長い時間、同じ場所にいるというのは子供に限らず、苦痛だということです。 私も店を開店した当初は、何をさておき、その場をはなれることのできないのが苦痛で、連れ立って遊びに行く友などを恨めしく思ったものです。
それも20年もたてば、慣れてしまうもので、店のなかだけではなくて、例えば、長時間のフライトで同じ姿勢を保つことを余儀なくされても、人よりはがまんできてしまう自分がいます。 もし、ムショの狭い独房に入ることが仮にあったとしても、俳句でもひねりながら楽にすごすことが出来て、私には懲罰にはならないかもしれない。
というわけでここ20数年、人生の大半を店の中で過ごしている。 言わば、自分の影が貼りついた場所というか、暗闇のなかでもどこに何があるかわかる空間です。 そのなかで客を迎え、客を送り、常連ができて度々来るようになり、いろんな話をする。 私と客とどちらかに不義理があって、しばらくの間来ないことがあっても、風向きが変わるとまた、何もなかったような顔をしてまた訪ねてくる。
そのように私の時間と客の時間の交差する場所として、店は続いています。
彼の訃報を受けたのは、そんなごくありふれた日の昼下りでした。 その朝に病いで30代の若い生涯を閉じたのだと言う。 彼の近況を知らされていなかったので、突然のことに言葉も出ないまま立ちつくしてしまいました。
彼とは20年近い付き合いで・・・ということは、まだ少年に毛の生えた歳の頃からの常連で、大きな体軀にいかつぃけれどどこか愛嬌のある顔をのせた好漢、というところでした。 体とはアンバランスなナイーブな面があって、年上の多い常連達にとても可愛がられていたように思います。
昔、不義理があって一年近く来ないことがあったのですが、その時も何食わぬ顔をして入ってくる彼を許してしまったことを覚えています。 許してしまえる雰囲気が彼にはあったのでしょう。
それがもう4,5年前になるのでしょうか・・・どちらに不義理があったのかわからないまま疎遠になってしまいました。
それでも彼のことだからそのうち笑いながら・・・と思っていたのですが・・・
彼は還ってきているのでしょう。
彼は時間も空間も失って、幾人かのこころに還ってきている。
しばらくとどまり、そして最もいい場所に還ってゆくのだと・・・そう思います。
神よ願わくば
変えることのできる物事を
変える勇気と
変えることのできない物事を
受け入れる落ち着きと
その違いを常に見分ける知恵とを
授けたまえ アーメン
それも20年もたてば、慣れてしまうもので、店のなかだけではなくて、例えば、長時間のフライトで同じ姿勢を保つことを余儀なくされても、人よりはがまんできてしまう自分がいます。 もし、ムショの狭い独房に入ることが仮にあったとしても、俳句でもひねりながら楽にすごすことが出来て、私には懲罰にはならないかもしれない。
というわけでここ20数年、人生の大半を店の中で過ごしている。 言わば、自分の影が貼りついた場所というか、暗闇のなかでもどこに何があるかわかる空間です。 そのなかで客を迎え、客を送り、常連ができて度々来るようになり、いろんな話をする。 私と客とどちらかに不義理があって、しばらくの間来ないことがあっても、風向きが変わるとまた、何もなかったような顔をしてまた訪ねてくる。
そのように私の時間と客の時間の交差する場所として、店は続いています。
彼の訃報を受けたのは、そんなごくありふれた日の昼下りでした。 その朝に病いで30代の若い生涯を閉じたのだと言う。 彼の近況を知らされていなかったので、突然のことに言葉も出ないまま立ちつくしてしまいました。
彼とは20年近い付き合いで・・・ということは、まだ少年に毛の生えた歳の頃からの常連で、大きな体軀にいかつぃけれどどこか愛嬌のある顔をのせた好漢、というところでした。 体とはアンバランスなナイーブな面があって、年上の多い常連達にとても可愛がられていたように思います。
昔、不義理があって一年近く来ないことがあったのですが、その時も何食わぬ顔をして入ってくる彼を許してしまったことを覚えています。 許してしまえる雰囲気が彼にはあったのでしょう。
それがもう4,5年前になるのでしょうか・・・どちらに不義理があったのかわからないまま疎遠になってしまいました。
それでも彼のことだからそのうち笑いながら・・・と思っていたのですが・・・
彼は還ってきているのでしょう。
彼は時間も空間も失って、幾人かのこころに還ってきている。
しばらくとどまり、そして最もいい場所に還ってゆくのだと・・・そう思います。
神よ願わくば
変えることのできる物事を
変える勇気と
変えることのできない物事を
受け入れる落ち着きと
その違いを常に見分ける知恵とを
授けたまえ アーメン