こんにちは。
本日のメ~テレ「UP」内で報道された様子を見て、マスコミというものは「怖い」ものだと痛感しました。とともに、非常に憤りを感じました。
取材に関しては、ニート状態の若者を見世物的に取り上げるのであれば
取材はお断りすると毎回依頼の段階で明確に伝えているのですが、
今回は「脱ニート」に向けての変化の過程がまったく描かれていません。
このブログを見ている皆さんにだけでもまずは真の実態をお伝えしたいです。
このキャンプに関して、塾側が準備・設定したのは、キャンプ地の決定と予約、
利用可能なフェリーの情報、必要な食事の回数と1食あたりの予算。
これだけです。他はすべて塾生たちが自分で考えたり調べたりして
組み上げたのです。
具体的には、
①キャンプ地までの道順、所要時間、必要な通行料
②必要な持ち物(全体用、個人用)
③食事のメニュー、調理方法
④現地で連れる魚とそれに必要なつりの仕掛けや餌、独特な釣り糸の結び方
⑤現地でのレクリエーション
これらを出発前に入念に調べました。
特に、今回モザイクのかからなかった彼に関して言えば、①のすべてを
一人で準備し、行程表も最近学習しているワードで作成。ネットで行程
に関する地図をすべて準備。要所では拡大地図、案内図など、必要な部分を
きっちり準備してくれました。さらに車が2台になることに気を向け、
自分でファイルを購入し、2台分きちんとそれらを整理したファイルを
準備するほど、ほぼ完璧な「仕事」をしました。
1日目は、確かに役割以上に手を出しすぎた観はありましたが、1日目の
反省会で私からその指摘を受け、2日目は、「何もしなかった」のではなく、
サポートに回っていたのです。実際、上手に火を起こすことができない
他の塾生をリードしたり、気を向けていたのは間違いありませんでした。
課題としては、確かに描かれていた謙虚さという面は否めませんが、他の
塾生からも、彼がいなかったらいろいろ不具合があったし、助けられたと
いうコメントをもらっていました。私が課題として指摘したのは、彼の
レベルとして、「さらなるレベル」に向かうためのものであって、
そこだけがクローズアップされたことは遺憾です。キャンプ後、彼は
非常に周囲に気を配り、前向きに取り組んでいます。
また、食事準備に関してもどうでしょう、仮に普通に働いている人で
あっても、いきなり鍋でご飯を炊いたり、おかずを作ったり、やったことの
ないことに取り組むとすれば不安だろうし大変に決まっています。
そういったことに敢えて取り組ませ、自分で調べ、食材も無駄のないよう
準備し、さらに予算内で収める、このような経験を無事こなしていくことで、
徐々に「見えないものへの漠然とした不安」が解消されると思います。
事実、今回4度炊飯しました。毎回分量が違いましたし、薪の火という
不安定な条件でしたが、一度たりとも失敗作はなく、むしろ普段炊飯器で
炊いたご飯よりおいしいと感じるほどでした。その役割を担った塾生は、
素敵な笑顔を浮かべていました。
さらに、釣りで食材調達を担当した塾生も、準備はもう一歩詰めが足り
ませんでしたが、そのことを反省し、ほとんどやったことのない釣りで、
4匹の魚を釣り上げ、「これで少しは役割を果たせましたでしょうか。」
とホッとした表情を浮かべるとともに、担った役割というものに伴う
責任の存在を意識できたわけです。
挙げればきりがないくらい、このキャンプを通じて彼らの変化が見られた
にもかかわらず、むしろ、ニートであるない関係なく犯すようなミス
(道を間違えたことがどうだというのでしょうか。初めて行くところ
にストレートに行くことができる人ばかりなら、カーナビいらない
でしょう。)や気を抜いてもいい場面での行動(フェリーの中で寝ちゃ
駄目なんですか?他の乗客だって多数寝ていましたよ!)を、さも
彼らがニート状態にあるから発生するかのごとき描き方には猛烈に
怒りを感じます。
報道にはその独自性があることは理解できますが、今回の報道で、
ニート=本人の問題という印象が強く残ったのではないかと、
非常に残念でなりません。この事業が国の委託事業として
何を目的に実施されているのかが完全に飛ばされています。
ニート問題は、雇用にも、教育にも、家庭にも、彼らが存在している
この社会環境にも要因はあるはずなのです。報道も同じです。
この報道を見た人、特に「働かない」のではなく「働けない」という
思いでいる人が希望を持てたでしょうか。
また雇用側の人が、社会的経験の乏しい人を受け入れる気持ちが
生まれるでしょうか。
生産性のない、興味本位に映る報道は、バラエティー番組以下。
モザイクなしで取材に応じた彼と話しました。
傷ついています。
社会に対して不信感を深めてしまったのでは、と非常に気がかりです。
