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自動車学

クルマを楽しみ、考え、問題を提起する

AE86以外にも面白いクルマはたくさんある

2012-03-21 04:09:31 | その他
 1995年に連載が始まった漫画『頭文字D』が根強い人気を誇っている。ドリフトが速いのか、という問題はとりあえず置いといて、ともかく十七年間も連載が続けられていることは本当にすごいことだと思う。僕は『頭文字D』はそれほど熱心に読んだことはないのだが、同じしげの秀一氏の作品である『バリバリ伝説』はよく読んでいた。主人公の巨摩郡の誕生日はたしか3月9日だったと記憶しているのだが、実は僕も同じ3月9日生まれ。このため、僕は同級生達に「3月9日生まれは速いんだよ!」と意味不明な自慢をよくしていた。
 
 主人公が乗るAE86レビン/トレノの人気が再点火したのはこの『頭文字D』がきっかけだった。僕も一時期86トレノに乗っていた時期があったが、正直言ってそこまで名車か?と思うような人気ぶりが現在も続いている。トヨタの新しいスポーツカーはこの人気ぶりにあやかって『86』という名前になった。こう言ってはなんだが、あまりカッコよくない名前である。トヨタもえげつないことをするなぁ、という感じだ。
 86の4A-GEエンジンにターボを載せるチューニングが流行したのもこの漫画の影響だろう。僕がクルマの仕事をしていた頃は「AE92レビン/トレノの4A-GZEエンジンを探しているんですけど」などと言ってくる客が時々現れた。92の4A-GZEエンジンはスーパーチャージャー付きのために86の4A-GEよりも腰下が強化されている。このためにターボ化を考える86乗りが4A-GZEのエンジンを欲しがるのである。当時は僕も鼻っ柱が強かったから、「ないよ、そんなもん」と横柄な態度を取っていた。忙しかったから相手にしている暇が無かったということもあるのだが、今思うと無礼極まりない。深く謝罪したいと思う。

 『頭文字D』にはこれ以外にも様々なクルマが登場してくる。例えばGT-RやRX-7、ランエボ、インプレッサ、MR2、シルビア、シビックなどがそうだが、これらのクルマはどれもこれもみな86より新しいものばかりである。しかしよく考えると、この86と同時代にはまだまだ他にも面白いクルマがたくさんあったと思う。しげの秀一氏は何かしらの意図があってそれらのクルマを登場させないのかもしれないが、86好きのごく普通の方はもう少し他のクルマにも視点を向けたほうがいいのではないだろうか。僕にはあのぼったくりのような中古車価格の86を買うことなど考えられないことである。

 例えば同じトヨタならTA63型のコロナ、カリーナ、セリカはどうだろう。エンジンは3T-GTEと呼ばれる1.8リッターのツインカムターボで、2T-Gと同じくツインカムの2バルブでツインプラグが特徴のエンジンだった。このエンジンはこの時代のトヨタツインカムの例に洩れずヤマハがチューンしたもので、しかもトヨタのモータースポーツを支えてきたエンジンでもある。正確には3T-GTEのボアアップ版である4T-GTというエンジンなのだが、この4T-GTエンジンを搭載したTA64セリカはサファリラリーで優勝するなど当時のWRCで活躍しているし、グループCカーにも搭載されて耐久レースでも活躍している。
 モータースポーツでの活躍を思うと、市販車用の3T-GTEエンジンははっきり言って物足りない性能のエンジンである。ツインカムターボというわりにはそれほどパワーがあるわけでもないし、刺激的でもない。しかし剛性感のあるその回転フィールはやはり並のエンジンではないことを思い知らされ、なんだか「いじって乗ってね!」と言われているような気分になってくる。僕はこの3T-GTEエンジンが今でも大好きである。
 僕が選ぶならTA63後期型のカリーナセダンだ。デカいターボチャージャーにして車高を落とし、ロールゲージを入れてボディ剛性をアップさせる。外観は一切いじらない。一見ボロいセダンと見せかけて、実は猛烈に速い、という仕様にするのである。こんなクルマでコテコテにいじったシルビアあたりをぶっちぎったらさぞかし痛快だろう。ちなみにこの63にはAA63という4A-GEエンジン搭載のグレードも存在していたが、こいつはやめたほうがいい。86より大きく重いボディのためにまったく走らない。86以外でどうしても4A-GEエンジンのクルマが欲しいという人にはAW11のMR2がいいのではないだろうか。カッコ悪いけど・・・

