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松沢顕治の家まち探しメモ

「よい日本の家」はどこにあるのだろうか。その姿をはやく現してくれ。

2015年の初めにおもうこと

2015年01月08日 18時07分35秒 | 日記

昨年から1か月以上力が入らない状態がつづいている。30年以上私淑してきたMさんがガンで亡くなったのだ。

どう表現すればよいのかわからないが、両親を亡くしたときの感情に似ている。もう頼りにする人がいなくなってしまった。

よい家をさがして各地を歩くとき、つねに頭にあったのはMさんのことだった。集落の歴史や伝統・習俗、地元のひとびとの精神などを考えるとき、Mさんならばどう取り組みどう読み解くかと自問していた。地域の伝統をふまえた新しい古典住宅をつくることができればいいと内心かたく思っていた。「よくやったじゃないか」、一度でいいからそう言ってほしかった。

しかしどこかの時点で気持ちを切り替えて、多忙な現実にもどらなければいけない。四十九日が近づくにつれ、そうした思いが強まっている。

人事は尽くしても尽くしてもきりがない、人事の尽きたところが天命なのだ。言葉が人に属すのではなく、人が言葉に属すものだ。そうだとすれば、正しいと信じたらその仕事に打ち込むことだ。人間だからいつか命が尽きるし、いつかはわからない。人は亡くなるまでにやり遂げた仕事に属す。それで十分ではないか。

Mさんにそんなことを言われそうな気がしている。


福島県南会津町前沢・・・・・曲り家

2014年12月18日 10時29分23秒 | 日記

南会津の前沢を訪れた。ここではL字形の曲り家が集まって独特の景観をつくっている。明治に大火があって集落が焼けたとき、新潟から来た大工の集団がこうした意匠を取り入れたのだという。

国民の多くがサラリーマン化する前の日本の住宅は作業場や厩を兼ねた併用住宅だった。養蚕がカネになれば蚕部屋をつくり、藍ならば瓶を土間に埋めた。木工製品ならば土間にムシロを敷いて加工作業をしただろう。刃物や農作業や運搬に馬が必要ならば厩をつくった。

南会津は豪雪地帯である。外に牛馬を出しておくのはかわいそうだという優しい気持ちから、ここの住民は牛馬を曲り家のなかに入れた。もちろん今ではそうした家は残っていないだろう。かつての厩も作業場もリフォームされて人の部屋になっているだろう。

住宅は時代とともに求められるものが変わり、リフォームによって形を変えていく。しかし長持ちする住宅ならば、何代も前からの思い出や生活のあとがずっと遺されているのである。そういう長持ちする住宅を、いいなあと私はおもうのである。

南会津町HPより


よい土地は素人には入手できない

2014年11月27日 17時50分37秒 | 日記

不動産仲介業者は土地が出るのをひたすら待つ。カネにこまったとき、相続したとき、持っているのが重荷になったとき。いずれかの地主事情で土地処分の相談がくる。この情報を気長に待っているわけだ。しかしひとたび土地情報がくると、対応は早い。すぐに買い手をさがす。

広い物件や高額物件ならば、まず業者に話を持っていく。個人では買い切れないからだ。建築業者ならば、土地の価格はたたかれ、手数料は減るが、決済までが早い。1週間で決済ということもあるくらいだ。

では手ごろな物件の場合、土地をさがしている個人相手に広告を出したり、頼まれている個人に情報を流したりはしないのだろうか。これもまず表には出さない。手ごろな土地物件ほど建売にちょうどいいから、業者に売る。日頃「いい土地があったらお願いします」と訪問して来る業者へのお返しのような意味もある。いっぽう、個人の買い手に情報提供すると、決済までが遅い。購入決定までに時間がかかり、土地を決めると次には建築業者を決めて数度の打ち合わせののちに見積をもらい、金融機関に提出し融資の承認が出てからでないと土地決済はできない。すぐに2、3か月間もかかってしまう。その間、業者は宙ぶらりん状態におかれ、地主からはまだかと催促される。しかも2、3か月間待っても最終的に融資の承認が出ないこともある。こうしたことを考えると、不動産業者がまず建築業者に声をかけるのも無理もない。

