自動車学

クルマを楽しみ、考え、問題を提起する

迷走するホンダ  その3

2015-10-13 02:05:34 | クルマ社会

 
 本田宗一郎氏は生前、「自分の名字を社名にしたのは間違いだった」と語っていたそうだ。
 なぜ間違いだったのか。それは『HONDA』という会社が自身の意に反する方向へと勝手に進んでいってしまったからだ。


 残念ながら、本田氏が指揮を執っていた頃の四輪市販車部門は順調だったとは言い難い。S600やS800で名声は得るものの業績は芳しくなく、N360はヒットしたがホンダ1300の失敗で窮地に陥る。当時の新聞には『ホンダは四輪から撤退』という報道もされていたそうだ。その後も初代シビックが大ヒットするものの、二代目シビックで再び販売不振、という具合だった。当時のホンダ四輪部門の関係者はさぞかし辛い思いをしただろうと思う。
 本田氏が第一線を退いた後、ホンダはデザインを重視し、なおかつ人々に理解されやすいクルマ造りをしていくようになる。それまで本田氏のクルマ造りが硬派だったのに対し、軟派なクルマ造りへの大転換だ。それは辛い思いをしたからこその大転換でもある。都会的でスポーティなイメージを大事に育み、しだいに多くの人々はホンダ車を支持するようになっていく。そしてあのオデッセイとステップワゴンの爆発的大ヒットを経て、ホンダはトヨタに次ぐ国内第二位の自動車メーカーに成長していくことになる。
 辛い時代を経験した四輪部門の関係者はまさに万感の思いだろう。「俺たちはとうとうここまで来た!」という喜びと誇りで満ち溢れているはずだ。

 しかし、先ほどの「自分の名字を社名にしたのは間違いだった」という本田宗一郎氏の発言である。

 本田氏のクルマ造りやバイク造りの哲学は理想の追求、そして夢へのチャレンジだったのだと思う。少年のような純粋さで技術と向き合い、多くの人から「すげぇ!」と思ってもらえるモノ造りをする。恐らく会社の規模や販売台数、売上や利益率といったものは二の次だったのではないだろうか。そう解釈すれば、「自分の名字を社名にしたのは間違いだった」、という発言の真意を理解することができる。要するに、ホンダの軟派なクルマ造りを複雑な思いで見ていたに違いない。
 自分が退いた後のホンダを見ていて、本田氏はあまり嬉しくはなかったのだろう。そして巨大な自動車メーカーとなった現在のホンダの姿を見ても、やはり本田氏はあまり嬉しくはないのではないか。そしてついでに僕の感想も言わせてもらうが、僕もやっぱり、嬉しくない。

 デザインを重視することは大切なことだ。都会的でスポーティなイメージにしていくことも正解である。だが本田氏が退いた後のホンダはどう見ても必要以上に軟派過ぎだ。ミニバンが売れるとわかるとラインナップをミニバンだらけにする。プリウスが売れているとプリウスそっくりのインサイトを登場させる。さらには軽自動車が売れるとなると、それまで世話になった子会社から軽自動車の生産を奪う、というありさまだ。そこに本田宗一郎氏の哲学は全く存在しない。最近はテレビで『スポーツが好きだ』などと言うCMを放送していたりするが、ミニバンばかりを作っているメーカーが何言ってるの?と思わずツッコミを入れたくなる。

 それだけではない。なにより僕が心配しているのは、『技術』に対する現在のホンダの見解である。
 ホンダは2012年にNC700という大型二輪のバイクを新しく登場させた。そのNC700の開発秘話みたいなものが以前、日経新聞に掲載されていたのだが、その記事を読んで僕は驚いてしまった。
 NC700のエンジンは669ccの二気筒エンジンを搭載している。そしてこの二気筒エンジンだが、なんと四輪車のフィット用の四気筒エンジンを半分にぶった切ったものなのだそうだ。いったい何を考えているのだろう。確かにコストを考えてそういう安直な作り方も有りなのかな、とは思うが、ホンダがそれをやってはいけない。絶対にやってはいけない。これでは本田宗一郎氏の哲学を完全に否定しているようなものではないか。さらに、ホンダの技術者がそういう裏話を新聞の取材で平然と話してしまうことも僕には全く理解できない。このホンダの技術者は、「フィットのエンジンを半分にぶった切ったものです」と聞いてNC700を買う人が喜ぶとでも思っているのだろうか。「すげぇ!」と感激してNC700を購入するとでも思っているのか。そういえば、ホンダの関係者は以前にも日経新聞で「軽自動車のNシリーズの利幅はフィットよりも多い」という余計な裏話をしていた。どうやらホンダの人々は、買う人の気持ちを逆なでするのが得意なようだ。
 そしてさらにこのNC700の技術者は「フィットの低燃費エンジンがベースになっているため、NC700もとても低燃費です」と誇らしげに語ってもいた。しかしこれは本当に誇れることなのだろうか。燃費を気にするのならば、もっと排気量の小さなバイクに乗ればいいだけの話ではないのか。はっきり言わせてもらうが、僕は長年バイクに乗ってきて、燃費を気にしながら大型バイクに乗るライダーに出会ったことは今まで一度も無い。

