせ、しかもその火をつけた稲わらをグルグル回せという危ない指示があって、大いに戸惑ったものである。

その他にも、稲わらは雪に閉ざされた冬場の作業として、草履やわらじ、縄、ござ、むしろなどの材料として、それこそ捨てる部分が全く無いほどの活用がなされていた。材料となり得なかったクズも、最終的には暖房や炊飯などの燃料として活用されていた。


また、稲から米を脱穀した「もみ殻」は、「もみ殻炊飯器」の燃料として使われていたが、この「もみ殻炊飯器」は、一度、「もみ」を入れれば、炊きあがるまでほぼ自動的に火かげんを行い、手をわずらわさせないばかりか、たぶん、薪で炊いたごはんよりもおいしい出来だった。

そのあたりは、「No.1 籾殻炊き」「No.2 薪炊き」のサイトででも確認することができる。

「薪炊き」は有名な「はじめチョロチョロ中パッパ~」を守らなければならないが、「籾殻炊き」は、それらも自動的にやってくれるという嬉しさがあった。

 

事程左様に、稲わらというのは、その全ての部分を活用していた訳だが、負けず劣らず大麻もその全ての部分を活用してきたのが日本民族であった。

今は、既に何度かコメントしてきたが、栽培も使用も所持も違法となっている大麻なので、極めて限られた手段での紹介しかできないが、いずれはそれらも解禁されるだろうという楽観的な観測をしている。

おがら」・・・軽くて、しかもさわやかなかおりがする。