増渕邦治全仕事
ART DIRECTION vol-01
『1975年が私の仕事元年(6)』
◎
70年代から80年代にかけて
日本のジュエリー市場は、
デ・ビアスの広告宣伝戦略の恩恵を被り、
ブライダルに特化したキャンペーンを
展開したことが効果を上げてきました。
そして全国的な規模で、
それまでの三業種兼業の販売形態から、
ブライダル専門店にシフトする傾向が
顕著になってきたのです。
洋画のロードショー館に行くと、
決まって婚約指輪のCMが流れていたのは
多くの方の記憶にあるでしょう。
また、
70年の大阪万国博覧会の成功によって、
海外からの観光客が年ごとに増えてきました。
私が京都支店に出張した時のことですが、
前日に大阪支店から
“船が神戸に着いた、
明日は今日に行くので準備よろしく”
という電話が入り、
何事かと思っていると、
次の朝早く京都支店の店頭は
海外からの観光客の準備で大忙しです。
そして気がつくと商品は完売。
真珠製品が飛ぶように売れたのでした。
こうしてジュエリー業界は
川上から川下まで80年代のバブル協奏曲へと
進展していきました。
*この画像は1975年の雑誌ミセスに掲載した広告で、宝石の写真は飯塚康弘、コピーライターは浅倉勇、バックの写真はエルンスト・ハース。