 ホンダは迷走している、と僕は思う。順調に業績を伸ばしてきたホンダだが、その実態は本田宗一郎氏が退いて以降、ずっと迷走し続けているように僕には見える。会社の方針、そして『技術』に対する見解。思えばかつての動力性能を向上させるための軽量ぐにゃぐにゃボディ、そして現行フィットのトランスミッションリコール問題などはまさにホンダの『技術』に対する見解が完全に迷走した結果だった。そして近年は、良かったはずのデザインにも迷走が表面化してきている。どのクルマもボディ表面のあちこちに無数のラインを入れているせいで、ガチャガチャとうるさいデザインになってしまっている。CR-ZやS660はディテールの悪さが全体のデザインをスポイルしてしまっているし、シャトルに至ってはそもそもボディ全体のデザインバランスがあまり良くない。例えばこれがスバルならば「御愛嬌」といった感じになるが、長年デザイン重視でやってきたホンダはそうはいかない。このままのデザインでいけば、そう遠くない時期に『都会的でスポーティな会社』というイメージさえ崩壊してしまう危険性がある。

 『スポーツが好きだ』というCM以上に腹が立つホンダのCMがすこし前にあった。初代カブから始まり、F1のRA272、そしてS800、スーパーカブ、T360と、ホンダのクルマやバイクが歴史順に映し出されていく。そして最後に次期NSXとおぼしきクルマが映し出され、最後にこう言う。
 『きのうまでのHondaを超えろ』
 ・・・何だそれ?
 本田宗一郎氏の哲学を自ら否定しておきながら、本田宗一郎氏が築き上げた栄光にすがる。「自分の名字を社名にしたのは間違いだった」、と本田宗一郎氏に後悔させた会社が本田宗一郎氏の作品を並べて自慢する。厚顔無恥、とはまさにこのことだ。
 
 今のホンダにきのう『までの』Hondaを超えることなどできない。可能なのはきのう『の』Hondaを超えることだけだ。

 
 

迷走するホンダ  その2

2015-08-11 02:32:20 | クルマ社会

 一連のぐにゃぐにゃボディ。そして以前述べたC20Aターボエンジンの確信犯的なエンジン作り。僕が目の当りにしたのは、ホンダという会社が持つ高い技術イメージと現実に販売されているホンダ車との間にある愕然とするほどの大きな乖離であった。そしてホンダという会社が好きだったから、そして信用していたからこそ僕の落胆は大きなものになったのである。なにしろそれまでの僕は、ホンダという会社は望めばフェラーリをも凌駕する高級スポーツカーメーカーになれた可能性があった、と思っていたからだ。


 ホンダを語る上で欠かすことができないのが本田宗一郎氏だ。本田宗一郎氏の生い立ちについては詳しく記した本がいくらでも存在するのでここでは省略するが、『ホンダ』に対する本田宗一郎氏のイメージと『フェラーリ』に対するエンツォ・フェラーリ氏のイメージはとてもよく似ている、と僕は思っている。
 もちろん細かい部分では違う。孤高の存在だったエンツォ氏と親しみやすいキャラクターだった本田氏との人物像はまるで正反対だし、レーサー上がりのエンツォ氏とたたき上げのエンジニアだった本田氏が求めていた理想は違う。しかし強烈な影響力によって会社を牽引し、モータースポーツに情熱を注いだ姿は同じである。この二人の人物を抜きに世界のモータースポーツ史を語ることはできない。
 そしてその世界のモータースポーツ史において、天下のフェラーリをも凌ぐ偉業を持っているのがホンダである。なにせホンダは二輪と四輪の両方で世界タイトルを取っているのだ。こんなメーカーは世界中のどこを探してもホンダ以外には存在しない。

