数奇な巡り会い
チャフラフスカは、1964年の東京オリンピックで、個人総合、跳馬、平均台で金メダル、1968年メキシコ大会では、個人総合、跳馬、ゆか、段違い平行棒で金メダルを獲得するなど、金メダル7個、銀メダル4個の 計11個のメダルを獲得したが、最大のライバルと言われていたソ連の ラチニナは、1956年メルボルン大会で、個人総合、ゆか、跳馬、団体と、4個の金メダル、1960年ローマ大会では個人総合、ゆか、団体、1964年の東京大会でも、ゆか、団体と、3度のオリンピックに出場して、金メダル9個、銀メダル5個、銅メダル4個の計18個を獲得、これは、金メダル数も総メダル数も、水泳のマイケル・フェルプスが登場するまでは、史上1位の記録だった。
(因みに、日本体操界の小野喬が13個で4位、加藤沢男が12個で7位)
ライバルの存在が大きいほど、それを凌駕したインパクトは大きい。
東京大会のチャフラフスカがまさに、その記憶に残った存在であり、「1964年10月21日は女王の座が入れ替わった日だった。」(「ベラ・チャスラフスカ 最も美しく」より)
そのチャスラフスカは、メキシコ大会で、後に「メキシコの花嫁」と呼ばれたソ連のナタリア・クチンスカヤ(Natalia Kuchinskaya)と激烈な競演を演じることになる。
クチンスカヤの登場は、メキシコオリンピック前年の世界大会での優勝に始まり、オリンピック終了後も続いた。史上、最高に「モテ」た選手と言われ、毎夜毎夜、ファンたちが大挙して宿舎に押しかけて「演奏会」を続けたという。
そこは、陽気なメキシコ人たちである。陽気なクチンスカヤも、そんな応援を暖かい雰囲気で応えていたようだ。
陽気なクチンスカヤとは対照的に、政治的な弾圧を受けていたチャスラフスカは、悲壮な決意で臨んでいた。
規定種目が始まって間もなく、段違い平行棒でクチンスカヤが落下。結果的に、チャスラフスカが優勝、クチンスカヤは銅メダルで終わった。
クチンスカヤは、一時、日本で体操の指導に従事していたが、今はアメリカで暮らしている。国籍は「ウクライナ」のままだ。
Natalya Kuchinskaya Coaching in Japan 1991
『チャスラフスカ、クチンスカヤの世代が保持してきた「技」プラス「女性美」から、美という曖昧さを削いだ、技そのものを競技へと体操を移行させた』(「ベラ・チャスラフスカ 最も美しく」)のが、「白い妖精」、コマネチであった。
コマネチの登場は、「チャスラフスカ時代のエレガンス」からの「パラダイムシフト」であり、女子体操界は「コマネチ以前・コマネチ以後」に分けられる(「ベラ・チャスラフスカ 最も美しく」)と言われるが、その書の中で、クチンスカヤは、「かつての体操には心を引き込む、女性らしい優美さがあった。感傷を込めていうなら、私はその時代の体操界にいたことを幸せだと思う。」と語っている。
そのコマネチの出身地がルーマニア。1989年12月には、チャウシェスク政権下の母国からUSAに亡命した。
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1976年のオリンピックはカナダのモントリオールで開催された。
このオリンピックから、アマチュア条項が削除されたが、特筆ものは膨大な赤字を出したことであり、モントリオール市では、その後、何十年ものあいだ、返済のために税金が投入されたという。
その後、1984年開催のロサンゼルスオリンピックでは、1セントも税金を使わずに行われ、メインスタジアムも1932年に開催された大会時のものを使った。
必要な費用は、
1.テレビ放映料
2.スポンサー協賛金
3.入場料収入
4.記念グッズの売上
であり、テレビ局の都合で開催日程や教義時間が決められる、という商業主義の発端となった。
オリンピックが近づくと、TV局を始めとしたマスコミがお祭り騒ぎをするわけだ・・・。
その視聴に応えようと、TVの画質競争も峻烈となり、ハードの発展があった。内容は・・・選手をタレント化させ、チャラチャラしだした。
参考:東京オリンピック2020の収入計画
http://www.jnews.com/profit/2013/009.html
テレビ放映料とスポンサー協賛金で約6割、チケット売上が2割強となっている。
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今年は、東京-大阪を結ぶ東海道新幹線が開業して50周年となる。
1964年10月1日、東京五輪開催直前に世界初の高速鉄道として開通した「夢の超特急」は、高度経済成長に沸く日本の大動脈の役割を果たし、この半世紀で50億人超を「安全に」輸送してきた。
半世紀以上 経って、やっと北陸新幹線の一部が開業する。
http://thepage.jp/detail/20140308-00000005-wordleaf?page=2
まあ、長野新幹線が、金沢新幹線になった訳だ。
意外?長野市民は福井に行きたい? http://p.tl/G5yl
「カニをはじめ、おいしい海産物をたくさん食べたい」・・・
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1964年10月5日、東京オリンピックの開幕5日前、横田夫妻に初めての娘が生まれた。
横田滋さんは2013年10月の めぐみさんの誕生日集会で、「めぐみは東京オリンピックの開幕直前に生まれました。大きくて『金太郎さんみたいだね』って言われました。」との挨拶をしていた。
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1310050028/
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以下は、下ネタでも、オリンピックへの冒涜でもネガキャンでもない。
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あれだけの身体能力と有り余るエネルギーを有している男と女が1箇月近くも密集して暮らす場所がオリンピック村である。最高の出会いの場と言ってもいいだろう。
「汗と涙と感動で語られるオリンピックですが、それはあくまでA面の話。若い男女が集団で寝泊まりしますから、選手村ではいろんなことが起きます。お祭りムードの中で選手同士の即席カップルがポコポコ生まれ、酒も加わって"裸の延長戦"に突入する連中も多い。まあ、報じられないオリンピックB面の話ですね(笑)」(スポーツ紙記者)
「人類の祭典」である。
別に非難されるようなことではないだろう。
ただ、
だから「参加することに意義がある」、とは思いたくない。
目標は「参加」ではなく、「メダル」に向けて欲しい。