姐さんブログ

時計、ジュエリーに囲まれての毎日はとっても幸せ!

2006.March/ before and after(使用前そして使用後)

2006年03月24日 | 日記・エッセイ・コラム

Befforpairshot_4 噂の韓国式エステ“アカスリ”。最近、少し疲れ気味。リラックスしようと二人で、韓国式エステ“アカスリ”に行きました。どうせフェィシャルマッサージも有るだろうから、素顔でいいやぁ…受付で申し込みをすると、韓国人の女性がたどたどしい日本語で「オ,カ,サ,ン,アトスル?」 えっ?ええっ?よく解らないけれど…いやぁ~な予感…気のせいに違いない…20分後、垢スリルームに入ると、水着姿で先程の彼女が笑顔で迎えてくれます。
ベッドに横たわり、気分は“水浴のビーナス”ああ…気持ちいい…幸せ~。
「ム,ス,コ,サ,ン,セ,タカクテ,ハンサムネ」えっ?ええっ?イマナニカイッタ?あまりの気持ち良さに夢を見ていた…きっと…「オ,カ,サ,ン,チッ,サイ,ノニ,ム,ス,コ,サ,ン,オオキイネ」嗚呼…もはやこれまで!これ以上自分を欺くことは不可能。
受付の所で漂った、あのいやぁ~な予感。ちらっとよぎった不安。韓国の人だから言葉がよく解らないのだろうと封じ込めたのに…勘違いのままにして置いて欲しかった…「息子ではなく主人です」「エエッ!エ~ッ!」…イタイ!痛い!垢すりの手に、急に力が入ります。目は冴え、意識もハッキリ戻り、もうリラックスどころでは有りません。
しかし『大人の女』はコレしきの事では怒りません。《気を確かに、気を確かに》と心に念じつつ、残り30分。「気持ちよかったわ、有り難うございました。次は息子ではなく主人を宜しくお願い致しますね」と言い残して、垢スリルームを出ます。

待つこと40分。ニヤニヤしながら出て参りました。その途端!
気高く保っていた『大人の女』は影も形も無くなりました。
「可笑しいね~」「なにがぁ?」「ボクが若く見え過ぎるんだよね」
「馬鹿じゃないの?」「えっ?」「世間に笑われるよ。自分の奥さんが、いつまでも若くて、綺麗でいれるようにしてあげる事が男たるものでしょ。奥さんは、主人を何処に出しても恥かしくない様にする事が、女としての務めでしょ。私はその務めをちゃんと果たしているからこそ、貴方は何処に行っても、誉められるのでしょ。苦労をさせて『ムスコサンデスカ?』なんて言われている事自体、男としてこれ程、恥かしく、不名誉なことはないのよ」「うん、うん」「それに、いくら年上だと言っても、貴方と一緒になる前(before) は確実に私の方が若く見えていた筈。誰に聞いてもそう言うよ。貴方は私と一緒になって(after)年々、若返って行っているでしょ。しかも、お洒落にもなれたしね。それってどうゆうこと?」 「そうだよねぇ」「何でもかんでも、頼り過ぎじゃぁないの!いい加減にしてよね!!」わかった様な、わからない様な屁理屈が続きます…指で“の”の字は描かないまでも、頬を膨らませ、口を尖らせてうな垂れる姿。おまえは子供かぁ!何処からか声が聴こえて来ます…「ム,ス,コ,サ,ン~」
トドメを刺さなければ、腹の虫が納まりません。「妻は夫の作品!夫は妻の作品!子供は良いも悪いも、二人の傑作!解かったぁ!」「うん、わかった」気の動顚が激しく、忘れていた肌の痛み。ふと見れば、所どころ擦りむけて赤くなっております。イタイ!痛~い!…この傷、癒えるまでは耳元でささやくのでしようか?あの声が…「オ,カ,サ,ン~」

99pairshot_3  昔、勝海舟が妻(たみ)に言いました。「俺たちも、歳を取ったなぁ~」と。妻が言います。「いいではありませんか。その代わりに、子供達があのように立派に育ちました」この民さん、二歳年上の姉さん女房…なかなかそこまで到達出来ません ワタクシ達。

before to after no twotake douomoimasuka?


