ふらんす座への招待

俳句をあそぼう

「リアル」

2008-05-25 22:15:05 | ジロー

喫茶の仕事をしてもう二十年以上になりますが、いろいろ細々したことが多くて、めんどくさい・・・客がいなくても,仕事をさがせば動きっぱなしという状態が続くわけで、いつも適当なところで切り上げて、ボケッとしている時間を作るようにしています。


近所のグリル・ミヤコのマスターがまだ御健在のころ,毎日のようにいらして、いろいろ話を聞かせていただきましたが、話の合い間によく「喫茶店の仕事は大変だね、水を出して,灰皿を出して、コーヒーを出して、客に愛想をふりまいて(大げさ?)それで350円は安すぎるね」と口ぐせのように言っていました。


体がお休みモードでなかなか動かない時など、遠い(?)テーブルをながめながら、確かミヤコさんはあそこのテーブルに座ってらして、口ぐせのように言ってくれたことがあったなと思い出します。

リアルな笑顔とよく通る声をともなって・・・ 

 

 今日はリアルについて少し


 俳句において客観写生ということが奨励されています。しかし厳密な意味において客観写生というものはありえない。
物を見る・・例えばサイコロを見る、私達は三面しか見えない姿を通して,単一の立方体であるサイコロ(見えない部分も含めた)を「見る」。  私達の「見る」は十全ではなく、そういった哲学用語で言うところの「志向性」から切り離されてはありえない。 物を見る角度によって、その人の感じるリアルは他とは違うものになってくる。 この文脈で言えば客観写生ではなく主観写生ということですね。 そういうふうに物を見ていて、記憶のなかの物もたぐり寄せ、多くの俳句はできています。


テレビの報道なんかもカメラのアングルひとつに主観が入り込むわけで、本当に客観的な報道なんかありえない!
気をつけないと・・・・


 私達が生きている現実そのものと感じるリアルとの関係は、人さまざまなんだろうけど  なんか ビミョーですね。



 先日ポートピアランドの跡地にできた「IKEA」に行ったのですが、ショールームがいくつもあって、さながら家具の遊園地のような趣がありました。  でもリアルに感じたのは、ついこの間まで廃園にさびしそうに佇んでいた観覧車の姿でした。

 

  地球儀を青く回して涼しさよ




横すべり

2008-05-18 23:40:37 | ジロー
 句会をしていてたまにあるのですが、自句対する自分の評価が揺れ動くというか、他人の評価によって自信のあった句がわりにあっさりと、自分のなかでも評価を下げてしまうことがあります。


それは自分の技量不足もあるんでしょうが、もう初心者の域は脱していて、初心者が達者な人達に囲まれて腕を磨く図ではないと思っているので、こういう状態がいつまでつづくのだろうかと気になるところです。
客観的評価がむずかしいことであってみれば,句暦の長い人にもある傾向だと思うのですが・・・


句会仲間の喜哉氏も言っているのですが、子規の句,「鶏頭の十四五本もありぬべし」が人口に膾灸していない状態を仮定して、句会に出せばどれだけの人が選ぶだろうか、誰も評価しないかもしれない。
私も子規の有名句である、ということを通して、評価してしまっている部分がありますね。



 文学にしろ、絵画にしろ、映画にしろ、作品と呼ばれるものに対して、私達が良否の判断を下す際、世間一般の評価というか、権威のある物指しにたよってしまうことが多いですね、  まあ、価値が多様化していて、判断しにくい状況というのがあるのですが、何だか情けなくなることがあります。  たまにマイナーなものに魅かれて、これはすごいと人に紹介しても、それは思い入れたっぷりのものだったりする


 どうしたらいいのかな????


 俳句をしていて俳句をはなれる
何か変な言い方なんですが、権威主義的なものから横すべりして、ある種いかがわしさを身にまとった人達。  ビートたけしさんの映画とか、詩人の荒川洋治さんの文芸評論とか、いろんなところで露出している橋本治さんの言説とかがヒントになりそうな気がします。


 俳句をしていて俳句をはなれる横すべり
よし これでいこう!!