本日のメ~テレ「UP」内で報道された様子を見て、マスコミというものは「怖い」ものだと痛感しました。とともに、非常に憤りを感じました。
取材に関しては、ニート状態の若者を見世物的に取り上げるのであれば
取材はお断りすると毎回依頼の段階で明確に伝えているのですが、
今回は「脱ニート」に向けての変化の過程がまったく描かれていません。
このブログを見ている皆さんにだけでもまずは真の実態をお伝えしたいです。
このキャンプに関して、塾側が準備・設定したのは、キャンプ地の決定と予約、
利用可能なフェリーの情報、必要な食事の回数と1食あたりの予算。
これだけです。他はすべて塾生たちが自分で考えたり調べたりして
組み上げたのです。
具体的には、
①キャンプ地までの道順、所要時間、必要な通行料
②必要な持ち物(全体用、個人用)
③食事のメニュー、調理方法
④現地で連れる魚とそれに必要なつりの仕掛けや餌、独特な釣り糸の結び方
⑤現地でのレクリエーション
これらを出発前に入念に調べました。
特に、今回モザイクのかからなかった彼に関して言えば、①のすべてを
一人で準備し、行程表も最近学習しているワードで作成。ネットで行程
に関する地図をすべて準備。要所では拡大地図、案内図など、必要な部分を
きっちり準備してくれました。さらに車が2台になることに気を向け、
自分でファイルを購入し、2台分きちんとそれらを整理したファイルを
準備するほど、ほぼ完璧な「仕事」をしました。
1日目は、確かに役割以上に手を出しすぎた観はありましたが、1日目の
反省会で私からその指摘を受け、2日目は、「何もしなかった」のではなく、
サポートに回っていたのです。実際、上手に火を起こすことができない
他の塾生をリードしたり、気を向けていたのは間違いありませんでした。
課題としては、確かに描かれていた謙虚さという面は否めませんが、他の
塾生からも、彼がいなかったらいろいろ不具合があったし、助けられたと
いうコメントをもらっていました。私が課題として指摘したのは、彼の
レベルとして、「さらなるレベル」に向かうためのものであって、
そこだけがクローズアップされたことは遺憾です。キャンプ後、彼は
非常に周囲に気を配り、前向きに取り組んでいます。
また、食事準備に関してもどうでしょう、仮に普通に働いている人で
あっても、いきなり鍋でご飯を炊いたり、おかずを作ったり、やったことの
ないことに取り組むとすれば不安だろうし大変に決まっています。
そういったことに敢えて取り組ませ、自分で調べ、食材も無駄のないよう
準備し、さらに予算内で収める、このような経験を無事こなしていくことで、
徐々に「見えないものへの漠然とした不安」が解消されると思います。
事実、今回4度炊飯しました。毎回分量が違いましたし、薪の火という
不安定な条件でしたが、一度たりとも失敗作はなく、むしろ普段炊飯器で
炊いたご飯よりおいしいと感じるほどでした。その役割を担った塾生は、
素敵な笑顔を浮かべていました。
さらに、釣りで食材調達を担当した塾生も、準備はもう一歩詰めが足り
ませんでしたが、そのことを反省し、ほとんどやったことのない釣りで、
4匹の魚を釣り上げ、「これで少しは役割を果たせましたでしょうか。」
とホッとした表情を浮かべるとともに、担った役割というものに伴う
責任の存在を意識できたわけです。
挙げればきりがないくらい、このキャンプを通じて彼らの変化が見られた
にもかかわらず、むしろ、ニートであるない関係なく犯すようなミス
(道を間違えたことがどうだというのでしょうか。初めて行くところ
にストレートに行くことができる人ばかりなら、カーナビいらない
でしょう。)や気を抜いてもいい場面での行動(フェリーの中で寝ちゃ
駄目なんですか?他の乗客だって多数寝ていましたよ!)を、さも
彼らがニート状態にあるから発生するかのごとき描き方には猛烈に
怒りを感じます。
報道にはその独自性があることは理解できますが、今回の報道で、
ニート=本人の問題という印象が強く残ったのではないかと、
非常に残念でなりません。この事業が国の委託事業として
何を目的に実施されているのかが完全に飛ばされています。
ニート問題は、雇用にも、教育にも、家庭にも、彼らが存在している
この社会環境にも要因はあるはずなのです。報道も同じです。
この報道を見た人、特に「働かない」のではなく「働けない」という
思いでいる人が希望を持てたでしょうか。
また雇用側の人が、社会的経験の乏しい人を受け入れる気持ちが
生まれるでしょうか。
生産性のない、興味本位に映る報道は、バラエティー番組以下。
モザイクなしで取材に応じた彼と話しました。
傷ついています。
社会に対して不信感を深めてしまったのでは、と非常に気がかりです。