本田宗一郎氏は生前、「自分の名字を社名にしたのは間違いだった」と語っていたそうだ。
なぜ間違いだったのか。それは『HONDA』という会社が自身の意に反する方向へと勝手に進んでいってしまったからだ。
残念ながら、本田氏が指揮を執っていた頃の四輪市販車部門は順調だったとは言い難い。S600やS800で名声は得るものの業績は芳しくなく、N360はヒットしたがホンダ1300の失敗で窮地に陥る。当時の新聞には『ホンダは四輪から撤退』という報道もされていたそうだ。その後も初代シビックが大ヒットするものの、二代目シビックで再び販売不振、という具合だった。当時のホンダ四輪部門の関係者はさぞかし辛い思いをしただろうと思う。
本田氏が第一線を退いた後、ホンダはデザインを重視し、なおかつ人々に理解されやすいクルマ造りをしていくようになる。それまで本田氏のクルマ造りが硬派だったのに対し、軟派なクルマ造りへの大転換だ。それは辛い思いをしたからこその大転換でもある。都会的でスポーティなイメージを大事に育み、しだいに多くの人々はホンダ車を支持するようになっていく。そしてあのオデッセイとステップワゴンの爆発的大ヒットを経て、ホンダはトヨタに次ぐ国内第二位の自動車メーカーに成長していくことになる。
辛い時代を経験した四輪部門の関係者はまさに万感の思いだろう。「俺たちはとうとうここまで来た!」という喜びと誇りで満ち溢れているはずだ。
しかし、先ほどの「自分の名字を社名にしたのは間違いだった」という本田宗一郎氏の発言である。
本田氏のクルマ造りやバイク造りの哲学は理想の追求、そして夢へのチャレンジだったのだと思う。少年のような純粋さで技術と向き合い、多くの人から「すげぇ!」と思ってもらえるモノ造りをする。恐らく会社の規模や販売台数、売上や利益率といったものは二の次だったのではないだろうか。そう解釈すれば、「自分の名字を社名にしたのは間違いだった」、という発言の真意を理解することができる。要するに、ホンダの軟派なクルマ造りを複雑な思いで見ていたに違いない。
自分が退いた後のホンダを見ていて、本田氏はあまり嬉しくはなかったのだろう。そして巨大な自動車メーカーとなった現在のホンダの姿を見ても、やはり本田氏はあまり嬉しくはないのではないか。そしてついでに僕の感想も言わせてもらうが、僕もやっぱり、嬉しくない。
デザインを重視することは大切なことだ。都会的でスポーティなイメージにしていくことも正解である。だが本田氏が退いた後のホンダはどう見ても必要以上に軟派過ぎだ。ミニバンが売れるとわかるとラインナップをミニバンだらけにする。プリウスが売れているとプリウスそっくりのインサイトを登場させる。さらには軽自動車が売れるとなると、それまで世話になった子会社から軽自動車の生産を奪う、というありさまだ。そこに本田宗一郎氏の哲学は全く存在しない。最近はテレビで『スポーツが好きだ』などと言うCMを放送していたりするが、ミニバンばかりを作っているメーカーが何言ってるの?と思わずツッコミを入れたくなる。
それだけではない。なにより僕が心配しているのは、『技術』に対する現在のホンダの見解である。
ホンダは2012年にNC700という大型二輪のバイクを新しく登場させた。そのNC700の開発秘話みたいなものが以前、日経新聞に掲載されていたのだが、その記事を読んで僕は驚いてしまった。
NC700のエンジンは669ccの二気筒エンジンを搭載している。そしてこの二気筒エンジンだが、なんと四輪車のフィット用の四気筒エンジンを半分にぶった切ったものなのだそうだ。いったい何を考えているのだろう。確かにコストを考えてそういう安直な作り方も有りなのかな、とは思うが、ホンダがそれをやってはいけない。絶対にやってはいけない。これでは本田宗一郎氏の哲学を完全に否定しているようなものではないか。さらに、ホンダの技術者がそういう裏話を新聞の取材で平然と話してしまうことも僕には全く理解できない。このホンダの技術者は、「フィットのエンジンを半分にぶった切ったものです」と聞いてNC700を買う人が喜ぶとでも思っているのだろうか。「すげぇ!」と感激してNC700を購入するとでも思っているのか。そういえば、ホンダの関係者は以前にも日経新聞で「軽自動車のNシリーズの利幅はフィットよりも多い」という余計な裏話をしていた。どうやらホンダの人々は、買う人の気持ちを逆なでするのが得意なようだ。
そしてさらにこのNC700の技術者は「フィットの低燃費エンジンがベースになっているため、NC700もとても低燃費です」と誇らしげに語ってもいた。しかしこれは本当に誇れることなのだろうか。燃費を気にするのならば、もっと排気量の小さなバイクに乗ればいいだけの話ではないのか。はっきり言わせてもらうが、僕は長年バイクに乗ってきて、燃費を気にしながら大型バイクに乗るライダーに出会ったことは今まで一度も無い。
ホンダは迷走している、と僕は思う。順調に業績を伸ばしてきたホンダだが、その実態は本田宗一郎氏が退いて以降、ずっと迷走し続けているように僕には見える。会社の方針、そして『技術』に対する見解。思えばかつての動力性能を向上させるための軽量ぐにゃぐにゃボディ、そして現行フィットのトランスミッションリコール問題などはまさにホンダの『技術』に対する見解が完全に迷走した結果だった。そして近年は、良かったはずのデザインにも迷走が表面化してきている。どのクルマもボディ表面のあちこちに無数のラインを入れているせいで、ガチャガチャとうるさいデザインになってしまっている。CR-ZやS660はディテールの悪さが全体のデザインをスポイルしてしまっているし、シャトルに至ってはそもそもボディ全体のデザインバランスがあまり良くない。例えばこれがスバルならば「御愛嬌」といった感じになるが、長年デザイン重視でやってきたホンダはそうはいかない。このままのデザインでいけば、そう遠くない時期に『都会的でスポーティな会社』というイメージさえ崩壊してしまう危険性がある。
『スポーツが好きだ』というCM以上に腹が立つホンダのCMがすこし前にあった。初代カブから始まり、F1のRA272、そしてS800、スーパーカブ、T360と、ホンダのクルマやバイクが歴史順に映し出されていく。そして最後に次期NSXとおぼしきクルマが映し出され、最後にこう言う。
『きのうまでのHondaを超えろ』
・・・何だそれ?
本田宗一郎氏の哲学を自ら否定しておきながら、本田宗一郎氏が築き上げた栄光にすがる。「自分の名字を社名にしたのは間違いだった」、と本田宗一郎氏に後悔させた会社が本田宗一郎氏の作品を並べて自慢する。厚顔無恥、とはまさにこのことだ。
今のホンダにきのう『までの』Hondaを超えることなどできない。可能なのはきのう『の』Hondaを超えることだけだ。