ますぶちStyle/宝石箱の片隅
「パイプの煙=64」
『皆中稲荷神社』
私が住んでいる近く、JR新大久保の近くに、
「皆中稲荷神社」なるものがある。
小さな神社なのだが
不思議と人のお参りが絶えない。
私は全くの不信心者だが、
妻はここに良くお参りに来るらしい。
何かとご利益があると云うのだが、
私も2、3度この神社に連れてこられた。
身体が元気だったら、
この周辺の飲み屋に夜な夜な通ったところだな、
などと近くのまだ店が開かない飲み屋の軒先を
ジロジロと見て回っていたが、
改めてこの皆中神社の由緒を知りたくなった。
ネットでひいてみると・・・
1533年(天文2年)9月のある夜、稲荷大明神が鉄砲組(幕府直轄の鉄砲組百人隊)与力の夢枕に立ち射撃を伝授した。その霊験が評判となり、皆中稲荷(みななかのいなり)と呼ばれるようになった。その後「当たる」ものに利益があると人気をあつめ、現在は「賭けごとの神」として親しまれている・・・。
どうりでこの周辺を百人町と呼ぶのは、
鉄砲組百人隊からきていることも判明した。
しかし1533年と言えば江戸は北条氏の時代で、
徳川家康のものにはなっていない。
また太田資長(道灌)が
江戸城を築城したのは1456年のことだ。
こうして見ると江戸も家康のものになるまでに、
少しずつ整備されてきたことが伺える。
人民が生活をしているのだから
当然といえば当然なのだが、
一般的には家康によって
江戸が開かれたような錯覚があるから、
たまにこうした事績に触れるのは
何か得をしたようで嬉しいものだ。