箕輪門
車の中で仮眠をし通行止めが解除になるのを待っていたが、このまま帰るのはもったいないと思い、急遽「二本松城」を攻略する事にした。通行止めが解除される30分くらい前に「福島西IC」を下り、まだ薄暗い中、路面が凍結している細い急な坂道が続いていたが、奇跡的に「県立霞ヶ城公園」の駐車場に辿り着く事ができた?駐車場もまるでスケートリンクのように「ツルッツル」状態・・・スニーカーでは滑って歩く事が出来ず、公園内は10センチぐらいの積雪があったのだ。しかし、大丈夫!!「チェーン」装着を想定し「長靴」を持ってきていたからだ。
復元された『箕輪門』から入り、三の丸の滝のある庭園等を見ながら、二本松城本丸跡まで散策してきた。天守台からの眺望は素晴らしかったが、本丸下南面の大石垣が雪に埋もれていたので、気が付かずに見逃したのが悔やまれてならない?
1414年奥州探題の「畠山満泰」によって「白旗ヶ峰」に築城され、1586年「伊達政宗」の攻撃を受けて落城した。1590年の「豊臣秀吉」の奥州仕置により「蒲生氏郷」の支配下になった。その後、「丹羽光重」が10年の歳月をかけ、山城を廃し山麓に城館を築いて近世城郭としての体裁を整え、二本松城と称した。山麓には、霞がたなびくので別名『霞ヶ城』とも呼ばれた。以後、丹羽氏10代200有余年続いたが、1868年「戌辰戦争」で二度目の落城となり全てを焼失した。
車の中で仮眠をし通行止めが解除になるのを待っていたが、このまま帰るのはもったいないと思い、急遽「二本松城」を攻略する事にした。通行止めが解除される30分くらい前に「福島西IC」を下り、まだ薄暗い中、路面が凍結している細い急な坂道が続いていたが、奇跡的に「県立霞ヶ城公園」の駐車場に辿り着く事ができた?駐車場もまるでスケートリンクのように「ツルッツル」状態・・・スニーカーでは滑って歩く事が出来ず、公園内は10センチぐらいの積雪があったのだ。しかし、大丈夫!!「チェーン」装着を想定し「長靴」を持ってきていたからだ。
復元された『箕輪門』から入り、三の丸の滝のある庭園等を見ながら、二本松城本丸跡まで散策してきた。天守台からの眺望は素晴らしかったが、本丸下南面の大石垣が雪に埋もれていたので、気が付かずに見逃したのが悔やまれてならない?
1414年奥州探題の「畠山満泰」によって「白旗ヶ峰」に築城され、1586年「伊達政宗」の攻撃を受けて落城した。1590年の「豊臣秀吉」の奥州仕置により「蒲生氏郷」の支配下になった。その後、「丹羽光重」が10年の歳月をかけ、山城を廃し山麓に城館を築いて近世城郭としての体裁を整え、二本松城と称した。山麓には、霞がたなびくので別名『霞ヶ城』とも呼ばれた。以後、丹羽氏10代200有余年続いたが、1868年「戌辰戦争」で二度目の落城となり全てを焼失した。