「いただきます」
20歳頃のことだが、
金沢は卯辰山のふもとの禅寺「伝燈院」に通っていたとき、
食事の作法について、少し教えに触れたことがあった。
食べ終わったあとに、その茶碗でお茶をいただく・・・
そのことにも深い意味があったのだが・・・忘れてしまった(涙)。
「いただきます」という言葉が、
野菜や動物たちの「生命」をいただくこと、食卓に並ぶまでの
いろいろな人たちの関わりへの感謝の言葉であることを教えられた
ことだけは記憶に残っている。
日本の食事の作法を確立したとされる永平寺開祖・道元が
著したとされる「赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)」では、食事の
心構えとして、食事をいただく時に「五観の偈(ごかんのげ)」を
唱えるそうであり、↓のサイトで紹介されている
http://freeport.at.webry.info/200712/article_3.html
なんと、そこには「栄養士の教科書として採用」と記載してあり、
しかも、納得できる内容である、との太鼓判の解説がある。
生きていた動植物の「生命」を、我が身の保身のために口にする
のだから、宗教が入ってくるのは、ある意味、当然かもしれないが、
教科書で採り上げられると聞くと、「栄養素」とか「カロリー」とかを
計算している栄養士の姿とは、かなり大きなギャップがあるなぁ、と
感じてしまう。
「いただきます」という言葉は、
「五観の偈」の最初に出てくるのだが、要約すると、
一 計功多少量彼來処
一つには 功の多少を計り、彼の来処を量る。
生命そのものの尊さを観じ、全てのかかわる人々の苦労と、
天地自然の恵みを併せて念じ、すべてのものに深く感謝する。
二 忖己徳行全欠応供
二つには 己が徳行の全欠と忖(はか)って供に応ず。
腹が空いているから食べるというだけでなく、
自らの行いが完全であるか、欠けているかを深く思い、
省みて、いただく。
三 防心離過貧等為宗
三つには 心を防ぎ過を離るることは貪等を宗とす。
美食に向かえば貪りの心をおこし、粗末な食膳には
怒りと不満をいい、毎日同じ食事にあえば愚痴をこぼす
そんな心のゆくえを熟視し、これらの三毒の迷いを改める。
四 正事良薬為療形枯
四つには 正に良薬を事とするは形枯を療ぜんが為なり。
薬は甘苦によって増減してはいけない。日々の食物は、
生命を支えるためにあり、美味・不味・好き嫌いの心を
離れて、いただく。
五 為成道故今受此食
五つには 成道の為の故に今此の食を受く。
食物をいただいてこの身心を支えると共に、
一切の生命に感謝し、この日々を、自他の向上と
しあわせを目指し、毎日を大切に生きていく。
禅僧の台所
~食べる前に知っておきたい " 5つ " のこと [五観の偈]
http://www.higan.net/shojin/2009/02/post-40.html
花園大学食堂にある五観の偈
そして、
食べ終われば「ごちそうさまでした」と、手を合わせる。
このような、我々の先人たちが磨き続けてきて、
戦後失いかけている このような「民族の美質」を
復元していくことが、今を生きる者に課された
重大な役割である。