ふらんす座への招待

俳句をあそぼう

友人

2009-04-29 21:31:06 | ジロー
 シベールのシンボルマークは大学時代からの友人に描いてもらったものです。  少女が自転車の車輪のようなものをまわして遊んでいる。  どこか郷愁をさそうこの図は、実はイタリアの画家、キリコの絵の中に小さく同じようなものが描かれていて、模写したわけではないのですが、図案としては借りたものです。

独身だった彼のアパートに、夜も更ける頃たずねて行って描いてもらった記憶があります。  一筆でササッと描いた一枚目、それがすばらしい出来で、これはもっといいものができるかもしれないと何枚も何枚も、何であれ自分が納得するまで止めない彼は描いてくれました。  私は早く家へ帰りたかったのですが、何枚も何枚も夜が明けるまで。  
結局、採用となったのはその一枚目で、不思議なものですね、ササッと描いたものがカップの絵柄になり、20年以上にもわたってたくさんの人の目にふれ、いろいろな感慨をもたらしたりしている。


彼を含め大学時代からの友人があと二人いて、定期的に会っています。  卒業して20年以上たつのに、会えば大学時代と同じような話をしている。  ウマが合うといえばそうなのでしょうが、特に同じ趣味を楽しんでいるということもなく何で続いているんだろうと、時々不思議に思います。  この国の憲法のように出自はともかく続いているから憲法であるように、続いているから友人なのだと言うより他ない  集まる場所としてシベールがあるから続いている、ということであれば私にとってすごくうれしいことなのですが。



 友人が大きなトランクを引いて訪ねてくる。  トランクの中には誰かの死体がはいっていて、友人からその処置について相談を受ける。
あなたならどうする?  友人であるかの分水嶺としてどこかで聞いた話だけど、もしそれが彼らなら、一晩かかって自分が納得するまで考えるかもしれない。


     春惜しむたたむ袱紗のあずきいろ


 次の句会は5月3日(日)  午後5時からです。

2009-04-19 23:29:52 | ジロー
 沢木耕太郎の「無名」を単行本で読んでいたのですが、もう一度読もうと思って探したが見当たらない。仕方なく文庫本を買いました。 いいことがあるもので文庫本の解説を文芸評論家の加藤典洋氏が書いている。

その中で加藤氏は沢木若き日の「敗れざる者たち」を読み返したときの発見を述べている。 幾人かのスポーツ選手に取材したノンフィクションなのですが、元プロボクサー輪島功一とのインタビューのなかで、貧しかった少年時代の話になり、沢木は自分もそうであったと共感を示している。 しかし、その言葉には「貧しい」という表現が回避されている。 「無理な借金をかかえて、僕の家では工員の父親の僅かな給料では普通の生活ができなっかったようだ」という具合に。 「無名」は畏怖し、敬愛してやまない父親のことを書いているのですが「敗れざる者たち」はその読書家の父が読むだろうことを意識して書かれている、と指摘する。

「無名」はごくふつうの父親の死を描いていて、ふつうではない生命の輝きがわれわれの心にふれてくる。 人間の心にはある数学の動きに対応するものがあって、不思議なことに不思議なことを自乗すると、それがわれわれの心に不思議でない普通の外貌で現れる。 要するにふつうのひとのなかにすごいひとがいるということなのですが、沢木はそういうひとを父親に持ち、作家的資質を開花させる。  自分のテリトリー以外のことを書いたり話したりすることのない品の良さをまとうことになる。  他の全共闘世代のように言葉が抽象的、観念的になることなく、対象の身に添うようにその息づかいをリアルに伝える。

また、沢木は父親との会話を他人行儀だとひとに言われ、自らを省みて、人並に反抗期が無かったことを改めて思い起こす。  加藤氏はそこから自説を述べるわけですが、彼と父親との関係には、抑圧する親に対する子供の反抗という近代的な範型が当てはまらない、むしろ親の愛情を負荷としてとらえ、それに答えようと子を縛る脱近代の範型に属するものと認め、そこに沢木の可能性を見ている。
なんだかむずかしくなってきましたが、要するに沢木耕太郎が知ったかぶりではない、信頼にたる作家であり、そういう作家である理由もけっこうわれわれの身近なところからきているということです。


 私の父親も10年前に他界しています。  私の父親は沢木耕太郎の父親のように教養があるわけではなく、田舎から出てきた少々上昇志向の強い常識人でした。  しかし彼と同じように父親との会話を他人行儀だと言われたことがあるし、特に反抗期というものを迎えなかったこともあって「無名」は興味深く読むこととなりました。  価値観を共有し得なかったけれども、私にとっての父親も畏怖する存在であったようです。