 同じセダンでA175A型ランサーターボ、という手もある。このランサーはシンプルなデザインで今見ても十分かっこいい。たしか外国人デザイナーによるデザインだったと思う。エンジンはG62Bと呼ばれる1.8リッターのSOHCターボで、後期型には巨大なインタークーラーがバンパー内部に鎮座している。選ぶなら後期型だろう。インタークーラーが付いているし、デカいフロントバンパーやダックテールのリアスポイラーもなかなか決まっている。このランサーもカリーナセダンのようないじりかたがいいと思う。今の人はランサーと言えばランエボだろうが、僕はこのランタボのほうがいい。ランタボでランエボをぶち抜いたら、これまた痛快だろう。

 この他にもKP61型スターレットはどうか。さすがに古いが、足回り部品は86の部品がけっこう流用できたような記憶がある。エンジン、ミッションもいっそのこと86用の4A-GEとT50に載せ替えてしまえばいい。86よりもボディが小ぶりなぶん、より楽しめるだろう。

 FRのクルマだけでも少し考えただけでこれだけ出てくる。さらにFF車や4WDのクルマまで候補に入れると、例えばFFならばEP71以降のスターレットやAE92以降のレビン/トレノ、カローラFX、4WDならブルーバードSSS-RやパルサーGTi-Rなどなど、考えだしたらそれこそキリがない。ぼったくりのような価格の86に高いお金を払うより、こういったクルマを買って浮いたお金でいじるほうがよっぽど楽しいのではないかと思うのだが。

消防団に入りませんか

2012-03-11 19:52:36 | その他
 僕は地元の消防団に入っている。実家に帰ってきてすぐに入団し、今年で十六年目を迎えた。クルマとは全く関係の無い話になってしまうのだが、3月11日の今日は少し消防団の話をしてみたいと思う。

 家業を継ぐために実家に帰ってくると、すぐに親から消防団に入れと言われた。その時は正直言って面倒くさいとも思ったのだが、地元の人との付き合いが広がること、そしてなにより人のためになることなどを考えて入団することを決心した。僕と一緒に幼なじみが入団することになったことも決心する大きな理由のひとつになった。そして現在、僕は消防団に入って本当に良かったと心から思っている。

 消防団員の役目は多岐にわたる。まず火災の時には消防署員とともに消火活動をする。消火栓や防火水槽、時には河川などから消防車で水を吸い上げて火点に放水したり、時には消防署の消防車に我々の消防車からホースを使って水を中継したりすることもある。火災の時には多数の消防車が結集してくるため、自分達の消防車をどの場所に止めるかが重要なポイントだ。水のある所を水利、と呼ぶのだが、この水利を確保し、そこに消防車を止めなければ水が出せないのである。このためサイレンを鳴らして走っている消防車の車内では地図を見ながら、
 この位置の消火栓に消防車を止めよう、とか
 あそこの消火栓には他の消防車が来ているだろうから、こっちの防火水槽を水利にしよう
などと忙しい。そして水利に到着したら消防車を操作する者、ホースを伸ばす者、ホースの先端に管鎗(かんそう)を接続して放水する者とに別れて作業する。それぞれが現場の状況を見ながら瞬時に的確な判断を下していかなければ安全、かつ安定して水を放水することはできない。現場ではチームプレーが求められるのである。
 同じ火事でも山火事の場合は状況が異なる。近くに水利が無い場合がほとんどで、そういった時にはジェットシューターという容器に18リッターもの水を入れて背中に背負い、歩いて山を登らなければならない。そして火点に到着したらジェットシューターに付いている小さな管鎗で放水し、水が無くなれば下山。再度背中に水を満載し、再び山を登る。防災ヘリコプターや自衛隊のヘリコプターが来てくれれば空からの消火活動が進むのだが、それまでは地上部隊が踏ん張らなければならない。普段はヘリコプターの音など気にならないが、山火事の時には幸せを運ぶ天使の羽の音のように聞こえる。
 この他にも台風や大雨の時には河川の増水や土砂崩れにも備える。氾濫危険水位になれば出動し、堤防の補強や住民の避難誘導などをしなければならない。そして災害発生時のみならず、時には行方不明になってしまった方の捜索にも当たる。さらには火災予防週間や歳末警戒時の防火活動もある。実に様々だ。