 本田宗一郎氏が指揮を執っていた頃のマシンはどれもこれもみな凄まじいものばかりである。例えば1966年に二輪の世界GP250ccクラスに参戦した『RC166』はなんと250ccでありながら並列6気筒DOHC24バルブというとてつもないエンジンを搭載していた(スペックは60馬力以上/18000rpm)。さらに同じ年に参戦した125ccクラスには『RC149』というマシンで参戦し、これまた並列5気筒DOHC20バルブというとんでもないエンジンを搭載している(同34馬力以上/20500rpm)。そしてこの年、ホンダは50cc、125cc、250cc、350cc、500ccの全5クラスでメーカータイトル獲得という金字塔を打ち立てた。
 さらにホンダは1964年にこの二輪で蓄積したエンジン技術を応用して初のF1マシンである『RA271』でF1参戦を果たす。1500ccV型12気筒エンジンは220馬力/14000rpmというスペックで、トランスミッションも含めたその横置きレイアウトはまさに二輪エンジンそのものといった感じだ。そして翌年、改良型である『RA272』でホンダは見事にF1初優勝を遂げるのである。

 当時のホンダエンジンのことを世界の人々は『時計のように精密』と形容している。だが、僕から言わせてもらえば『時計よりもはるかに精密』だ。例えばRC149は125ccで5気筒である。これは1気筒あたりたったの25ccしかない。そしてわずか25ccのその燃焼室には四個のバルブが備わっている。そのバルブは、もはやつまようじくらいの細さだろう。このつまようじのような繊細なバルブが燃焼室内の高熱に耐えながら20500回転もの超高回転の中で運動しているのである。もはや機械式時計など比べものにならないほど過酷で、なおかつ気が遠くなるような精密な世界だ。ホンダが実現したその世界はまさに芸術そのものであり、その芸術には狂気すら宿っている。そして狂気を宿した芸術、という点でもあのフェラーリとどこか通じるものがあるように思う。
 
 本田宗一郎氏はその後、突如空冷エンジンに固執し始め、F1の責任者だった中村良夫氏との間に軋轢が生じてしまう。この軋轢の果てが1968年のF1で、この年は中村氏が主導した縦置き水冷V12エンジン搭載の『RA301』と、本田氏が主導して久米是志氏が設計した縦置き空冷V8エンジン搭載の『RA302』の全く異なる二台が出場することになる。そしてレース中にRA302はクラッシュし炎上、乗っていたジョー・シュレッサー氏は亡くなってしまう。
 本田氏はこの頃、市販車でもホンダ1300という空冷エンジン搭載のクルマを発売している(N360も空冷)。水冷エンジンのSシリーズとT360でクルマ作りをスタートした本田氏がなぜ突如空冷エンジンにこだわるようになったのか。
 「水冷エンジンだって最終的には空気で冷やす。だったら最初から空気で冷やしたほうがいい」と本田氏は言っていたそうだ。しかしこれは表向きの発言だろう。本田氏ほどの人物が本気で、しかもこんな単純な理由で空冷エンジンの道を進もうとしていたとはとうてい思えない。なぜならエンジニアであれば、空冷エンジンよりも水冷エンジンのほうが燃焼室内の温度を制御しやすい、という利点があることくらい簡単に理解できる。きっと内心はこの水冷エンジンの利点を十分に理解しつつ、それでも
 「人とは違うことをやってみたい!」
 「人と違うことをやって、多くの人からすごいと言われたい!」
という少年のような純粋な思いを持っていたのではないだろうか。
 そしてさらに、もしかすると本田氏の頭の中には最終的に『冷却しないエンジン』というものがあったのかもしれない。エンジンというのは、発生した熱を冷却すること無くすべてエネルギーに変換することができれば、理論上熱効率は100%の夢のエンジンになる。現時点では実現不可能な技術だが、本田氏はここまで思い描いていたのではないだろうか。


 残念ながら、僕は本田宗一郎氏にお会いしたことは無い。しかし本田宗一郎という人物を知れば知るほど、そこには愚直なまでにクルマとバイクに向き合い、そして少年のような純粋で熱い思いを持ちながら技術を突き詰めていった姿がひしひしと感じられる。かつてアイルトン・セナ氏と本田宗一郎氏が共に写っている写真を目にしたことがあったが、そこに写っていたのはアイルトン・セナ氏を前にして経営者としてではなく、まさに少年そのものの屈託の無い笑顔を浮かべた本田氏の姿だった。

 本田宗一郎という人物は、『HONDA』という会社を大企業にしたいと思っていたのではない。ただただ、人から「すげぇ!」と思ってもらえる会社にしたかっただけなのだ。


 さらに次回へ続く



 

