ブルゴーニュにうってつけの日/ANGEL'S SHARE

世の中にワインと称するお酒は数あれど
やっぱりブルゴーニュに勝る銘醸地は無しと
思うワイン日記

映画「みやび~三島由紀夫」

2005年10月04日 | Weblog
渋谷ユーロスペースで一日一回のみ上映。こんなドキュメント映画でも観る人いるんだね。がらがらだろうと思ったら結構人がいた。三島ブームなんだろうか?もうすぐ『春の雪』も公開される。映画自体はわざわざお金払うまでもない代物。三島の長女の学習院時代の同窓だった能役者、狂言師。作家の平野啓一朗、中国人の文学者、イタリアの日本研究者、あとよく知らない演出家、女優、芸術家、ユニークなのは一般人の高校の美術の先生。三島の同世代というより幼い頃に三島事件に衝撃を受けその後三島文学に惹かれた人たちのインタビューを集めたもの。でも一番面白かったのは神戸星陵高校の美術の先生の話、この人何者なんだろうと思いながらみてたら中盤で実は事件のあと出版された三島由紀夫と高校生とかなんとかいう新書に印象的な投稿をした人だった。その文章が読み上げられるがなかなか興味深かった。最近実家の押し入れから取り出した三島の文庫本をいくつか読み返したが現代では三島文学というのが事件を抜きにしては語りえないものになっているのに改めて気づいた。初期の作品の頃からその最後のイメージが到る所にちりばめられて実際本人がそのとおりに自作自演して死んじゃっているのでその文学に新たな意味が生まれている。同時代的には作品の美意識は人工的でレトリックは秀逸だが作品自体にはリアルさが無いという批評をよく目にしたが、自決以降は十代の作品までさかのぼっても統一された死へのメタファーが背景にあることが読み取れる。皮肉なのは本人は文学は捨て武人として死ぬことを望んだが、武士ならあんな用意周到な死に方はしないし出来ない。几帳面な性格が災いして完璧な型の自決を試みたおかげで返ってその死は文学的なコードでしか語られなくなってしまっているのは悲劇なのだろうか喜劇なのだろうか?来春には長らくお蔵入りしていた映画『憂国』が新潮社からDVDで発売されるらしいのでいまから楽しみ。しばらくこのブームは続く予感。