 それでも僕の地域は海が無いため、まだいい。今回の大震災の時にもし自分の消防団が海に面していたら、と考えると穏やかではいられなくなる。そして亡くなられた多くの消防団員の方のことを考えるととてもつらくなる。

 僕は亡くなられた消防団員の方たちに対して、同じ消防団員としていったい何をするべきなのかと考えた。もちろん組織としてわずかながら寄付はしたが、問題はそんなことではない。やはり消防団員として懸命に活動すること。そして消防団という組織がこの先の時代もずっと存続し続け、地元の人の安心、安全を守り続けることが我々の義務なのではないかと思うに至った。それにはまずなんといっても消防団員の人数を確保しなければならない。問題はここから、である。
 消防団員の数は全国的に減少している。そして我々の消防団もなかなか新人が入団して来ない。誘っても断られることが多いのである。一般の方はいったい消防団に対してどんなイメージを持っているのだろう。厳しいイメージなのか。それとも飲んだくれ集団のイメージなのか。ここのところがいまいち僕にはわからない。
 確かに厳しさはある。それなりに厳しく訓練をしておかなければ、いざという時にどうしていいのかわからなくなるからだ。しかし訓練を積むことによって仲間との信頼関係も生まれる。この信頼関係はなかなか心地良いものである。そして信頼関係を構築できた仲間たちと酒を酌み交わす。こいつは本当に楽しい。年下のある消防団員は僕に「正直言って、消防団がこんなに楽しいものだとは夢にも思わなかった」と言ってくれた。現在『絆』という言葉が盛んに言われているが、消防団員の仲間にはまさに強い絆がある。絆があるからこそ仲間とともに災害にも立ち向かうことができる。巨大な津波に対して逃げることなく立ち向かった消防団員の方たちは、その崇高な精神と仲間との強い絆によって恐怖に打ち勝ったからこそ可能だったのではないか、と僕は思う。
 
 今こそ、人は人のために何ができるのかということを真剣に考える必要があるのではないだろうか。
 だから、消防団に入りませんか?
 

水平対向エンジンの話 その2

2012-02-27 03:36:54 | その他
 前回では水平対向エンジンの利点としてクランク回りの剛性が高いこと、クランクシャフトが軽量であるがゆえに吹け上がりがシャープであること、そしてエンジン自体も軽量でなおかつ耐久性が高いことなどを紹介した。剛性が高くて、軽量。おまけにピストンの往復運動によって発生する一次振動や、その二倍の周期で発生する二次振動が水平対向エンジンでは発生しない。考えてみればこれほど飛行機に適しているエンジンも他にはなく、実際に軽飛行機のほとんどが水平対向エンジンを載せている。富士重工業もかつてはエアロスバルという軽飛行機を製造していたのだが、このエアロスバルのエンジンは自社製ではなくライカミング社製の航空機用水平対向エンジンを載せていた。