2006年.3月15日 春が来ました。…東大寺二月堂『修二会』らいぶ④

2006年03月16日 | 奈良

Otaimatu これが先日(3/8)のお松明の模様です。
場所は大仏殿北裏を二月堂へ、大湯屋を右手に進み、中性院手前が第一のビュゥースポット。なだらかな石段と瓦塀(土塀に古くなった瓦を練り込んだもの)正面に二月堂を見上げる。絵心のある方が時々絵を描いたり、写真を撮っておられる場所です。そのまま石段を上り、参籠宿所の入り口前(二月堂西石段下)が第二の穴場です。ここからは,練行衆の上堂やお松明が点火され駆け上がる様子がつぶさに見えます。どちらも人が少なく、殆んど二人~三人占めです。
大概の方は大仏殿正面を通り、三月堂、四月堂側から二月堂に詰められますので、こちら側は身動きも出来ません。
第三の穴場とポイントはお松明が2本駆け上がった処で、横のお松明作りの場所に移ります。こうすると童子の方が仰る、火の玉が石段下と欄干西角、東角の三箇所に置かれた状態になります。燃え上がる炎、飛び散る火の粉の美しさに、しばし我を忘れます。

3月12日は、ひときわ大きな松明(籠たいまつ)が夜空を焦がし、お水取りの儀礼が夜半すぎ行なわれ、「達陀(だったん)」と呼ばれる火の妙法が行じられます。Dattan
幼い頃から『お神楽』で育ってきた私くしは、この「達陀(だったん)」の妙法、病み付きになってしまいました。それこそ、雨が降ろうが雪が降ろうとも、午前3時、0時と出掛けます。年に一度の「達陀(だったん)」追っかけです。観ているだけで体が熱くなってきます。
12.13.14日の夜中、堂内で小鬼の乱舞するなか、火天役と水天役が法螺貝、鈴、錫枝の音に合わせて踊るように、大松明を打ち振り、引き廻し、床に叩き付けます。
暗闇に浮かび上がる“炎の舞”はとても華麗で幻想的です
冬が逆戻りした様な12.13日。みぞれ混じりの冷たい雨の中、吹雪く雪の中を、大勢の人が二月堂の境内を埋め尽くしていました。
燃え上がる炎に自分(情念)を重ね、飛び散る火の粉に、砕け散る自分(煩悩)を重ねるのは私くしだけでしょうか…。
ダッタンとはサンスクリット語で「焼き尽くされる」を意味するのだそうです。火とは不思議なものだとつくづく思います。
翌15日は「達陀帽(だったんぼう)」。達陀の時、練行衆の被っておられた帽子(達陀帽)を子供の頭に載せて頂くと、その子供は知恵と健康を授かると言い、奈良の人達は子供を連れてお参りに行きます。昔から、この日は不思議と暖かい日となるそうです。仏さまのご加護なのですね。

汗ばむほどの陽気の今日。桜の便りがちらほら聞こえて来ます。
豊穣の祈りが天にとどき、奈良に春が来ました。


2006年.3月8日 もうすぐ春…東大寺二月堂『修二会』らいぶ③

2006年03月09日 | 奈良

Otaimatudai_2 3月1日、この日は残念ながら雨。
あまりの寒さに、根性無しのワタクシ達は「風邪でも引いたら大変だ。次の休みにしよう」などと罰当りな事を言いつつ、家に籠もってしまいました(籠もりの僧?)雨が降ろうが槍が降ろうとも本行は始まります。
2日の讀賣新聞一面中段には“流れる炎招く春”…長さ6㍍の「お松明」の炎が、雨の夜空を焦がした。午後7時すぎ、11人の僧、練行衆が堂内に。童子が燃えさかるたいまつを抱えて走り出すと、参拝者の頭上に、火の粉が降り注いだ…と。

早朝二月堂に行くと、まだ残る焦げ臭さや西の石段、二月堂の回廊、欄干下などに残る火の粉の跡、杉の燃えさしに前夜の興奮が伝わってきます。西下にある参籠所では、童子の方達が焚き火の傍で、今日使うお松明作りに精を出しておられます。黙々と自分の担ぐ「たいまつ」作りに専念されている姿は、歴史的行事を担う者としての誇りが感じられます。全員揃いのしるし半纏を着て、これがまた粋なんです。「よぉっ!“め組”の親分~ん!」と言った感じで…弱いんですネェ~ワタクシこのタイプに。しかも、皆さん筋肉質でなかなか魅力的ないい体格ですから… 親分~ん!
それも其の筈、重さ約4~50キロ(大松明になると70キロも有ると言います)のお松明を担いで、あの急な石段を駆け上がり、欄干上で振りかざす妙技をされるのですから…。
毎朝、この階段を一段飛ばしで駆け上がっておりますが、今でも結構きついと思う時があります。
練行衆(籠もりの僧)が二月堂上堂の際、道明かりとなるのがお松明の炎です。「石段下と欄干西角、東角の三箇所に火の玉を置くようにと言われているが、なかなかかこれが難しい。何年やっても、まだまだや」とベテラン童子の方が話してくれました。
毎夜、繰り広げられるお松明は、こうした粋で真摯な人達に支えられ、春を告げる“炎の祭典”に彩りを添えるのです。有り難うございます。Otaimatushou_1

…で、やっと昨夜(8日)行って来きました。暖かく晴れた夜でしたので、大勢の人で埋め尽くされ、身動きも出来ない程です。でも…穴場があるのです。私達には…次のブログで紹介します。素敵なアングルで取った写真も一緒に。