迷走するホンダ  その1

2015-04-29 03:34:20 | クルマ社会


 ホンダの元気の無さが最近話題になっている。各自動車メーカーの2015年3月期の営業利益は円安などを背景に各社増益となっているのだが、唯一ホンダだけが4%の減益となった。マスコミはこの結果について、例のタカタ製エアバックのリコール問題が影響している、といったような解説をしているのだが、僕はそれだけが原因ではないと思う。現在のホンダの低迷、そして迷走は実はもっと前から水面下で始まっていた、と僕は感じている。
 だいぶ前の話になるのだが、例の三菱自動車のリコール問題が発覚した頃、僕はある友人に「実は三菱自動車がそのうち問題を起こすことを予想していた」と言った。そして岡山の友達には以前から言っていた、と伝えたことがある。その時の友人は半信半疑に僕の言うことを聞き、「じゃあ、三菱の次に問題があるメーカーはどこ?」と僕に質問してきた。その質問に対して、僕は「もしかするとホンダかな」と答えたことがあった。それはクルマの仕事をしていた頃から、ホンダのクルマ作りに対してずっと疑問を持ち続けてきたからだった。

 僕がクルマの仕事をしていたのはかれこれ二十年ほど前である。その当時のホンダ車は、どれもこれもみな衝撃的なほどボディがぐにゃぐにゃだった。それはホンダ車が他のメーカーのクルマとは明らかに違う、特異なボディ構造をしていたからだ。例えばフロント部分だが、通常、クルマのフロント部分の骨格というのはラジエーター下部にフロントクロスメンバー(第一メンバーとも言う)があり、ラジエーター上部にはコアサポート(ラジエーターサポートとも言う)がある。これらは通常であればボディにしっかりと溶接されていて、フロント部分のボディ剛性を確保するとともに、衝突時にはそのエネルギーを受け止める重要な役目を担っているわけだ。ところが当時のホンダ車は、このフロントクロスメンバーとコアサポートが極端に細く、しかも驚いたことに溶接ではなくなんと10ミリのボルト数本で固定されているだけだったのである。さらにフロントバンパーも、通常のクルマであれば表面のバンパーフェイスの内側にはホースメントと呼ばれる骨格が存在するのだが、当時のホンダ車はそれも無し。つまりPP製のバンパーフェイスをそのまま細いステー二本だけで、しかもこれまた10ミリのナットでボディに取り付けているだけ、という簡単なものだったのだ。能天気なことを言えば、これらは整備する側にとってみればとてもありがたい。なにしろ10ミリのボルトやナットをポンポンと外していくだけでフロント部分は全て外せてエンジンやミッションが簡単にむき出しになるのである。エンジン、ミッションの積み下ろしなどの作業も驚くほど楽チンだ。
 しかし、ボディ剛性、そして特に衝突安全性の面から言えば、これほど恐ろしいクルマは無い。

 その当時フロント事故を起こしたBA4、5型プレリュードを二、三台見たことがあったが、その特異なボディ構造のために事故の衝撃がフロント部分だけでは収まらない。つまりキャビン側、とくにフロア部分が事故の衝撃によって変形しやすく、なかにはフロアが裂けて室内から地面が見えてしまっているプレリュードもあった。ちなみにこれほどまでにボディの損傷が激しかったにもかかわらず、このプレリュードはエンジン、ミッションが全くの無傷だったことをよく覚えている。どうやらホンダはエンジン、ミッションの剛性にだけは相当なこだわりがあるらしい。
 
 忘れられないのはEF型シビック3ドアである。ある日、知り合いのレッカー屋さんで雑談をしていた時に二台の事故車が運ばれてきた。この二台、聞いた話では高速道路の合流で事故を起こしてしまったのだそうだ。
 まず最初に運ばれてきたクルマは二代目のフォルクスワーゲン・ゴルフの3ドア。高速道路の本線が混雑していて、合流時、前のクルマにこのゴルフが後ろから追突、という事故だったようだ。ただ追突とは言ってもそれほど激しい事故といった感じはなく、自走できる状態。フロント部分は確かに潰れてはいるのだが、フロントガラスも割れずに生きている。僕はそれを見てレッカー屋の社長さんに、「仕事が来た!」とのんきなことを言って笑っていた。そこの会社はレッカー業とともに鈑金業もしていたのである。
 ところが、次に運ばれてきた追突された側のシビックは衝撃的な姿だった。後ろが無残に潰れて全長が3分の2ほどになってしまっている。フロアとルーフはグシャグシャになり、おまけになんとスペアタイヤが運転席のバックレストに刺さってしまっていた。後部に搭載されていたスペアタイヤが事故の衝撃によって飛び出し、バックレストを直撃してしまっていたのである。このためバックレストは『くの字』に曲がり、シート全体も前方へと押し出されてしまっている。ドライバーはフロントガラスに頭をぶつけていて、割れたフロントガラスには血痕とともに頭皮と髪の毛がぶら下がっていた。
 僕はレッカー車の運転手に「この人、死んじゃった・・・?」と恐る恐る聞いてみた。すると運転手はニコッ、と笑い、「大丈夫。けっこう元気だったみたいだよ!」との答え。元気とは言ってもおそらく重傷になると思うが、それでも命が助かったことが奇跡と思えるくらいにこのシビックは損傷が激しかった。

