goo blog サービス終了のお知らせ 

自動車学

クルマを楽しみ、考え、問題を提起する

はじめに

2012-01-04 06:18:37 | はじめに
なぜクルマに惹かれるのか

 僕はなぜクルマが好きになったのか、正直自分でもよく分からない。
 母が言うには、僕が最初に覚えた言葉は「アカ」だったそうだ。それが信号機の赤だったのか、赤いクルマのことだったのかは定かではないが、いずれにしてもこのどちらかの「アカ」という言葉を覚えたみたいだ。私のこともアカ、アカって呼んでいたのよ、と母は昔笑って教えてくれた。人生スタートしてまもなくの時点でこれだ。クルマが好きになったきっかけなんて覚えているはずもない。記憶が確かなのは幼稚園の時にはすでに幼児向けのスーパーカーの本を読んでいたこと。フェラーリ、ではなくふぇらーり、などとすべてひらがなで書いてある本だ。当時はスーパーカーブームだったから、そういった本があったのだろう。そういえばひらがなもすべてクルマの本で覚えた気がする。おもちゃはすべてミニカーで、母が言うには他のおもちゃを買ってあげようとしてもトミカのミニカーコーナーから決して離れようとはしなかったらしい。
 今は健康そのものだが、小さい頃は病弱な男の子だった。生まれてすぐに重い腎臓病を患い、一年半の入院生活。おまけにアレルギーと喘息持ちという悲惨な状況だ。小学三年生までは給食も食べられず、友達と思いっきり走りまわることもできず、学校から帰るとすぐに昼寝、という生活を送っていた。腎臓が悪いと疲れやすいから、昼寝をしないと体力が持たないのである。
 昼寝から覚めるとミニカーで遊ぶか、クルマの絵を描くかのどちらかだった。特にミニカー遊びは大好きで、空想の中でいつもクルマの運転をしていた。ブーン、ブーンと自分の声で排気音を真似てミニカーを走らせる。どこか遠い所へ思う存分走っていきたかった。
 とまあ、小学三年生までは暗い話なのだが、四年生になるともう我慢がきかなくなる。親から禁止されていたアレルギーになる可能性があるもの、例えばチョコレートなどをこっそり食べ、先生が心配して家に電話をかけてくるほど学校で走りまわり、親があきれるほど自転車で遠出をする。友達と往復百キロほどのサイクリングに出かけたのもこの頃だった。鬱屈した幼少期を送った経験から、今でも自由を妨げられることを極端に嫌う性格である。

 こんな僕ももうすぐ四十になる。アカ、アカと言葉を発して以来、ずっとクルマが好きである。いや好き、なのではない。惹かれている、惹かれ続けていると表現したほうが正確だ。バイクも同じくらい惹かれていて自分には欠かせないものであるが、バイクとクルマのどちらかを選べ、と問われればやはりクルマを選ぶだろう。

