広島の原爆慰霊碑の碑文には
「安らかに眠って下さい。
過ちは繰り返しませぬから」
と、刻んである。
極東国際軍事裁判(東京裁判)で裁判そのものを批判し、
平和に対する罪(極東国際軍事裁判所条例の第五条のa)、
人道に対する罪(同第六条のc)は、1946年1月19日に発効
被告人を有罪であるとする根拠そのものがが成立しない、という
判断で、被告の全員無罪を主張していた「パール判事」だが、
1950年10月に再び来日した際、広島の原爆慰霊碑の碑文を
見て、碑に刻まれた文字を通訳から聞いた・・・
彼は耳を疑い、何度も、通訳が間違っていないか確認した。
通訳が間違っていないとわかると、顔の表情が厳しくなり、
こう言った・・・・。
この、「過ちは繰返さぬ」という 「過ち」とは
誰の行為を さしているのか?
日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。
それがどんな過ちなのか、
わたくしは疑う。
ここに祀ってあるのは 原爆犠牲者の霊であり、
その原爆を落した者は 日本人でないことは明瞭である。
落した者が責任の所在を明らかにして
「二度と再びこの過ちは犯さぬ」と いうのなら頷ずける。
この過ちが、「太平洋戦争」を意味しているというなら、
これまた日本の責任ではない。
その戦争の種は
西欧諸国が東洋侵略のために
蒔いたものであることも明瞭だ・・・
アメリカこそ開戦の責任者である。
結局、碑文の制作者であった浜井広島市長との大論争に発展した
のだった。
富山縣護國神社には
不正なる裁判の害悪は原子爆弾の被害よりも著しい
とのパール判事の碑文の石碑がある。
広島、長崎には原爆が落とされたが、昭和17年から約3年半、
ほとんど毎日、日本のどこかで空襲という無差別殺戮がアメリカ軍に
よって なされていた。
テレビで映し出される現在のパレスチナのような惨劇が、
これでもかこれでもか、という執拗さで行われていたのだ。
主な空襲被害の死者数 というサイトや、
「アメリカ軍の空襲にあった日本国内の大都市と地方都市一覧」にも
記載してあるが、少し紹介する。
(続く)