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つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

言い方で・・・・

2017年07月31日 | 随想

元々は、「恋する50代のつくり方: 3つのSで顔とボディと心が変わる」(著者: 近藤友子)という本の「第4章 恋する50代になるためのSpeaking Lesson」の第1節「人生は言葉でつくられている」のなかで、使われたのが端緒のようである。

 

最近(知っている限りで・・・)「疲れた」のかわりに「頑張った」って言うとちょっとだけポジティブになれる気がする・・・・、というサイトが、ジワジワと広がりつつあるようだ。

疲れた」と言わずに、「はぁ~、頑張ったぁ・・・」とか、「何もしてないのに頑張った~」とか、「あー今日も頑張ったなぁ」とか、「今日は一段と頑張った」とか、「もう頑張ったよ、パトラッシュ…」などというノリもあったり・・・、「疲れた」という言葉を「頑張った」と言い換えるだけで確かにポジティブになれたという反響が多いようである。

 

原典である上記の本を見てみると、下記の記述がある。

「なんだか最近、自分の性格が変わってきたような気がする」と。以前のようにちょっとしたことで怒ることがなくなり、私といると、なんだか気持ちが落ち着くと言うのです。 それはとても嬉しい言葉でした。特に私は何をしたわけでもなく、笑顔で「ありがとう」を言い続けただけなのです。「ありがとう」は日本語の中で一番よい言葉といわれています。一番人を幸せにする言葉です。他人だけではありません。自分自身にもとてもよい言葉なのです。逆に、一番使ってはいけない言葉は何かわかりますか? それは「疲れた」です。あなたも何気なく使っていませんか? 「疲れた」と言えば、私たちの脳はそれを聞き、その言葉通りに疲れた状態に近づけようとします。つまり、「疲れた」と言うだけで実際に疲れた身体になってしまうわけです。なんて怖いことでしょう! 自分で自分を疲れさせていたなんて! 私は、これを知ってから、「疲れた」は言わないようになりました。もし本当に疲れた状態になったら、「疲れた」の代わりに「頑張った~」と言えばいいわけです。・・・・

 

これは、言葉が心を左右する、という中村天風の哲学を踏襲しているものだ。

今こそ中村天風に学ぶ「人生を楽しむ」生き方というサイトの中に、ことばの自己暗示力実践法ことばの自己暗示は自己変革であるというページが紹介されている。一読の価値がある。

中村天風については、そのものズバリ、中村天風について(2013年6月30日)というテーマで紹介していたこともあったが、あらためて 「運命を拓く」を読み直してみた。

リンク先にある試し読みでは、カリアッパ師に巡り会う直前までの天風の略歴が紹介されているが、これはこれですさまじいものが感じられる。

その書の中では、

一言一語が自分のみでなく、すべての人々にいい影響を与えるし悪い影響も与える。だから、常に積極的な言葉を使う習慣をつくりなさい。常に善良な言葉、勇気ある言葉、お互いの気持ちを傷つけない言葉、お互いに喜びを多く与える言葉を使おう。

という件もある。言葉が持つ力というものを知り尽くしているからこその言であろう。

 

それにしても、表題となっている「恋する50代のつくり方」だが、副題が「3つのSで顔とボディと心が変わる」ということで、「スマイル(Smile)、スタイル(Style)、スピーキング(Speaking)、これらの3つのSが引き起こす脳の魔法とは?!」というサイトも起ち上がっている。ん~っ、これはこれで間違いではないし、内容はたぶんよい言葉で満載なんだろうが・・・なんちゅうか、「3つのS」とは、「スマイル(Smile)、スタイル(Style)、スピーキング(Speaking)」ですか、そうですか・・・・まぁ、ケチをつけるつもりは毛頭ないんですけど・・・。

 

個人的に「3つのS」と聞けば、すぐに思い浮かべるのは、スポーツ(sports)、スクリーン(screen)、セックス(sex)の「3S」である。超有名なアメリカ進駐軍の日本愚民化政策である。

 

日本人が物事に対して熱中しやすいというところに着目して、軍事や修行、鍛錬、勉学などではなく、娯楽に熱中するバカ共にしてしまおうと画策した訳だが、戦後70年の流れを見ると、見事なくらいに奏功している、といえるだろう。

スポーツ(sports)というのは、戦後すぐにブームを起こした読売巨人軍の野球と力道山のプロレスで代表される。みんな熱狂していて、その間に李承晩ラインで多くの漁民が拉致・虐殺されても関心すら寄せなかった。北朝鮮の拉致も同じ。そういうニュースよりもひいきの球団や選手たちの行動のほうに多くの関心があった。スポーツの振興で、結果的には日本古来の武術を衰退させる、という役割も果たした。昨今の1億総スポーツ社会なんてのは、カブレ者か白痴が考えているとしか思われまい。その流れを加速させているのが、オリンピック狂想曲である。

スクリーン(screen)という面では、当初はハリウッド映画でアメリカの価値観、白人崇拝などの普及浸透を図った(かぶれてしまったが・・・・)が、映画の衰退とともに手段をテレビに変え、芸能人的生き方こそが理想、というふうな流れを作り、そのプライバシーを暴くことがマスコミでも当たり前のメシ種になっていった。ついでに、政治もショーとしての材料として見せてから、その解説者の見方、価値観こそが正しいというふうに導いていった。歩きスマホなども一連の流れの中に位置づけされるだろう。低俗なバラエティ番組やお笑い番組、グルメ等も同類であり、「おいしい」かどうかが基準となっていて、「いただきます」が、全くでてこない。食べてるもののほとんど全ては「命」があったものだということに触れようともしない。

セックス(sex)という面では、日本テレビの11(イレブン)PMが焚きつけた。たちんぼ(街娼)などの秘めた売春行為が、電波に乗って表通りを歩くようになった。その後の射精産業の市場規模は6兆円ともウラも含めて10兆円を超えるともいわれる盛況ぶりである。ませたガキばかりが増えてきて、宮本武蔵のヒロイン「お通」の価値観が理解不能とか・・・・まぁそうなるだろうよ。

 

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