写真は20年以上も前のものとなりました

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

きみにおくらん花もがな

2014年02月19日 | うた

旅立ちの季節である。

人は、それを別れとも言う。

 

別れと言えば 昔より・・・ 惜別の歌でよく知られ、

この ひとの世の 常なるを・・・」と続く。 ・・・・certainly !

 

 

たくさんの歌手がカバーしている「惜別の歌」だが、

とりあえず、ここでは 徳久広司 を紹介しておきたい。

 

歌の で出しは、

遠き別れに 耐えかねて  この高楼(たかどの)に のぼるかな

 悲しむなかれ 我が友よ  旅の衣を ととのえよ

 

高楼とは、荒城の月 「春 高楼の花の月・・・」と同じく

高い楼閣、つまり、お城のこと。

 

2番目が

別れといえば 昔より  この人の 世の常なるを

 流るる水を 眺むれば  努(ゆめ)はずかしき 涙かな

 

「努」の部分は、よく「夢」と書き表わされるのだが、藤村の元の詩は

全編が「かな表記」なので、意図した漢字は推し量るしかないが、

夢見る意味よりは、「ゆめしらず」とかの「努」のほうを

充てておくほうが意味としては良いだろう、との説をとりたい。

 

3番目が

君がさやけき 目の色も  君紅の唇も

 君がみどりの黒髪も  またいつか見んこの別れ

 

黒髪が「みどり」というのは・・ここ でも見ときっ!!

 

レコード化されているのはここまでだが、本来は4番目もある。

 

君の行くべき やまかわは 落つる涙に 見えわかず

 袖のしぐれの 冬の日に 君に贈らん 花もがな

 

「袖のしぐれ」とは、袖に落ちる涙を時雨(しぐれ)にたとえた語であり、

時雨なので「冬の日」となっているが、「春時雨」と呼ばれる雨も

れっきとした季語としてあるので、春の季節に歌うことがあれば、

ここを「春の日」と代えても、意味としては特に問題ない。

 

誰が涙を流しているかというと、旅立つほうではなく、見送るほう。

それが、人の世の常。

 

「もがな」は、あればいいなあという意味であり、芭蕉の句に、

  春風に吹き出し笑う花もがな

  (春風が吹く春まっさかりの日にはパッと咲く花があればいいのになぁ)

が ある。芭蕉24歳のときの句だという。

 

 

 

「惜別の歌」は、もともとが、島崎藤村の詩集若菜集の中の、

「高楼(たかどの)」と名付けられた、遠くに嫁ぐ姉と、見送る妹の

やりとりをうたった8編の詩の、「あね」の部分を「」に変えて、

特攻兵として戦地に向かう友人との別れを惜しむ意味を持たせた

内容に改編したものであり、そのあたりの経緯については、

惜別の歌」と「高楼 でも紹介されているように、関係者が

友好的に盛り上げてたようだが、原作者が生きていれば

間違いなく咎められたのではないか、という感じが拭えない。

 

 

「惜別」というくらいの歌だから、

朗々と歌えばいいのか、切々と歌えばいいのか、淡々と歌えばいいのか、

その別れの場の雰囲気に応じて歌い分けようと思いつつ、結局は、

一度も、そんな場を作り得なかった・・・。

 

いや、披露する場と機会は幾度となくあったのだが、

あるときは感極まりそうだったり、おちょくる雰囲気だったり、

自分が去るときは、精一杯のやせ我慢であったり・・・

 

記憶にあるのは、学生時代に友人とともに朗々と歌っただけ、

だと思う・・・。

 

今どきの酒席での歌と言えば「カラオケ」だし・・・。

 

もとの詩集若菜集には、

  「まだ あげそめし 前髪の 林檎のもとに見えしとき・・・」

で知られる 「初恋」も納められている。

 

 

しなの鉄道小諸駅の裏手に小諸市立小諸義塾記念館があり、

記念館の右手に「惜別の歌」の歌碑があり、ボタンを押せば

歌が流れてくるようになっているそうだ。

 

 

 

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http://togetter.com/li/629685