 そんな水平対向エンジンだが、欠点もある。汎用性が無いこと、製造コストがかかること、オイル潤滑が難しいことなどがそうだ。
 ごく普通の直列エンジンやV型エンジンは縦にも横にも載せられる。つまりFFにもFRにも使える高い汎用性があるのだ。残念ながら水平対向エンジンではこうはいかない。さらに、その幅の広さからボディ設計にも様々な制約が生じてしまうのである。例えばスバルのクルマはみなフロントサスペンションがストラット方式になっているのだが、これはエンジンの横幅が広いためにスペースが制約されるためだ。ダブルウィッシュボーン方式やマルチリンク方式が採用できないのである。このためスバルでは独特な形状のロアアームや倒立のビルシュタインダンパーの採用など、あの手この手を使ってストラットサスペンションの性能向上を図っている。そしてシャシー自体も横幅の広いエンジンを考慮して、水平対向エンジン専用のシャシーを開発しなければならない。水平対向エンジンは極めて汎用性が乏しく、しかも車体設計者泣かせのエンジンなのである。これに対してV6エンジン、例えばトヨタの2GRというエンジンは下はFFのブレイドというカローラのハッチバック版からはじまり、上はFRのクラウンやレクサスのGSにまであらゆるクルマに載せられている。まさに自由自在のエンジンだ。スバルは自ら選んだ道とはいえ、うらやましく思うこともあるだろう。現在、水平対向エンジンが少数派となってしまった主たる要因はこの汎用性の無さにあるのである。
 製造コストがかかることも水平対向エンジンが姿を消していった要因のひとつである。早い話、作るのが面倒くさいのだ。例えば直列エンジンやV型エンジンはエンジンブロックの下からクランクシャフトが取り付け可能なのだが、水平対向エンジンではこうはいかない。左右のシリンダーブロックでクランクシャフトを挟み込むという手順が必要になる。クランクシャフト組み付けの時点でこの面倒くささ、である。さらにコンロッドの組み付けがまた面倒くさい。反対側のエンジンブロックが邪魔になるのである。このため最近のスバルは斜め割りのコンロッドを採用して組み付け作業がスピーディに行えるようにしている。ポルシェならばのんびりと組み付け作業ができるが、スバルのような量産車メーカーは時間との闘いである。
 オイル潤滑が難しいのはエンジンが水平だからだ。つまり普通のエンジンはオイルポンプがエンジンヘッドにオイルを送ってやれば、あとは地球の重力によってオイルは自然と下に落ちてくる。ところが水平対向エンジンでは水平であるがゆえにこう簡単にはいかない。きめ細かくオイルの流れをコントロールしなければならないのである。このオイル潤滑という点でも水平対向エンジンは製造コストがかかる。
 よくスバルの水平対向エンジンはすぐオイル漏れを起こすからボロい、耐久性が無いなどと言う人がいるが、はっきり言って笑える話だ。オイル漏れを起こすのはヘッドカバーである。これは水平であるがゆえにヘッドカバーの下側にオイルが溜まることによって起こる。その構造上しかたがないとも言えるのだが、そもそもヘッドカバーからのオイル漏れはトラブルのうちに入るのだろうか。ヘッドカバーのガスケットを交換すればいいだけの話がそんなに深刻なのだろうか。ヘッドカバーのガスケットなんてゴム製ならば部品代は500円くらいだろう。左右で1000円として、あとは工賃。僕はヘッドカバーのガスケット交換なんてことは人に頼んだことがないのでわからないが、恐らく工賃は一万円でおつりがくるはずである。こんな些細なことで耐久性うんぬんなどと言うくらいなら、クルマに乗るのはやめたほうがいい。ちなみに僕のレガシィのEZ30エンジンは走行距離がもうすぐ十万キロになるがオイル漏れは全く無い。

 ネットなどでスバルのクルマはメーカーがいうほど低重心ではないじゃないか、という意見を聞く。確かに驚くほど低くはない。しかし肝心なのは大きくて重いエンジンヘッドの位置である。この位置が直列エンジンやV型エンジンよりも低いということを忘れてはならない。直列エンジンやV型エンジンはエンジンヘッド付近という高い位置に重心があるのだ。これに対して水平対向エンジンはクランクシャフトに重心があるのだが、スバルのそれはエンジン自体が後傾に搭載されているために、フロント側のクランクシャフトの位置は重心よりも高くなる。一見すると重心が高く見えるのだが、実際はさらに下に位置しているのだ。フロント側のクランクシャフトの位置で重心を語るのは間違いである。
 もうひとつ、スバルのクルマはオーバーハンクにエンジンがあるのでフロントが重い、バランスが悪い、という意見も目にしたことがあった。こいつも笑える話である。エンジン横置きのクルマならエンジンはおろかトランスミッションもオーバーハンクに載せている。エンジン横置きのFFや4WDに比べれば、スバルの水平対向エンジンの位置などかわいいものである。例えば初期のランエボなどはクルマの頭が重くてひどいアンダーステアだった。これはエンジン、ミッションだけでなくターボやインタークーラーまでもがすべてオーバーハンクに位置しているからである。ランエボがモデルチェンジのたびにハイテクで武装してくる理由は、このフロントヘビーからくるアンダーステアを解消するためのものなのだ。

