ぶたのあな

安定の愚痴率

なんか一人で怒ってますが

2011年05月22日 13時27分00秒 | 日常腐り目線
自分がオタクではないしニコ厨でもないと断言できるほど離れた人ではないが、
そのように外側から呼ばれることは非常に遺憾です。

腐女子は便利だから自称したっていいけれど、声オタとただちょっと漫画読むくらいの女を含めて呼ぶものならご勘弁願いたい。

私の自称腐女子はイコールBLすきです、くらいの意味しかもっていないので。

腐女子が私を包括する呼び名ではなくて、私という人格形成の一部に腐女子という部門も置いていますよ、という意味での使い方なので。

まあそこまでわかれとは求めませんが。


社会がキャラ化したせいか、オタクやニコ厨を自分のアイデンティティーに使おうとする自分探しちゃん達が大量生産されて、私は怒っています。

なんていうの、自分を確立させるためにオタクと呼ばれる行動をこなしてオタクという記号に自分から当てはまろうとする、みたいな。
気持ち悪い行為が目立つので、にわかオタク取締法案を作って禁止していきたいくらいなんですが。

私がにわかではないとか立派なオタクだというつもりはないけれど、とりあえず自分がないからオタクになってそれを自分って言おうとする人と、
なんか自分はふつうだと思って生きてきた生き方が周りからオタクって呼ばれるようになった人はわけない?


分けられないけどさ。なんか真ん中ぐらいの人もいて分けられないけど!
とにかく私は昨今のいっぱいミクの歌を知っていればそれだけオタク度が高い、みたいな「たくさん知っていること」がオタクをはかる尺度になっていることが嫌です。

知っていること、が、確かな知識となっているのではなくて、
ただ歌詞を覚えている、とかアニメを見たことがある、という取捨選択なしの取り入れ方なのが嫌だ。
このキャラが好き、と言っても、理由が○○さんが声やってるから、とか絵がきれいだから、とか中学生みたいな好きになり方。
そのキャラの人格に対する考えはないんだろうか?

二次元を完全に二次元として扱っている、と言えばいいのか、
自分を二次元と同じように割り切れる生き物だと勘違いしている、と言えばいいのか……。

上手に説明できないんですが、とにかく私はある種の自称オタクさんにものすごく嫌気を感じてしまいます。

もしかしたらオタクという記号問題ではなくて、個々の人間同士の性格の不一致かもしれないんですが。


とにかく私がウッとなる人は共通して自称オタクで声オタで最近はやっているアニメ、漫画が好きです。

私が懐古厨なだけだと言われれば確かにそうかもしれないけれど、
声オタはさ………声オタは…………どうなの?

声オタとアイドルオタはなんか同じカテゴリの人じゃないなという感じがする。


声オタのくせに「二次元しか愛せません^q^」みたいな発言かます人って、どのように自己矛盾を解決させてその理論成り立ってるの?ってなりません?

得意の「よくわからんところはなかったことに」作戦か?
この作戦使う人ほんとにやなんだよ。なんでもこの作戦で無理やり話を終わらせようとしてくるから。
見ないふりしてもなかったことにはならないんだよ。
あーイライラする。

具体的になにかあったわけでもないのに、
ここまで怒らなくてもいいのにね。
本人たちがそれで幸せだと思っているんなら、それでいいはずなのにね。

もうね、相手の前に自分の理想像の鏡たてかけあって、鏡の後ろの汚い自分たちを見ないふりしてるカップルとか見ると本当に勘弁してくれってなる。

もちろん美醜の問題だけじゃないよ。美男美女カップルでも、そういう気持ち悪い付き合い方の人たくさんいる。

私は本当にそういう付き合い方ができないので、それを求められる場面に遭遇すると、それはそれは披露するんです。


自分たちの基本形を女子だとして、そこからこぼれ落ちた自分はオタクっていう考え方も嫌いです。
誰がそんな基本形決めたのかわかんねえし、メディアが作り出した「女」像にのれないことなんて当たり前なのに、
それに劣等感おぼえちゃってる盲目状態が非常に見苦しいです。

誰がメディアと同じ女になれなんて言ったの?
昭和じゃあるまいし、もはやそんな命令はどこからも出されていない。
強いて言うなら、周囲からなんとなく発されたそうあれという期待に、
あなた自身がそうしようと選択したから、それになれないことに劣等感をもつんです。
スタンダードを決めるのは自分であって、周囲じゃありません。


一人一人の身体は違うじゃない。
統一スタンダードでバランスとれてるはずの給食くったって、
腹へる人もいれば多すぎる人もいるし、鉄分足りなくなる人もいれば塩分過多になる人もいる。

人の身体という宇宙は、大体同じような原材料でつくられてはいるけれど、
その配分は千差万別に違う。
人のマーブル模様は、全部マーブルなことは共通しているけれど、一つとして同じものはない。

だからまず「人はみんな同じ」っていうのを、「一言一句同じ」という認識から「小説というカテゴリは同じ」っていうくらい大掴みなものに変えた方がいいんだと思いまちゅわ。


はー怒った怒った。


あと私が苦手なものに「可愛い女の子が好き」という周りを女子にしてくることで自分が女子であることを誇示しようとする非常に言語的男性的女性、という人種もいますが、
それも今回の怒りと同じポイントなので割愛します。

だからおめえが何しようと生物学的に女なのはわかってるし、それ以外で女だって証明する根拠なんかどこにもねえよ。
お前がしがみつこうとしてる「女」像は一部の人が作った架空のものでしかないから、そんなもんになったところで得られるものはなにもないよ。

とりあえずラカンよめラカン。
というところで、私の怒りはいつもラカンがいてくれたことでおさまっていきます。


よく大学生で哲学に興味あります、みたいな風潮になる人たくさんいますが(私もその一人ですが)、
具体的にはどのあたりに興味があるんですか?
自分ってなんだろうって考えたことがあれば哲学なんですか?

哲学哲学言うわりに、ちょっと主体のあり方とか性別形成の話すると
「難しいこと考えてるんだねー」みたいになかったこと戦法使ってくる人って、
いったい何をもって哲学という言葉を出しているんですか?


私は哲学の全貌なんかよくわからないしある人に言わせれば正式には学んでないから本当の意味では理解していないらしいけど、
少なくともラカンの言説には興味があるし、人格形成に影響を与える家族や教室という場の構造には興味があります。

その興味の根源は「自分はなんだろう」に還元されるけれど、
もっと自分を解体して、あるいは帰納して、生命存在の構造に私は興味があります。

だから科学も生物学も文学も数学もひとしく私の研究対象で、どれひとつとして私の知りたいことに関わりのないものはないです。

広場は一つで、トンネルは複数あって、私はトンネルの入り口がたくさんあることを、勉強し続けたことで見ることができたから。
それは広場で出会った自分とは違うトンネルを通ってきた人によって。


………私は何に対して怒っているんですかね。わかんなくなってきたぞ。
怒ってるといつもそのうち怒りが宇宙規模になって、「とにかく言語に縛られる世界が憎い!!」 という結論に至って終わる。

言語自体は必要不可欠でとても大事で便利なものだけれどね。
それがすべてではないことを、感覚を通して知り、そしてそれを言語化することで自分の体に長くとどめおくという作業が、
必要な人がけっこういるんじゃないかなと思っています。

理性ノットイコール心、
心は身体と心臓をわけあっていて、
身体は自然の一部という性質をもっている。

この感覚を、私はもっと多くの人に伝えたい。