 なぜ当時のホンダ車はボディがぐにゃぐにゃだったのか。はっきりしたことはわからないが、恐らく軽量化のためだったのではないか、と僕は思っている。ボディを徹底的に軽量化して、ホンダ車らしいキビキビとした走りを実現する。こういう狙いがあったのではないだろうか。本来であれば安全性を犠牲にしてまで走りを追及することなどあってはならないことだが、当時のホンダは『禁じ手』でもあるそれをやってしまっていた。ホンダという会社は、いったん『こう』と決めたら、それ以後はあまり立ち止まってモノを考えないような体質、もしくは立ち止まって軌道修正ができないような体質があるのではないだろうか。
 立ち止まってモノを考えない体質。立ち止まって軌道修正ができない体質。ホンダという会社がこのような体質を持っている、と考えると、実に様々なことに対してつじつまが合ってくる。

 例えば2009年に登場した二代目インサイトだ。三代目プリウスとほぼ同時期に登場したこのハイブリッドカーは当時大変な話題となったクルマなのだが、登場してからわずか五年、つまり去年にひっそりと姿を消した。聞けばハイブリッドシステムが旧型化したために生産中止、ということになったらしいが、はっきり言ってこれは我々ユーザーをバカにしているのと一緒である。要するにこのインサイトは『プリウスのパクりデザインでプリウスよりも安物ハイブリッドシステムを搭載し、プリウスとたいして変わらない値段で売る』というクルマだったということだ。なぜなら本当にハイブリッドシステムが旧型化した、という理由であるならば単純にフルモデルチェンジをすればいい。フルモデルチェンジをして新しく最新鋭のハイブリッドシステムをインサイトに搭載すればいいのである。しかしそれをやらずにいとも簡単にさっさと生産中止にする、ということは、ホンダ自身が『プリウスのパクりデザインでプリウスよりも安物ハイブリッドシステムを搭載し、プリウスとたいして変わらない値段で売る』という商法はもう限界だ、と決断したということだろう。ホンダの一連のこの行為は、インサイトを買ってしまった方や、あるいは熱烈なホンダファンの方々に対して完全なる裏切りではないか。なぜインサイトというクルマを作る前に自らの行為を立ち止まって考えなかったのだろうか。どうして軌道修正ができずにそのまま販売してしまったのだろうか。本家本元のプリウスは今でも時代に適合しながら立派に販売されている。この現実をホンダはいったいどう受け止めるのだろう。

 さらには現行フィット・ハイブリッドのリコール問題である。このフィット・ハイブリッドに搭載されているDCT(デュアルクラッチトランスミッション)は、発売当初から立て続けに三回もリコールされた。そしてとうとう三回目は生産と販売の一時停止という事態にまで発展してしまったのである。
 ハイブリッドシステムにDCTというトランスミッションを組み合わせることは確かに難しかっただろう。一から開発するのは難しいため、ドイツのシェフラー社のDCTユニットを使用する、という意図も理解できる。だが難しい技術をあえて採用すると決めたのであれば、実際に繰り返しテストをして不具合を確認しながら問題をひとつずつ克服し、コツコツと時間をかけて熟成させる、という地道な作業が必要になってくるはずだ。それが他社製トランスミッションであればなおさらである。しかし残念なことに、ホンダはこの作業を諦めることなく最後までやり切ることができなかった。このDCTのリコール問題は、要するにテスト不足、熟成不足からきていると僕は見ている。
 コスト削減のためなのか。あるいはスケジュールが間に合わなかったのか。これはホンダ自身にしかわからない。しかし発売する前に「やっぱりこのまま発売することはできない」とどうして立ち止まることができなかったのか。もしくは開発途中で「今回はDCTの採用は見送ろう」とどうして軌道修正することができなかったのか。
 発売後に問題が発生し、生産と販売を一時停止する。こんな大失態は、ホンダが目標としているトヨタは絶対にやらない。