 あまり知られていないが、ホンダのバイクのフラッグシップであるゴールドウィングは1.8リッターの水平対向6気筒エンジンである。ホンダも水平対向エンジンが優れているという認識があるからこそフラッグシップのバイク用にあえて開発し、搭載しているのだろう。しかしそれを大々的にアピールしない。いやできないのだろう。もしアピールすれば、それは同時にスバルの水平対向エンジンの優位性をアピールしてしまうことにもなるからだ。そしてホンダに限らず、すべての自動車メーカー、バイクメーカーのエンジン技術者達はみな水平対向エンジンの優位性を認識しているはずである。その証拠にかつてはシトローエンもランチアもアルファ・ロメオも水平対向エンジンを作っていた。トヨタだってそうだ。しかし時代とともにメーカーの勝手な都合によって、あるいは合理化するうえで水平対向エンジンの欠点が問題視され、しだいに消えていってしまった。本当に残念である。

 日本人は昔から多数を善とし、少数は悪だと思い込む風潮がある。水平対向エンジンに対してはまさにこれで、少数というだけで根拠もなく思い込みによって自動的に『悪』だと誤解されている場合が多い。その証拠にネット上では水平対向エンジンに対する誹謗、中傷が今日も掲載され続けている。このことが僕には悲しくてたまらない。


水平対向エンジンの話 その1

2012-02-23 04:42:30 | その他
 僕は水平対向エンジンが大好きである。だからこそレガシィを買って大切に乗っている。この他にできればポルシェ911とBMWのR1200GSというバイクが欲しい。どちらもともに水平対向エンジンだ。そして三台を並べてほくそ笑み、人から水平対向バカと呼ばれたい。もっとも僕自身は911とGSが無くてもすでに水平対向バカだと思っている。水平対向エンジンとは、それほどの魅力を持ったエンジンなのだ。
 スバルがよく言う水平対向エンジンの利点は低重心であること、振動が少ないこと、回転が滑らかであること、などが挙げられている。しかしなぜそうなのか、という具体的な説明はあまりされていない。そして他の重要な点、あるいは趣旨については触れられてもいない。全体的にアピールが不十分なのである。だから時には誤解されたり、ダメ出しされたりする。そこで僕は、そんな誤解やダメ出しをすべて論破するくらいの勢いで水平対向エンジンの解説をしてみたいと思う。例えば大好きな彼女を守るような気構えで。

