ぶたのあな

安定の愚痴率

かかとあれが治らない

2011年09月24日 22時06分41秒 | ダメ人間観察記
はいこんばんわー、ただ生きてるだけの人ですぅ。

この間いたいけな中学生に
「人はなんのために生きるのか?」ってアンケートとったら、
「生きるため」「生まれたから」みたいな
哲人ー!な回答で溢れかえったため、
私がぐじゅぐじゅ言ってるのは
恵まれた世代の傲慢なのかもって思いました。

ついでにここ最近の私の気鬱も
自分で自分のテンションあげられないっつー
しょうもない理由であって、
なんか激しい感情の上下がない平坦な毎日に
疲れ切ってますぅ、みたいな
かまってアピールだったけど、
それも傲慢なんじゃろなっておもいました まる。

幸せなんだろうけど、
ずっと幸せラインで飛んでるから、
あー幸せ、って改めて感じられなくなってるんだよね。
幸福の馴化というか。
同じ刺激には馴れちゃうという生物共通の特徴で。

ちなみにエロマンガによくある
「バイブ入れたまま日常生活」みたいなのも、
馴化で余裕でいける感じになるそうです。
そらまタンポンとか入れて平然としてる女子が
一定数いることを考えればな。
言われてみれば当たり前のことなのにね。
エロを前にするとそういうごく正常な考察にさえ
考えが及ばなくなるんだから、
エロの力ってプラスにもマイナスにも莫大だことがわかりますね。

あれ…こんなこと言うために編集画面開いたんじゃないんだけどな…。

なにが言いたかったのかは得意の五里霧中です。
人は私を頭よい子というので、
私も自分を「頭よい子!!」と奮い立たせて
なんとか空っぽの愛情BOXをティッシュみたいな自己愛で埋めて
生き延びてきましたが、
今日ふと車の中で考えちゃったのよね。

私数学は高校入ってから80点代いったの2回だけなのよね。
実力テストに至っては、無勉強でいったら余裕の29点で、
勉強していっても70点は超えたことなかった。
私の記憶が正しければ、なかった。

選択で3年までとってた生物も、
全く勉強しなくなった後半は60点越えれば御の字だったし、
社会は苦手だった。
どんなに勉強しても、70~80点台が関の山で、
そうそう高得点は出してなかったのよねん。
日本史選択だったけど、特別日本史が好きなわけじゃなかった。実は。
好きな部分だけは嫌にマニアックに覚えているんだけれど、
興味ないところは本気出して興味なくて、
特に文化面のこの時代どういう作品があったとか、
あと輸入輸出のどういう商品が流通してたかみたいなところが、
全くもって興味なかった。
ほんで、点数のびねった。今から振り返ると、普通ぐらいの成績だったと思う。

で、じゃあ私は何が得意なのよと考えてみたら、
英語と国語で優等生の面目を保ってきた気がしたんだけれども、
それすら今やろうとすると、
中学生の英単語すら危ういくらいで、
全然身になってなくてですね、私の学力は。

あ。私ガチモンの詰め込み学習の産廃だ。

と気づいた瞬間の愕然とした気持ちですよ。

今ね、国語の文法もまともにわからない自分がいてね、
大学までいって、総代になって鼻高々してたけど、
じゃあ私が何持ってるかっていったら、何も持ってないのよね。

これはもう何回も言っていることだけれども、
大学の成績は「ちゃんと出席していたで賞」に過ぎないから。
要するに「人生の楽しむべき時間を不意にして机にかじりついていたで賞」だから。
さしたる意味はないと思いました。
むしろ、人並み外れて言われたことしかできないロボット君ということを
思い知らされただけのように、今となっては感じます。

これだからまともに人にも挨拶できなくて、
どこの集落でもつまはじきものにされる割に
仕事だけ次から次へ投げ込まれる、
便利ロボット君みたいになるのもうなずけます。

自分でもそれが心地いいと思っているところ、あるんだろうね。
だからロボット君が「誰も遊んでくれないし、僕と一緒にいてくれない!」って
嘆くのは当たり前っつーか、
はやく自分がロボットだと気づけよベイビーってなもんだったわけです。
ロボット君といるより、人間は人間の友達と一緒にいるのが楽しいです。
いくら計算はやくても、絵が上手でも、仕事できても、
能力は友達を維持する力にはなりません。

社会に出てはじめて、ロボット君は
人間がみんなお勉強してきたものを
何も勉強してこなかったことに気づくのでした…ちゃんちゃん。

なんか勉強してこなかったんだな、ってのは、最近感じるようになった。
当たり前みたいにみんな恋愛して、結婚の話ちらほら出て、
それになんの抵抗もなく受け入れているのに、
こうまで「いかんともしがたい!」って意地はってるのは、私ぐらいで。
なんでこんなに頑固なんすかね?とは自分でも思うところです。

未だに「恋愛沙汰に巻き込まれない俺カッコいい」という中二な部分が、
全くないとは言い切れない。
実際恋は盲目状態になってワァワァやって周りに迷惑かけまくる人などを見ると、
ああはなるまい…とは思ってしまうわけで。
要するにプライドが高いんですね。
カッコ悪いとこ他人に見せたくないんですね。
でも恋愛は恥ずかしいこと見せ合う競技みたいなこと、
どの恋愛教本みても書いてありました。
ウヒャーと思いました。

思えば昔から、漫画描くにしろ小説書くにしろ、
仲よくなった後のイチャイチャ部分はいっくらでも思いつくんだけど、
仲よくなる経過の、あれやこれやの駆け引きとか、
切ないすれ違いとか、そういう過程はまったく書くの苦手だったんです。
それはつまり私自身もその過程はうまく処理できない
からなんじゃないかと思ったんです。