 次回へ続く


 

エンジンは次世代でも主要な動力源であり続ける、と思う    その2

2014-10-04 02:11:42 | クルマ社会
 
 僕と同様にエンジンに魅せられた人間は、みなクルマが好き、あるいはバイクが好きだろうと思う。そしてそういった人々は、前回僕が書いたエンジンの好みに対してあれこれと意見を持っているはずだ。
 「4A-Gはあまり好きじゃないなぁ・・・」
 「EZ30よりもやっぱりEJ20だろ!」
 「B16Aより13Bのほうがいいに決まっているじゃないか!何言ってんだこいつ!!」
 「バイクはやっぱり並列四気筒エンジンだろ!分かってないなぁ」
など、いろいろな意見があると思う。好みは人それぞれ。エンジンに魅せられた人々は、実に様々な意見を持っているものだ。それでいいと思うし、それが楽しい。エンジンが好きな人とエンジンについて語り合う時間は、僕にとって実に幸福な時間である。

 しかし、これが『電気モーター』になるとどうなるだろうか。

 クルマが世界中の人々に愛されてきた理由、それは単に便利で手軽な移動手段だからというだけではない。その心臓部には『エンジン』というまるで生き物のような内燃機関が存在し、そこに人それぞれの多様な好みが存在してきたからこそ愛されてきたのである。クルマというのは実用品であると同時に『嗜好品』でもあるのだ。もちろん電気自動車結構、燃料電池車大いに結構。存在を否定するつもりは毛頭無い。しかし、これから先の時代に世界中の人々がエンジンと同じように電気モーターにも魅せられるとはとうてい思えない。「このモーターの回転フィールは・・・」とか、「高回転の伸びが・・・」などと意見を言いあうことも無いだろう。そしてそこには、もはや『嗜好品』としてのクルマの姿は存在しないのではないだろうか。

 嗜好品としての要素が全く無い、単なる実用品としてのクルマ。僕はそんなクルマが次世代で主流になっているとは思えない。世界中の多くの人間は、そこまでドライにはなれないと思う。

 もちろん、感情論や精神論だけでは無い。そもそも僕は、『歴史上、電気モーターはエンジンに負けた動力源』であると思っている。

 多くの人は電気自動車や燃料電池車が新しい技術だと思っているが、実はそうではない。初めて電気自動車が発売されたのが1886年(イギリス)。つまり内燃機関(エンジン)の乗り物誕生とほとんど変わらないのである。当時は産業革命以降に誕生した蒸気自動車に変わる動力源として、電気自動車と内燃機関の自動車が覇権を争った。最初は電気自動車がリードしていたのだが、しだいに内燃機関の自動車が主流となっていく。恐らくバッテリーの問題だと思うが、早い話、この時点で電気自動車はすでに負けているのである。
 また、フェルディナント・ポルシェ博士が作ったハイブリッドカーは有名だ。もともと電気工学を学んだポルシェ博士は、1900年に電気モーターとガソリンエンジンによるハイブリッドカーを市販化させている。市販化しただけでも驚きなのだが、さらにこのクルマの電気モーターはなんとインホイールモーター、つまりホイール内部にモーターを内蔵しているのである。今から百年以上も前にこんな驚愕のハイブリッドカーを作ったポルシェ博士はまさに天才と呼ぶにふさわしい人物なのだが、そのポルシェ博士も以後は電気モーターを使用したクルマを生み出してはいない。このことは、天才ポルシェ博士も電気モーターよりエンジンのほうが優れている、という判断をしたからではないだろうか。
 さらに我が国日本でも、戦後に『たま電気自動車』というメーカーがあった。あの立川飛行機をルーツに持つこのたま電気自動車は、戦後のガソリン不足から生まれた生粋の電気自動車メーカーだった。のちに中島飛行機の一部と合併して富士精密工業、そしてプリンス自動車になっていくのだが、やはりここでもエンジニアの方々は電気モーターではなくエンジンを選択している。