 水平対向エンジンの最も大きな優位性はクランクシャフトまわりの剛性の高さにある。直列エンジンやV型エンジンとは違い、左右のシリンダーブロックでクランクシャフトをがっちりと完全にしかも左右均一に挟み込んでいるので剛性がケタ違いに高いのである。このことによって生まれる利点は耐久性の高さ、振動の少なさ、そして高回転、高負荷時に対する許容量の大きさなどが挙げられる。早い話、剛性が高ければそれだけタフだということだ。
 クランクシャフトが軽量なのも水平対向エンジンの特徴である。これは左右のピストンが対称に動くためにクランクシャフトのカウンターウェイトが最小限で済むからだ。つまりそのままでも回転バランスが取れているために、バランスを取るためのおもりが他のエンジンと比べて最小限で済むのである。極薄のクランクウェブと全長を短くするための極薄クランクピンからなるそのクランクシャフトは別名『カミソリクランク』などとも呼ばれている。水平対向2気筒ではさすがにこうはいかないが、水平対向4気筒、6気筒のクランクシャフトは他のエンジンのそれと比べると衝撃的と言ってもいいほどの形をしている。
 回転バランスが取れているために4気筒でもバランスシャフトが不要、そしてカミソリクランクの採用などとも相まって、水平対向エンジンは驚くほど軽量なエンジンであると言える。以前僕はレガシィの3リッター水平対向6気筒エンジンであるEZ30のエンジン重量は154kgだと紹介した。これに対して、例えばBMWの3リッター直列6気筒であるN52B30Aエンジンはシリンダーブロックに軽量なマグネシウム合金を使用していてもその重量は161kgである。通常のアルミブロックであるM54B30エンジンでは170kgを超える重さだ。いかに水平対向エンジンが軽量であるかおわかりいただけると思う。直列6気筒エンジンはそのスリムさゆえに軽いエンジンだとよく誤解されるのだが、クランクシャフトが長いためにねじり剛性を向上させなければならない。その結果クランクシャフトが大幅に重くなってしまうのである。BMWの直列6気筒はシルキースムーズであるとよく言われるのだが、その理由のひとつにこの重いクランクシャフトが結果的に貢献しているように思う。ちなみにV6エンジンでは、例えば日産のVQ30DEエンジンは163kgである。V型エンジンは基本的には左右のコンロッドで共通のクランクピンを使用するために、クランクシャフトは水平対向より短くすることができる。しかしV6エンジンでは歳差運動のような振動が発生してしまうために、クランクシャフトにはカウンターウェイトが必要になる。このため重くなってしまうのだ。
 以前ネットにEZ30エンジンはアイドリング時に振動がある、だからいいエンジンではないと指摘されていたことがあった。確かに僕のレガシィにも軽負荷のアイドリング時にはプル、プル、という震えるような微細な振動がある。これはEZ30だけではなくEJ20にも似たような振動があるのだが、この振動は軽量クランクシャフトであるがゆえの振動なのだ。重いカウンターウェイトが付いたクランクシャフトならばこの振動は解消されたはずだが、それよりも軽いクランクシャフトからくるエンジン重量の軽量化や吹け上がりのシャープさを重視していると言える。エンジンというのはエンジニアの意図を理解しないと、時にあらぬ解釈をしてしまうことになる。難しいことだし、同時に奥が深いなぁとも思う。

 次回へ続く

一か月

2012-02-07 03:50:03 | その他
 ふと気がついたら、このブログをはじめて一か月が経っていました。
 早いような、短いような、という感じです。

 去年の東日本大震災があって以降、僕も多くの方と同じようにいろいろなことを考えました。テレビや新聞、ネットなどでお亡くなりになられた方々の記事などを目にすると、その尊い命の身代わりに自分が死んだほうがよかったのではないか、と思う時もありました。亡くなられた方々はみなさん一生懸命生きておられた。最後まで尊い命の方々ばかりでした。
 前にも述べたように僕は生まれてすぐに重い腎臓病を患いました。僕の親は医者から「この子は助からないかもしれません」とも言われたそうです。そんな子供でしたから、幼い頃から否応なく『死』というものを考え続けてきた人生でした。奇跡的に丈夫な体になってからも、僕の頭の中にはいつも『死』という言葉がどこかにあったように思います。クルマやバイクと同じくらい音楽も大好きですから、例えばジミ・ヘンドリックス、ジム・モリソン、ジャニス・ジョプリンの死やマーク・ボランの死、あるいはジョン・レノンの死などについても考えさせられました。彼らは皆、突発的な発作や事故、事件で亡くなられています。人間はいつ死ぬかわからない。だから毎日、毎日を悔いることなく生きよう。そう心に誓って生きてきたつもりでした。
 今でも自分の人生をそれほど悔いてはいません。うまくいかないことは多々ありますが、それは身から出た錆、だと思っています。しかし自分の命がはたして尊い命なのかと問うてみると、決してそうではありません。まだまだ一生懸命生きていない。人の役に立っている人間ではない。東日本大震災を目の当りにして、僕の命は決して尊いわけではなく、むしろちっぽけな卑しい命なのだと悟りました。だからこそ、自分が身代わりになって死んだほうがよかったのではないか、と考えてしまったのです。

 人の役に立つ人間でありたい。自分の命を少しでも尊いものにしたい。そう思って、このブログを始めることにしました。僕の頭の中にある知識が少しでも人様に役立てていただければ、こんなにうれしいことはありません。取るに足りない知識かもしれませんが・・・

 最後に、コメントを受け付けていない理由はブログが荒れるからです。荒れたブログを観るのは僕だけでなく第三者の方にも不快な思いを与えてしまうと思いました。何卒ご理解のほど、よろしくお願いいたします。