 僕は基本的に操縦するものが大好きである。鉄道も好きだし飛行機も操縦してみたいなぁと思う。タイヤが自分の背丈ほどもある重機を一度操縦したことがあるが、あれはなかなか楽しかった。ガンダムを操縦するアムロになったような気分になれる。まあガンダムは別として、これらの中でクルマに一番惹かれる理由はその軽快さと自由、刺激、そしてデザインにある。
 それこそ幼稚園児の頃から、早くクルマに乗りたい、乗りたいと強く思ってきた。それは徒歩より自転車よりなにより自由だからだ。どこまでも走っていける。道さえあれば好きなところへ行ける。鬱屈した生活を送っていたからそう思ったのかもしれないが、これは人類の歩みと同じ、いわば本能のようなものでもあったと思う。人類はその歴史上、徒歩から動物に乗り、馬車、自転車、クルマ、と移動手段を進化させてきた。これは自由により遠くへ、より速くより快適に移動したいという本能のような欲求を持ち続けてきたからである。もっと言えば、人類はアフリカ大陸で誕生し、自ら自由に移動することで世界中に拡散していったのである。それこそ何万年もの昔から人類が持ち続けてきた自由に移動することへの欲求は、現代の人々にも本能として宿っていると思う。DNA化していると言っても過言ではないのではないか。そういう意味では僕は幼稚園児の頃から本能ムキ出しのガキだったということだ。
 自由を求めるのが本能なら、刺激を求めることもまた本能であるように思う。オットーサイクルエンジンによる乗り物が誕生したのは1885年だが、それからわずか十年後の1895年にはフランスのパリ~ボルドー間で世界最初の自動車レースが開催されている。自動車レースという危険なスポーツは実に117年もの間、人々に支持され今日も続けられている。もはやスピードという刺激に対する欲求や憧れも本能と呼んでもいいのではないだろうか。僕も以前筑波サーキットを何度か走ったり、今でも峠を攻めたりしているが、実に気持ちのいいものだ。充実した時間の流れを感じる。警察だって高速道路ではGTRやZのパトカーに乗っている。スピードを出してはいけないと言いながら、なんのことはない。警察官も速いクルマに乗りたいのである。
 クルマのデザイン。これはもう工業製品のみならず、すべてのデザイン分野で最高峰に位置している。みなさんはその形を見ただけで美しさのあまり鳥肌が立つ、という経験をしたことがあるだろうか。僕はある。それは静岡の松田コレクションに置いてあったフェラーリ250GTOだ。このフェラーリ250GTOの実物を見た時、僕はまさに鳥肌が立ち、毛が逆立つような感覚を覚えた。レースで勝つために生まれたクルマでありながら、その美しさ、繊細さは口では表現できない。ハンパではない。250GTOは250シリーズの中では唯一ピ二ンファリーナではなくフェラーリ自社のデザインである。素晴らしい仕事をしたと思う。もっとも他の250、例えば250GTベルリネッタ、swbなども現代のフェラーリとはケタ違いに美しく官能的で、かっこいい。
 もう一台、腰が抜けそうな感覚を受けたのがランチアラリー、通称037である。アバルト美術館で見たマルティ二カラーの037はまるで眠れる森の美女だった。ピ二ンファリーナのデザインによってラリーで美しく戦うことを使命とされたそのクルマは、美術館の中で静かに眠っていた。王子様のキスにはならないが、僕がキスして037が目覚めるものならキスしたい、と本気でそんなことを思った。250GTOは毛が逆立ったが、037は腰に衝撃が来た。なぜそれぞれ衝撃が来る箇所が違ったのか、今でも不思議だ。謎である。
 僕は美術館で絵画や彫刻を見るのも大好きである。しかしニューヨークのメトロポリタンやグッゲンハイムに行っても、日本の様々な美術館に行っても250GTOや037ほどの衝撃を受ける作品に出会ったことはない。美しいクルマはまさに芸術作品そのものなのである。

 クルマは確かに工業製品の一部である。しかしクルマは白物家電や携帯電話とは違う。例えば同じ百万円でテレビを買うのとクルマを買うのとではどちらがより幸せを感じるだろうか。テレビでお笑い番組を観る、あるいはDVDで映画を観ると考えるより、クルマでドライブをしながら美しい景色を見に行く、おいしいものを食べに行くと考えるほうが楽しく、幸せなのではないだろうか。きっと仕事をするにもやる気が出るだろう。クルマは人間にとって依然として影響力が強いものであり、人生を豊かにしてくれるものなのである。だからこそ百年以上もの間、世界中の人々が夢中になり続けてきたのではないだろうか。
 しかし残念ながら現在の日本人はしだいにクルマのことを忘れつつある。白物家電や携帯電話と同じレベルでクルマのことを考えてしまっている。いや、クルマよりも携帯電話のほうが重要と考える人もいる。五十年後、百年後もクルマは存在しているとは思うが、はたしてその時代の人とクルマの関係はいったいどうなっているだろうか。

 五十年後の僕は元気であれば相変わらずクルマで旅をし、峠を走り、美しいクルマを見て年甲斐もなく興奮するジジイになるだろう。たぶん頭のおかしいジジイ、と周りから認識されているだろうが、こればかりはどうしようもない。

 2012年1月4日