 「そりゃ、当時の技術ではモーターとバッテリーの性能が悪かったからだろ!現在は比べものにならないくらいに進化してるし、これからも進化する!だからエンジンじゃなく電気モーターの時代が来るに決まってるさ!!」
 たぶんこう思っている方は大勢いると思う。しかし、進化するのはエンジンも同じである。現在、ガソリンエンジンの熱効率はおよそ36パーセント程度だと言われている。このことは、逆に言えばあと64パーセントもの進化の余地がある、ということだ。熱効率がすでに100パーセントに近いのであれば、当然「エンジンに未来は無い」という話になるのだが、大幅に進化の余地がある以上、まだまだ「エンジンに未来は無い」と結論付けることはできないのではないだろうか。

 繰り返しになるが、僕は電気自動車や燃料電池車を否定しているのではない。それどころか、電気自動車を「楽しい!」とさえ思っている。実は今から七年ほど前に、僕はヤマハの電動バイクである『EC02』に試乗して、その無音で走る独特の面白さに夢中になってしまった。もはや買う気満々、即行でお金を工面して数日後に注文しに行くと、残念なことにEC02はバッテリーのリコールで販売中止となっていたのである。もはやバイクを買う気満々のバイク馬鹿がバイクを買えなくて「仕方がない・・・」と諦めることなどできない。この時にさらにお金を足して現在のピアジオX9を買ってしまった、という経緯がある。だから電動バイク、そして電気自動車の面白さは十分に理解しているつもりだ。

 面白さは認める。だが、電気自動車や燃料電池車のことを『次世代のクルマ』ともてはやし、エンジンのクルマを『いずれ無くなるクルマ』とするマスコミや一部の人の風潮に僕は我慢ならない。電気自動車や燃料電池車にも欠点はある。例えばイギリスのBBCが放送している『トップ・ギア』という番組でアメリカのテスラの電気自動車をテストしたら、電気モーターがオーバーヒートしてしまった。スポーツカーだから、と、電気モーターをブン回して試乗しているうちにオーバーヒートして動かなくなってしまったのである。マスコミは電気自動車の欠点として『インフラ整備の遅れ』や『航続距離の問題』、あるいは『充電時間の問題』をよく挙げているが、実はそれだけではない。このオーバーヒートも含め、潜んでいる欠点は他にもきっとある。日産や三菱がインフラ整備のコストやバッテリーの保障に多大な負担を背負っていることも見逃せない。このまま負担を背負いながら、はたして電気自動車を作り続けることができるのだろうか。
 もちろん環境問題を考えた上で電気自動車や燃料電池車が重要だ、という考え方は理解できる。しかしこの先、エンジンの熱効率が飛躍的に向上したら、電気自動車や燃料電池車の優位性はいったいどれほどあるだろうか。熱効率が向上して驚愕の低燃費を実現したうえで、今日まで百年以上もエンジンのクルマが培ってきた便利さ、手軽さ、面白さが備わっている。そんなクルマに電気自動車や燃料電池車は、はたして勝つことができるのだろうか。

 僕はそうは思わない。エンジンという素晴らしい機械は、次世代でも依然として主要な動力源であり続けていると思う。

エンジンは次世代でも主要な動力源であり続ける、と思う    その1

2014-09-01 01:14:54 | クルマ社会
 僕が初めてエンジン付きの乗り物を走らせたのは、確か小学5年生の頃だったと思う。

 
 何かとヒステリックな方が多い世の中なのではじめに断っておくが、乗った場所は従兄の家が所有していた駐車場である。公道ではない。未舗装だったがスーパーマーケットの駐車場くらいの大きさで、近隣の住民に貸していた。ちなみに現在はもう宅地になっている。
 当時母親と一緒に遊びに行くと、二十歳ほど年の離れた従兄が「バイクに乗ってみる?」と僕に聞いてきた。僕はもちろん「うん!!」。それまで自分の家の敷地内でクルマをちょっとだけ動かした経験しかなかった僕にとって、それはまさに夢のような出来事だった。
 従兄がガレージから出してきたバイクはヤマハのGT50、通称『ミニトレ』だった。50ccの2サイクル単気筒、ミッションは四速リターン、パワーは4馬力程度だったと思う。まず最初にギアチェンジの操作を教わったが、いまいちよく分からない。「とにかく、まずはやってみ!」とミニトレを渡され、言われたようにギアをローに入れてクラッチを繋げるが、エンスト。キックでエンジンを始動し、同じようにやってみるが、またエンスト。悔しくて泣きそうになりながらそんなことを4、5回繰り返した後、ミニトレはようやく僕の身体を乗せて元気良く走り始めてくれた。

