喫茶の仕事をしてもう二十年以上になりますが、いろいろ細々したことが多くて、めんどくさい・・・客がいなくても,仕事をさがせば動きっぱなしという状態が続くわけで、いつも適当なところで切り上げて、ボケッとしている時間を作るようにしています。
近所のグリル・ミヤコのマスターがまだ御健在のころ,毎日のようにいらして、いろいろ話を聞かせていただきましたが、話の合い間によく「喫茶店の仕事は大変だね、水を出して,灰皿を出して、コーヒーを出して、客に愛想をふりまいて(大げさ?)それで350円は安すぎるね」と口ぐせのように言っていました。
体がお休みモードでなかなか動かない時など、遠い(?)テーブルをながめながら、確かミヤコさんはあそこのテーブルに座ってらして、口ぐせのように言ってくれたことがあったなと思い出します。
リアルな笑顔とよく通る声をともなって・・・
今日はリアルについて少し
俳句において客観写生ということが奨励されています。しかし厳密な意味において客観写生というものはありえない。
物を見る・・例えばサイコロを見る、私達は三面しか見えない姿を通して,単一の立方体であるサイコロ(見えない部分も含めた)を「見る」。 私達の「見る」は十全ではなく、そういった哲学用語で言うところの「志向性」から切り離されてはありえない。 物を見る角度によって、その人の感じるリアルは他とは違うものになってくる。 この文脈で言えば客観写生ではなく主観写生ということですね。 そういうふうに物を見ていて、記憶のなかの物もたぐり寄せ、多くの俳句はできています。
テレビの報道なんかもカメラのアングルひとつに主観が入り込むわけで、本当に客観的な報道なんかありえない!
気をつけないと・・・・
私達が生きている現実そのものと感じるリアルとの関係は、人さまざまなんだろうけど なんか ビミョーですね。
先日ポートピアランドの跡地にできた「IKEA」に行ったのですが、ショールームがいくつもあって、さながら家具の遊園地のような趣がありました。 でもリアルに感じたのは、ついこの間まで廃園にさびしそうに佇んでいた観覧車の姿でした。
地球儀を青く回して涼しさよ