なくなってから10年以上もたつのに、期待に答えることのできなかった無念さは消えることなくくすぶり続けているように思います。

むかし父親とキャッチボールした時のこと。  野球のグローブもなかった田舎で育った父はあまりうまくなかった。  それを見て笑った友達にひどく腹を立てたことを覚えています。
私にとって父親とはどういう存在だったんだろう。  それは月並みだけれども、ずっと考え続けるべき課題のようなものかもしれません。


       朧夜の玄関に制服の父

句会レポート

2009-04-11 21:57:52 | ふらんす座
  4月6日(月)
 参加者はたかし、喜哉、ジロー、アキ、アツシ・・改め荒岩張(あらいわちゃん)
今回はたかしさんが風邪気味で、代表としての選句を辞退されて互選のみということになりました。  沈滞ムードのなか、荒岩張が三線をたずさえて遅れて登場。  ふらんす座は遅れてきた人が何かやってくれる。  かねて約束していた三線の演奏を句会のあとに披露してくれるという。
楽しみは後にして句会はつつがなく終了。  そして演奏と相成ったわけですが、これがなかなかいい。  明るく艶めいた三線の音色は春の宵にふさわしく、うっとりと感傷を誘いもします。
「十九の春」「花」と知っている曲のあと、弾き始めた曲、この曲もどこかで聴いたことがあると譜面を見ると、高田渡の「生活の柄」  沖縄の詩人、山之口漠さんの詩をフォークソングに仕立てた歌で、確かアルバムのタイトルにもなっていたと思います。  私と喜哉さんにとっては懐かしく、二人して口ずさんでしまいました。  これじゃまるで同窓会。

三味線は音が伸びるのでギターの代用にはならないらしいのですが、三線はフォークソングの伴奏ができるくらい幅の広さを持った楽器のようです。
気持ちよく歌い上げる荒岩張を見ていると、こちらまで気持ちよさが乗り移ってくるような楽しい夜でありました。

   互選句

    初ものの蚕豆のあり旅の膳    (たかし)
 
    脱ぎ散らす旅着の嵩や春炬燵   (たかし)

    春空に掛く看板の大めがね    (喜哉)

    春昼をへりこぷたあの去りゆく音 (喜哉)

    腹ばひでひく子のピアノ春の月  (ジロー)

    寝ころびて聞く三線や春しぐれ  (ジロー)

    杉ひのきまた杉がくる目ががゆい   (アキ)

    制服のまつり糸とりそで通す   (アキ)

    「もうよせよ」猫の喧嘩を仲裁す (荒岩張)

    石地蔵花とマフラー二重巻き   (荒岩張)

ボタン

2009-04-05 13:30:19 | ジロー
 ボタンがあれば考えもなく押してしまうクセがある。
この間、初めて自分の携帯を持ったのですが、面白いことが起こりました。
奥さんから電話がかかってきてボタンを押したのが終了ボタンで、あわてて着信履歴からかけ直したつもりでいました。  それも間違えてリダイヤルボタンを押していて、さっき試しにかけたお客さんのところにつながるその時、店に電話がかかってきた。  まだ奥さんの携帯にかけたつもりでいるから、通話中のまま店の電話に受け答えしました。  その受け答えがお客さんの留守電にはいってしまい、まだ店の近くにいたそのお客さんが不信に思い店まで来た。
やれやれ。  ややこしいことを瞬時にやってのけました。

それとエレベーターの開閉ボタン。  奥さんと二人で一階から乗ろうとしたところ、メイルボックスを開けている奥さんがなかなか来ない。  閉まりかけたところをあわてて押したボタンが閉じるボタン・・・。
そのままひとり上がってしまい、奥さんのヒンシュクを買ったところでした。
その他、ウォシュレットでズボンの前を濡らしたり、外車を運転させてもらったら、晴れているのにワイパーを止められなかったり、失敗談には事欠かないですね。

慣れてしまえば反射的に正しいボタンを押せるようになると思うのですが、少々トロいのか、世の中の反射速度に合わせようとする気がないのか  何ともはや・・・


 昨日のことですが、電車で帰る日でありまして、電車に乗り座席に座るとケータイを開いてメールを見たわけであります。  皆さんと同じように。  すると何ていうんでしょうか、風景に溶け込むと言うんでしょうか、ある種心地よさがありましたね。  世の中の反射速度と合うというのもそんなに悪いもんじゃないと。


 
    テポドンの竹筒めける春の暮