 その時のことを僕は今でもはっきりと覚えている。快感と感動で、まるで全身に電気が走ったようだった。本当に全身が震えたのである。僕はもう四十才を過ぎたオッサンだが、今まで生きてきて快感と感動で全身が震えた経験は唯一この時だけだ。だからはっきりと覚えている。それは生涯忘れることのできない、宝物のような感覚だった。
 「バイクってこんなに楽しいのか!」と思った。そして同時に「エンジンて素晴らしい!最高だ!!」とも思った。

 僕はそれ以来、クルマ好きバイク好き、そしてエンジンが大好き、である。ただの金属の塊であるはずなのに、火を入れた瞬間からまるで魂が存在するかのように躍動する。さらにはただの金属の塊なのに、火を入れるとそれぞれに性格や個性までもが存在する。そこがエンジン大好き、言い換えればエンジンに魅せられてしまう要因なのだと思う。

 僕の好みのエンジンは、クルマの場合は多気筒で高回転まで元気よく回るエンジンである。とにかく滑らか、かつビュンビュン回るエンジンが好きだ。極端に言えば、回さないと元気が出ない、というエンジンでもいい。多気筒ではないが、『回さないと元気が出ないエンジン』と言ってすぐに思い浮かぶのはAE86時代のトヨタ4A-Gエンジンである。それこそ低速トルクは激細だが、そんなことはどうでもいい。4A-Gには激細の低速トルクをこまめなシフトチェンジによってカバーしながらせっせと走る、という楽しさがあった。今乗っているレガシィのEZ30エンジンも似たような性格を持っていて回さないと元気が出ないのだが、もちろんそれを承知で、そういう性格が好きだからEZ30エンジンを選んだ。滑らかで、なおかつ回すほどに刺激を増していく。これが実に気持ちいい。だから、最初からトルクがモリモリある最近のターボエンジンはあまり好きではない。
 クルマの仕事をしている時には様々なエンジンに触れていた。日産のRBやCA、SRエンジン、トヨタの3S-G、マツダの13Bロータリーエンジンなどはよく覚えている。みなターボ化されてパワフルなエンジンだった。しかし当時、最も衝撃を受けたのがホンダのVTECエンジンである。このVTECが初めて採用されたエンジンがB16Aなのだが、このエンジンに初めて乗った時は本当に衝撃的だった。9000回転付近まで一気にキュイーンと回るのだが、低速トルクもちゃんとある。おまけに回転のキレも抜群で、アクセルオン、オフに対するレスポンスが半端ではない。それはまるでレース用のチューニングエンジンのようだった。こんなにすごいエンジンを市販化していいのか、とさえ思ったほどだ。四気筒エンジンだが、個人的には『百点満点』のエンジンである。

 ところが、どういうわけかバイクのエンジンの好みはクルマとは正反対になる。つまり単気筒、もしくは二気筒エンジンで最初からトルクがモリモリ、さらには振動でブルブル震えるような荒々しいエンジンが好きなのである。今まで合計八台のバイクを乗り継いできたが、それらはすべて単気筒か二気筒だった。もちろん四気筒エンジンのバイクにも乗ったことはあるが、いまいちピンと来ない。若い頃に北海道でカワサキのZRX400という並列四気筒エンジンのバイクをレンタルで借りて一日中走った時、そのあまりの素晴らしさに「帰ったらZRXを買おう!」と思ったことがあったが、結局買わなかった。旅行後に「ちょっと一週間ほど考えてみよう」と思い、実際に一週間が経ったらあっけないほど買う気が失せてしまったのである。旅行中はあれほどに気に入っていたのになぜ買う気が失せたのか自分でも不思議に思うのだが、結局僕はクルマにはバイクのような性格のエンジンを求め、そしてバイクにはクルマのような性格のエンジンを欲している、ということなのかもしれない。
 印象深かったバイクはヤマハのSRX400である。若い頃にボロボロだったものを九万円で買い、せっせとレストアしながら仕上げたバイクだったのだが、このSRX400には京浜のCRキャブレター二個を知人から安く入手して取り付けた。そして乗ってみてびっくり。『豹変』と表現したくなるほどレスポンス、パワー感、トルク感ともに大幅アップしたのである。「CRキャブってすごいな!」と思うと同時に、僕はこの時初めて『いいキャブレターに変えるとエンジンは豹変する』という事実を知った。だから、現在でもクルマやバイクで頑なにキャブレターにこだわる方の気持ちはとてもよく理解できる。キャブレター仕様のエンジンは、実に奥が深い。ただ、CRキャブはアクセルがやたらと重くなるのが欠点だ。やはりCRよりもローラー付きフラットバルブのFCRのほうがいい。


  次回へつづく