作麼生(そもさん) / 説破(せっぱ)
一休さんと、しんえもんさんの掛け声で、
「なに言うてんのやろ?」と思ってたのが、「そもさん!」 「せっぱ!」
禅問答の掛け声だった。
だが、
禅語は、文字通りにとってはいけないところに、その難しさがある、と
ここ にも書いてある。むずかしいのか、ひねくれているのか・・・
脳のMRI検査をした。
結果は・・・まぁ予想どおりというか・・・
左脳で、陳旧性脳血管障害散在、だそうである。脳梗塞の痕跡である。
(図は上は前部だが、左右は鏡みたいに反対で映っているのだとか。)
陳旧性とは、炎症があった痕跡、だそうだが・・・大きさも結構あるし、
「散在」というのが予想外だった。すこし、ショックだった・・・。
脳内血管では、右脳に中大脳動脈瘤が育っていて、
これが大きくなると爆発し、クモ膜下出血を起こす危険がある。
クモ膜下出血は、
(たぶん無理だろうが・・・)助かったとしても、その発症部位によって
いろいろな後遺症が残るそうで、中大脳動脈は「片麻痺・失語」だそうである。
右に動脈瘤、左に血管障害散在、かぁ・・・さんざんだな。
ところで、作麼生・説破ではないが、
「いただきます」とは、食事を始めるときや、物をもらうときの挨拶だが、
その由来というのは、
山などの最も高い所を「頂き」というように、もともと「いただく」とは
頭上に載せるような所作のことを言うのであり、ちょうど卒業証書を
受ける動作みたいに、神仏に供えた飲食物を食べるする際も、
頭上で受けるような動作をしてからになったことから、食事の際の
挨拶として定着してきたのだという。
(http://gogen-allguide.com/i/itadakimasu.html )
生き物の「いのち」をいただくから、と言われるが、
それこそ、最上級の礼を尽くして、いただくものだろう。
その「挨拶」だが、その言葉も、
「一挨一拶(いちあいいっさつ)」といって、禅問答で相手の悟りの
深浅を試すことから、問答や返答のことばとなり、今の意味になった
のだという。
(http://gogen-allguide.com/a/aisatsu.html )
「体調が良くないそうですが、どこが悪いのですか?」
「はい、心臓と・・アタマも悪いのです・・・。」