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つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

犀の角(続)

2014年07月20日 | 書・ことば

ただ独り・・・歩め

 

中村 元(はじめ)は、漢文に翻訳された経典主流だった(というか、それしか無かった)日本の仏教界にあって、初めて インド古代の原始仏典を現代の日本語に翻訳した。この功績は非常に大きい。

実は、江戸時代中期に、大坂で醤油醸造業・漬物商の三男坊として生まれた富永仲基(とみながなかもと)が、それまで日本に伝わっていた仏教の経典のことごとくは、釈迦の説いた内容のものでなく、後世の僧たちが勝手に作った創作、いわゆる「偽経」である、と指摘していた。

日本の長い仏教界の歴史において、この指摘は富永が最初だという。

 

 

その後、この大乗非仏説は、江戸時代から仏教関係者の間では常識になり、今日では、一般の僧侶なども含めて、仏教家でこのことを認めない人はいない、という。

知らないのは一般の檀家の者たちだけ。知ってもらってはたいへん困ることなのだ。(般若心経は偽経」「仏教の経典は誰の説法か・・・など)

富永の指摘は、仏教界から激しいバッシングに遭い、天才の例にもれなく32歳で世を去っている。

そんな短い存命中にあって、「後発の学説は、先発の学説よりもより古い時代に起源を求める」という加上(かじょう)の理論や、「インドは空想的・神秘的、中国は修辞的・誇張化、日本は隠す」

という「思想面」で現れる文化人類学的発想の先取りとも言われる民族性の「くせ」を指摘するなど、ニーチェにも匹敵する思想家とも言われるそうだ。

ただ、日本の「隠す」という点について、少しだけ注釈すると、古来、日本では言霊の考え方のせいで、名前を呼ぶにも、軽々しく「本名」を呼ぶことはせず、古来から、官位や役職、出身地で相手を呼び合う、という習慣が今でも残っている。(家族では最も幼い者の視点での関係でお互いを呼び合う。)

 

言霊信仰では、「声」に出した言葉が現実の事象に影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされたのである。

今でも、「縁起でも無いことを言うとバチがあたる・・・」とか、「南無ナントカ・・・・」と 声に出して唱えれば救われるとか、れっきとして生き続けている。

 原始仏典の現代語訳だが、極力、原文に忠実に訳そうとしてことが裏目に出ているとの

指摘もある。冗長になる、というものである。

だが、冗長になるだけならまだいい。

【ブッダのことば】スッタニパータ(中村 元訳) の<犀の角>の最初の句、

  あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、

  あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、

  また子を欲するなかれ。いわんや朋友をや。

  犀の角のように ただ独り歩め。

 

最初の2行は、なんとなくわかるが、他の2行は「?」。

 

岩波文庫版「スッタニパータ」では、3行目が

 

   また子女を欲するなかれ。いわんや朋友をや。

 

と、「子」が「子女」となっている。

 

 

 

 

他のサイトでも、「子女」を採っているものが結構ある。(ここ とか、ここ とか、ここ とか・・・)

「子女」とは、「1. 子供の総称」 「2. 女子・娘」の意味、とweblio にある。欲情をおこすな、ということなのか?

ましてや、「友」を求めるな、ということは ホモだちのことか?

などと、まぁ、要らぬ空想まで催してしまったのだが、・・・・「ひょっとして、和訳では表現できないのでは?」と考えてみるようになった。

 ところで、

テーラワーダ仏教 thera vâda長老の教え)という、釈迦の時代から、ほぼ完全に近い形で残されたパーリ語の経典に基づいて、受け継がれてきた初期仏教の教えがある。(中国や朝鮮半島を経由してきた「北伝の仏教」ではなく、スリランカ・タイ・ミャンマーなどで継承されている「南伝の仏教」)

その普及を目的に、1994年に「日本テーラワーダ仏教協会」が設立されている。

1994年と言えば松本サリン事件の起きた年であり、翌年には地下鉄サリン事件も起きているので、すわ、新興宗教団体か?などと、ある意味、注目されたようだが、釈迦の「元の教え」に最も近い仏教を伝える宗教法人 のことである。

その協会の普及委員会のサイトで、スリランカ出身の長老アルボムッレ・スマナサーラ が、中村元の功績は認めつつも「犀の角」という訳がそもそも間違っている、ということをここ で解説している。

 

 

  「犀の角のようにただ独り歩め」という箇所は、正しくは、 「犀の如く 独りで歩め」である、と。

言われてみれば、が歩くわけではないので、これで当たり前なのであって、ようやく意味も通じるのだが、はてさて、なぜ今まで気付かなかったんだろう、と思っていると、「偉い人のお説に異議を唱えられなかったんだろう・・・」という気遣いまでしてある次第だ。

 

 

・・・フルシチョフの小咄をおもいだした。。。

 独裁者スターリンが死去し、党大会が開かれた。

 フルシチョフ第1書記が生前のスターリンの専横を列挙し、スターリンを厳しく批判した。演説のさなか、会場から声が上がった。「その時、あなたは何をしていたのか」

 壇上のフルシチョフは「いま発言したのは誰か。挙手を願いたい」と切り返した。

 手を挙げる者がいないのを見て、フルシチョフはつづけた。

 「いまのあなたと同じように、私も黙っていた」・・・・

党大会の情報はCIAも必死で集めようとしたが、結局、わからずじまいで、この話も本当なのかアネクドート なのか不明のままだ。

 

 

 

「犀の角」のことだが、

「あらゆる生きものに対して~」の部分は、パーリ語では

  Sabbesu bhuutesu nidhaaya dandam,

  Avihethayam anntarampi tesam,

  Na puttamiccheyaa kuto sahaayam,

  eko care khaggavisaanakappo.

というものだそうだ。(経典の1番目テキストの35番目

 ・・・・「私たちの頭で理解できる範囲の経典ではない」との

ことわりがある。

 ・・・安易に、きちんと和訳すれば、それを文面どおりに

理解できる、というようなレベルではない、という。

 それでも、蟷螂の斧の如く、理解できる範囲で意訳してみれば、

  すべての生き物を捕らえず 

  何ひとつ傷つけず

  子孫や仲間を作らず

  一頭の犀のように 独りで彷徨い歩め

 となろうか。

 

・・・「そのままの意味よりは 冷や汗が出るほどの深い意味がある。それだけは覚えてほしい」 と、次ページでも記されているのだが・・・。

確かに、文面どおりに理解すれば、さまよい歩くどころか、食べる、ということができない、それでは生きていくことができない、というようなことが告げられている。

だから文面どおりに受け取るな、ということなのだろうし、それほどに深遠な意味があるのだ、ということなのだ、ということだけは理解しておけばいい、ということらしい。

 冒頭の第一句から、「訳す」ということが難しい、ということはわかったが、それ以上に、そもそも原典が難しすぎる、ということがわかった・・・

 

 

 

釈迦仏典とは http://tiny.cc/zudajx