では個人客向けの流通市場にでてくるのはどんな物件か。悪地形、悪アクセス、悪日照、割高、ようするに人気のない土地にかぎられてくる。気の毒だが、これが土地流通の現実だ。「理想の土地はさがせません」、私はそう答えている。

 


家をつくるときの土地問題

2014年11月17日 14時58分23秒 | 日記

新築の住居を持とうとすると、マンション・分譲戸建(建売)・注文戸建のなかから選ぶことになる。ここでは、自由度の高い「注文戸建」について、土地探しから工務店選びまで順番に考えてみたい。

最初の問題は土地だ。そもそも土地が手に入らなければ、家は建てられない。そこでまずは土地さがしに奔走する。選ぶ基準は「子供の通学区」「現在の居住地の周辺」「よい地形」「駅近」などだ。しかし素人には理想の土地はまずみつからない。私も20数年前に土地探しをした。毎週のように新聞チラシを集め、不動産屋をまわること1年以上、「まだか、まだか」とかみさんから苦情を言われ、あせるととともに弱気になった。何度も建売にふらふらとなびきそうになった。そのときたまたま見たチラシに手ごろな坪数の物件があった。接道はあまりよくない、北面道路、南に隣家、駅近ではない、通学小学校はあまり人気がないという条件。理想には遠かった。しかしどこかで妥協しないと、永遠に家を持てないような気がして・・・・・清水の舞台からとびおりた。

まだ住宅ローンを払っているのだが、できれば転居したいとおもう。一番の不満は日照だ。南側を隣家がふさいでいるため、1階の半分くらいは陽があたらない。今春の大雪のさいはおどろいた。隣家の屋根の雪がどどっと音を立ててわが家の庭に落ちて、植木が折れ、しかもずっと解けなかった。

私は自分の体験が特殊なのかと思っていた。しかし住宅コンサルタントのようなことをはじめて、じつは土地のないひとがほとんどであり、理想の土地はさがせないほうがむしろ一般的なのだと思い知るようになった。なぜそうなのか、それを次回考えてみたい。

 

mapion HPより


長野県小川村・・・美の郷

2014年11月08日 01時07分33秒 | 日記

美しい日本の家をもとめて各地を歩いてきた。そのかたわら、美しい日本の光景にもであったことは思いがけないよろこびだった。

信州・小川村。高府から大洞峠にむかう山道は感動の連続だった。眼の前に飛び込んできた民家は大きな茅葺きだった。一部は黒い金属板葺きになっているが、越屋根の意匠といい、頂部の飾りといい、吹き抜けになった換気口といい、全体として伝統の美を維持するどころか、かえって美を洗練させている。この威容を坂の下から仰ぎ見るのである。思わず胸がいっぱいになったのは自然だったろう。

ふりむけば、北アルプスの山並みが視界いっぱいにぐっと迫ってくる。五月の光景をおもった。遅咲きの桜が陽の光をつかもうと花びらをきそって開いたそのむこうに、雪におおわれた偉大な山容がそびえ立っている。人のひたむきな理念や熱い行為などせせら笑う白鬼は、しかし峻厳な美をもって多くの人の心を永世へと誘う。

小川村HPより

死生を思いつつ、つづら折りの坂をのぼったら、またもおどろいた。突如として美しい三重塔が出現した。真言宗高山寺。縁起によれば、源頼朝が建立したのだという。頼朝といえば鎌倉。海辺の鎌倉は山深きここ信州小川村とはいったいどのくらい離れているのだろうか。考えると、地理感覚が麻痺して心細くさえある。おどろき、また驚きの連続する光景が小川村にはあった。

美しい日本の家をさがし歩くのはおもしろい。もしかすると「日本とは何か」という隠れた主題につながっているからだろうか。