「死ぬ瞬間」の著作で有名な精神科医は、そのなかで死の受容のプロセスを科学的に検証しています。 いろいろな患者とのインタビューや臨床例をもとにプロセスモデルを作ったり、彼女自身、臨死体験をしたことがあるということからも多くの読者を獲得しているようです。
その彼女の臨終間際のことが事細かに書かれていますが、モデルのようにはいかず、最後までまわりのスタッフに悪態をついていたらしい。
それを読んで私は彼女を批判するというより、ある種人間的な振る舞いに感動のようなものを覚えました。
死を前にした人がじたばたするのは当たり前だし、がまんしてかっこつける必要なんてないと、言外に言っているような気がして。
何があっても動じないこころというのは一見男らしいようだけれども、つまらないものかもしれない。
「もののあわれ」というのは本来、こころが動く状態をさす言葉で、本居宣長さんは、そいうふうに使っていたと記憶しています。
普通に言われている、時の移ろいゆくはかなさのような限定された意味ではなく、動かされるこころの総体をさしています。 そういった意味で「源氏物語」を読み返してみると、もっと面白いかもしれません。
身分が違えば言葉さえろくに交わせない時代に、本音を言える、こころを伝える「うた」という伝達手段があり、恋を告白したり、恨み言を言ったりと、楽しいじゃないですか。 「源氏物語」がうたものがたりと言われている所以でしょうね。
少し脱線しましたが、人は危機的状況になると、概ね、じたばたするということです。 慣れている人は別ですが、例えば、けんかに慣れているとか、お金が無いのになれているとか、何回も死んでいるとか・・・。
健さんもあんな顔をして、内心では寅さんのように、始終じたばた、おろおろしているのではないでしょうか。
もうそろそろ、じたばたしないようにと、じたばたするのは止めにしようよ。 え!
次回の句会は27日(月曜日)です。
りんどうやまだ童顔の郵便夫
その彼女の臨終間際のことが事細かに書かれていますが、モデルのようにはいかず、最後までまわりのスタッフに悪態をついていたらしい。
それを読んで私は彼女を批判するというより、ある種人間的な振る舞いに感動のようなものを覚えました。
死を前にした人がじたばたするのは当たり前だし、がまんしてかっこつける必要なんてないと、言外に言っているような気がして。
何があっても動じないこころというのは一見男らしいようだけれども、つまらないものかもしれない。
「もののあわれ」というのは本来、こころが動く状態をさす言葉で、本居宣長さんは、そいうふうに使っていたと記憶しています。
普通に言われている、時の移ろいゆくはかなさのような限定された意味ではなく、動かされるこころの総体をさしています。 そういった意味で「源氏物語」を読み返してみると、もっと面白いかもしれません。
身分が違えば言葉さえろくに交わせない時代に、本音を言える、こころを伝える「うた」という伝達手段があり、恋を告白したり、恨み言を言ったりと、楽しいじゃないですか。 「源氏物語」がうたものがたりと言われている所以でしょうね。
少し脱線しましたが、人は危機的状況になると、概ね、じたばたするということです。 慣れている人は別ですが、例えば、けんかに慣れているとか、お金が無いのになれているとか、何回も死んでいるとか・・・。
健さんもあんな顔をして、内心では寅さんのように、始終じたばた、おろおろしているのではないでしょうか。
もうそろそろ、じたばたしないようにと、じたばたするのは止めにしようよ。 え!
次回の句会は27日(月曜日)です。
りんどうやまだ童顔の郵便夫