実際ほら、ばーか事件の時も、
さもないことをまるで世界の終りのように、
処理落ち起こして発狂しかかったくらいなので。

恋愛に関しては、私のOSはwin95からアップデートされてない
状態なんだと思います。
まず起動に15分くらいかかるから。
15分かかってやっと画面ついたら、
ウイルススキャンとか勝手にはじめて、
安全確認されるまで2時間ぐらい待たせるから。
ほとんどの人はその2時間でいなくなってしまうんですね。
ただでさえwin95ってだけで誰も見向きもしないのに。

新型モデルってのを、そとみだけでもアピールしてみないと、
まず人は来ませんね。
未だに分厚いブラウン管ボディさらしても。
懐古厨みたいなアレレな人しか寄ってこないのも、道理ですわよ。

このところどこ行っても可愛い人が目についてですね。
ワー腕細いなぁとかかわいいなぁとか思うだに、
もうこんなのいたら隣にうすぼんやりとたってる豚みたいなおばさんは、
まさに路傍の石。池の中の食用ガエル。自然界のトムソンガゼル。
「まあそこにいるよね」って認識はされても、
だから何というわけですよ。
そら池に蓮の花がさいてればね、見る人は目をとめて
「あらきれい」とか「家に持って帰りたい」とか思うわけですが、
池にカエルがいんのはな。そらあな。
命を営みますよね、そりゃあカエルも生きてるもんね。
っていう認識なんだとすごく思います。

土俵にもあがってない感が半端ない。
で、まあ私の認識による土俵にあがっている人々
(自分が恋愛範囲に入れられる範囲の人ともいう)から
カエル扱いなので、よっしゃステルス状態ー!つって、
呑気にゲコゲコやってっと、
たまにカエルマニアの変態さんにつかまったりしてですね、
ギョギョギョーッ!?っつってさらに泥の奥深くに
逃げ込みたくなるんです。
つうか既にだいぶ沼の奥底まで潜ってる状態なんだと思う、今。
むしろ見つけるな、みたいになっているので。
だからやたらに女子扱いに敵意向けたりすんのな。

でも悲しいことに、
世の中の男性には、「女扱いしない生物種女」は
どう扱っていいのかわからず、とりあえずなかったことにする、
みたいな種族が一定数いてですね。
あの、まったく問題なくそこらのおっさん扱いしてくれればいいものを、
女扱い拒否すると即・敵とみなして来たりするもので。
それがもー、まー、やりづらいやりづらい。
えてして上記のような人は自称女好きとかね、
自称女の子の気持ちがわかるみたいな人なんすけど、
残念ながら女の大多数は女じゃないっつうか、
あなたがわかったつもりの女の子は
女の間でも偶像ですっていうか。
そのへんの誤解をとけずに、いまだに悩んでいます、秋。

で、とりあえず私も無用に敵意向けられるのもめんどくさいので、
余裕があれば女のふりしたり、
なければ敵として相手の望むように悪役してあげたり
するわけですが、
あんまり精神がタフではないのでね、
長く戦うのとか向かないのね。
そんで別にこっちは敵意ないしさー。

勘違いされやすいのは、
攻撃されない限り私は反撃しないのだけれど、
たまに攻撃してきた人に反撃している場面を見ただけで、
私を好戦的アマゾネス軍団のボスみたいに見る人が多くて。

用もない人に攻撃したりしませんよ。
ただヘテロセクシズム信仰にどっぷりつかってたり、
ホモソーシャルからくるミソジニーを
常識として押し付けてくるっていうのが
私に対する攻撃にあたるから、
敵がやや多いというだけで。

それだって、押し付けてこなければ反撃しませんよ。
勝手に生きて繁殖していてくれればいいので。

「見えない敵と戦っている」っていうけどさー、
それも一理あるわけで、
見える敵と戦っているならそらもうすぐ終わるわけですよ、戦争は。
でも見えない敵と確かに戦っているからさ。
「見えない」から「存在しない」わけでもないわけですよ。
つまり、見えないものと戦っているからって、
それが無駄だと笑うような人とはね、私血を見ずにいられないからね。

むしろ見えるものにしか気が回らない生き方のほうが
むなしいと思いませんか?
人間の可視領域がどれだけ狭いかっていうのを知覚していないほうが?

無知なほうが幸せっていうこともあるけどね。
広く見えるということは、それだけ行き届かない部分も見えるということで。
つまり神経質な人のほうが疲れやすいっつうことです。
気が利く人のほうが、飲み会では気づかれするっつうことです。

そういう意味では、無知で気が利かないDQNほど
世界は平和なのよな。
見える世界の、恋人が浮気したとかしないとかで、
自分の世界が始まるか終わるか決められるんだから。

物事は、あまりマクロに考えすぎると収拾つかなくなるからね。
ミクロな世界で、枠組みを作って、
その外側は意識的に遮断するようにしていないと、
入ってくる情報が膨大すぎてぶっ壊れちゃうよね。
よっぽどハイスペックじゃないとね。


で、最初の方の話に戻るけど、
私はそんなにハイスペックじゃなかったんですよ。
思い返してみると。
むしろやや頭弱いほうなんじゃないかと最近思うの。
何も覚えていられないし、
尋常でないくらいいい加減なの、なにもかもが。

だから自分に入ってくる情報量すら制限できなくて、
こんなにピィピィ言ってるのかもしれない。

開かないバルブよりは、
開くバルブがいいと思って開いたけれど、
閉じられなくて蛇口吹っ飛ぶくらいなら、
開けずにいた方が幸せだったのかもしれないね。

感覚遮断された三日間がすごく欲しいんです、だから。
バルブ自分で閉じられなくて。

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