 今月の句会は25日(日曜日)です。


      斎場に白き二の腕更衣

遠足

2008-05-13 19:59:38 | ジロー
 先日の日曜日、お休みをとって妻と京都へ遊びに行きました。行き先は京都文化博物館「源氏物語千年紀展」。  なかなか面白い企画で展示物も絵巻、書写物、調度品と多岐ににわたっていて、映画の上映まであり、博物館のがんばりがひしひしと伝わってくるものでした。


 いつもほどほどの人出のところを探して遊びに行くのですが、その日も並んで入場するということもなかったし、帰りは行きつけの小料理屋のカウンターが空いていて、ゆっくりお酒を楽しむこともできました♪♪

  
 最近は月一回しか休むことができません。妻には非常に悪いと思うのですが、 妻は「月一回だから私はじけることができるの」、とまあかわいいことを言ってくれるわけです。
だから私としましてもがんばっていろいろと行き先を考える、 そう・・・まるで遠足のように


 それは月一回だからでしょうか?
なるほど久々に表を歩いていて、晴れてなんかしていたら、それは気持ちのいいもので、  それが週一回になり、週二回・・いや毎日がお休みになったら、空はどんな風に見えるんだろう、 あるいはまた違った空があらわれるんだろうか・・
私たちの遠足は、もてない男が久々にもてたとか、金のないやつがパチンコで大勝ちしたとか、そいうものだろうか、あ、変なことになっちゃった


 とにかく言えることは、時間にしろお金にしろ、持たないものはある意味シンプルになれるということでしょうね。  客観的に見て人間ていうのは不公平に生を受けているわけだけど、シンプルに見た空が青く感じられれば そこには救いがあるように思えます。

 でもお金は欲しいですね。



  転居してよりの微熱やけしの花

2008-05-04 23:42:05 | ジロー
 私の店の壁はクロス張りではなくてボードにペンキを塗っています。 地震のあとに内装が変わったわけで、もう12年になりますが、塗り直してはいません。 これがいい感じの汚れ具合で、私としては気持ちよく営業しているのですが、内装屋のお客さんは来る度に言うのです。
 「この壁は塗り直したほうがいいですよ。」


 本当に時を経て古びたものであるとか、傷んだものであるとかではなくて、最初から汚れ仕様、傷み仕様になっているものが流行っているみたいですね。 古くはストーンウオッシュに始まり、最近では穴あきシャツ、穴あきジーンズ、そして古びた壁。  それに対して、本当に汚れの目立ちはじめたものはすぐに代えられてしまう。
表側だけで内実が問われない時代なんですね。


 ほとんど海外旅行に行ったことはないんですが、一度イタリアに行ったことがあって(自慢、自慢)、古い街並を歩いていると、懐かしい、という感覚にとらわれたことを覚えています。 流れている時間が違うというか、自分というものを延長できる時間的な奥行とでも言うんでしょうか、古びた壁の前に佇むことがしばしばありました。


 神戸の街は震災後どこもかしこも新しくなって清潔な表通りばかり目立ちます。
そこにはただ今、現在しかなくて、身の置き所がなく、自分を確かめるために表層を固めるしかない人達であふれているようです。

こんな風に言っちゃうと見もふたもないですね。



 今度、ちょい悪風の内装屋さんが来たら言おうと思うんです。
「その髭はそり直したほうがいいですよ。」



  影ふみの影入れかはり燕来る

句会レポート

2008-05-04 23:25:56 | ふらんす座
4.27 句会レポート

参加者/岡見氏・吉川氏・美村氏・喜哉
4名で、カフェ シヴェールにて19時より22時。
出句32句
各自の特選句

岡見氏の特選
「楠若葉匂ひ立つ夜の雨近し」 吉川作
 評/匂いに着目して、自分にとっては、臨場感が有った。

吉川氏の特選
「若葉寒レジに真顔の中国人」 美村作
 評/真顔の中国人がレジで買物か、レジ打ちをしているチグハグな感じが、
若葉寒の季語にイイ感じの距離感を有している。

美村氏の特選
「柏餅その勝鬨の短かけれ」 喜哉作
 評/柏餅の顕題で即興で作った句だが、野村トシロウの句を利用して、
 季語が意外な効果を醸している。

喜哉の特選
「おとうとの来てすぐ帰る柏餅」 美村作
 評/何気ない日常が、柏餅で俄に季節が立ちあがった。
取り合わせの妙。

入選句
泣き面に風吹き若葉香る夜 岡見作
地蔵様酒と煙草とかしわ餅 岡見作
乙女等の風下に見る若葉かな 岡見作
パンドラの箱ぷかぷかと卯波かな 吉川作
追伸に告げたきことを雪柳 美村作
春昼や静かに止まるオルゴール ヨシヤ作
春の雨カクテルレシピ写しをり 美村作
暮の春回転寿司の曲がりゆく 美村作
風ぬけてまうすでにかぎろひの街 ヨシヤ作

主催は不在だが、伝統俳句を20年以上続けている吉川氏が要になって、
現代詩出身の三村氏。英語語学教室講師の岡見氏らによる、
確かな選句が、句会のレベルの高さを実感させる。
たしなむ程度のアルコールを容認しているのも、> 自由な選句や句評に良い影響を与えているのが、
この「ふらんす座」の強味だろう。  文/ヨシヤ