「天狗の中国四方山話」

~中国に関する耳寄りな話~

No.16 ★ 習近平は本当に「秩序破壊者」なのか 西側の“上から目線”なレッテル貼り

2024年01月28日 | 日記

MAG2NEWS (by 『富坂聰の「目からうろこの中国解説」』)

2024.01.12

 

習近平国家主席を頂点とする中国を、権威主義国家とみなす西側諸国。しかしそんな見立ては、必ずしも正鵠を射ているものとは言えないようです。

 

今回のメルマガ『富坂聰の「目からうろこの中国解説」』では、著者で多くの中国関連書籍を執筆している拓殖大学教授の富坂聰さんが、米中関係を「民主主義VS権威主義」と理解することを疑問視。さらにアメリカに中国を批判する資格がない理由を解説しています。

米中関係を「民主主義」対「権威主義」と見るナンセンス

新年初めてのメルマガである。だから少し大所高所から話をしようと、使い慣れた言葉を再考しようとテーマを設定した。

中国を分析するとき、小さな誤差の蓄積によって、後に補いきれない大きな誤解となってしまう問題が繰り返されてきた。それを補う上でも重要な試みだ。

誤差というのは何か。その多くは理解している「つもり」から生じている。新聞報道などで頻出するワードを、本当に理解して使っているわけではないことから生じる誤差だ。

試みに一つ例を挙げれば、「(中国の)力による現状変更」だ。

中国が力を背景に秩序やルールを強引に変更していることを詰る言葉だ。現在、「中国が現状」と聞いて違和感を覚える日本人はほとんどいないだろう。

だが、ふと立ち止まって「中国がどんな力を使い、何を変更したのか?」と自問したとき、滞りなくすらすらと説明できる日本人は何人いるのだろうか。

多くの人は、「南シナ海での中国の行動」を思い浮かべるかもしれない。しかし、南シナ海での中国の行動が「現状変更なのか」と問われれば、首をかしげざるを得ない。

中国が南シナ海の地図に十一段線(当時は中華民国)を引き、権利を主張したのは戦後間もなくのこと。つまり中国は80年ほど前からずっと同じ主張を繰り返していることになる。力をつけ取り締まりを強化したかもしれないが、主張は「変更」していないのだ。

イメージが先行する批判は、対立関係のなかで独り歩きする危険性がある。そのことは米中の対立も例外ではなく、受け手は慎重になる必要がある。

米中対立を「民主主義VS権威主義」と表現することも同じだ。

まず前提として中国は自分たちが「権威主義」と呼ばれることに納得していない。レッテル貼りだと反発している。

権威主義とは何か。一般的には、「権威を絶対的なものとして重視する考え方。権威をたてにとって思考・行動したり、権威に対して盲目的に服従したりする態度」(デジタル大辞泉)だと説明される。

中国が意図的に中国共産党中央総書記を「核心」と位置付け、権威と権力を集中させているのだから、その特徴を以て「権威主義的」と表現するのは、あながち間違いとは言い切れない。また「盲目的に服従」という点でも、党中央での合意形成を重視し不協和音を外に漏らさぬことに徹しているのだから、西側社会に暮らす人々の目にそう映るのも仕方がない。

問題は米中を「権威主義」とそれと相対する「民主主義」とに分け、相手のことを「遅れた」、もしくは「不完全な」制度の国と位置付けようとする点にある。

こうした批判に習近平政権は、「中国には中国の民主主義がある」、「上から目線で注文を付けるな」と反論している。

確かに胡錦涛時代までの中国には民主主義先進国としての旗を振りかざすアメリカに、反発しながらも「ある種の遅れ」を自ら認めてきた面があった。しかし習近平の時代になると、次第に自分たちのシステムに自信を持つようになったのである。

中国のこうした変化に西側世界は「自分たちに都合の良い秩序を形成しようとしている」と警戒し、習近平に「秩序破壊者」とのイメージを植え付けようとしてきた。

見落としてならない中国の民意を汲み取る能力

習政権がいま自国の制度に自信をつけた背景として、先端技術に帆を立てた経済発展から説明されることが多いが、それはむしろ副次的要素だ。

中国が自らのシステムに自信を持ち始めた理由は別にある。見落としてならないのは、「民意を汲み取る能力」だ。

こんなことを書けば独裁政権の風通しの悪さを知らないのかと叱られそうだ。

習近平が3期目の国家主席に当選した直後から、日本のメディアは一斉に「イエスマンで周囲を固めたため政権は、悪いニュースがトップに届かない」と、その危うさを指摘してきたからだ。

だが、本当にそうだろうか。

目下の不動産不況に対し、現政権はバブル退治を継続しながらも、いかに景気を冷やしきらないようにするか、多種多様な対策を繰り出してきた。それが効果を発揮したか否かは別として、現状を把握して対応をしてきたことは誰の目にも明らかだ。

また年が明けた1月2日、米テレビ『CNN』は「中国の習近平主席、経済的苦境に異例の言及」というタイトルで記事を配信した。そのなかで、「(習近平が)『一部の企業は苦境に立たされ、また就職が厳しく日々の暮らしに困る人々もいた』と述べ、中国が「逆風」に直面していることを認めた」と報じた。

むしろ、トップがきちんと現状を把握してることを示す記事だ。

翻って西側を見れば、選挙を通じて民意を汲み取るシステムには、隔靴掻痒のそしりがつきまとう。政治家は票につながるテーマには群がるが、そうでないテーマは放置するという欠陥も指摘される。与野党の攻防が、無責任なばら撒き合戦に陥るという問題もある。

中国には、言論が不自由で異論を認めないという体質への批判はあるだろう。しかし、民意を汲み取る機能も、問題を解決する能力も備わっていると言わざるを得ない。

権威主義との批判についても、中国を批判するアメリカの現状も褒められたものではない。権威に対し「本当のことを口にできない」のはトランプ政権発足後の共和党も同じ特徴を備えてきたからだ。

とくに2021年1月6日に起きた議会乱入事件(以下、事件)以降、その傾向は顕著になったと言わざるを得ない。

事件後、トランプ前大統領に対する批判をにわかに口にし始めた共和党議員の多くが、次の中間選挙で勝つため、再びトランプ批判を封印し、その軍門に下って行った姿は「盲従」との誹りを免れない。実際、アメリカ国内の多くの専門家がこれを「権威主義的な政治」として批判している。

選挙結果を認めず暴力でそれをひっくり返そうとした元大統領を批判できないのだから、深刻である。

アメリカのニュース番組では「あなたは本当に『選挙は盗まれた』と思っているのか?」とキャスターに突っ込まれて言葉を濁す共和党議員の姿がしばしば見られるが、象徴的なシーンと言わざるを得ない。

独裁的な中国に対し、「選挙というブレーキが存在する」ことが、これまでの西側世界の優位性を担保してきたのではなかっただろうか。

果たしていまのアメリカに、そのブレーキは機能していると言えるのだろうか。

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