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オペラとクラシック音楽に関する肩の凝らない芸術的な鑑賞の記録

2009-2/14(土)東京二期会「La Traviata」宮本亜門演出に関する考察

2009年10月19日 00時49分05秒 | 過去のオペラを振り返る
今年(2009年)の2月に開催された、東京二期会による「La Traviata」についての感想である。

2009年2月14日(土)午後2時~ 東京文化会館・大ホール S席 1会 6列 21番 16,000円
指揮:アントネッロ・アッレマンディ
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
演出:宮本亜門
ヴィオレッタ:澤畑恵美
アルフレード:樋口達哉
父ジェルモン:小森輝彦
ほか

 本公演は、東京二期会が20年ぶりの新制作となった「La Traviata」つまり「椿姫」である。宮本亜門氏が初めてイタリア・オペラの演出を手がけるということで、期待度が高かった。ところが、その演出内容に大いなる疑問を感じたのである。
 私は、芸術作品については、基本的には作品を批判・誹謗したりはしない。音楽家たちは、いかに優れた才能を持って生まれてきたにせよ、血のにじむような努力と絶え間ない勉強、それに極度の緊張を強いられる過酷な境遇にありながら、それぞれの活動をしているのであり、とても単なる「聴衆」のひとりでしかない素人の私ごときが批判・誹謗する資格など持たないと考えるからだ。もちろん、好き嫌いはあるが、それは個人的な感情なので、あえて公表することはしないでいる。
 ところが、この公演を観た時は、その演出内容に関して、正直に言って不愉快な思いにとらわれ、珍しくも「金返せ!」と言いたくなった。そして、もちろんそんなことは初めてだったが、感想文を書いて、東京二期会に送ったほどである(もちろん何の反応もなかった。手紙が送り返されてこなかったところをみると、事務局には届いているのだと思うが)。
 そこで最近始めたこのブログを通じて、その「感想文」を公開してみようと思う。このオペラを観た人で、何かご意見があったら聴かせてほしい。以下、全文をそのまま掲載する。もちろん原文は署名入りで投函したが、ここでは名は伏せさせていただく。ちょっと(というか、かなり)長いが、時間がある方は読んでみてください。

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東京二期会公演「ラ・トラヴィアータ」を観ての感想
~宮本亜門演出に対する疑問の数々~

 東京二期会公演「ラ・トラヴィアータ」2月14日の公演を観た。S席、1階6列21番。強く感じたことがあったので、書き留めておきたいと思う。
 私は、単なるオペラ好き・音楽好きな愛好家であって、評論家でも研究者でもない。従って、オペラや音楽について専門的な学識があるわけではない。ただ、年間20回くらいはオペラ劇場に足を運び、海外の作品などもDVDで鑑賞したりしているだけだ。

 まず、音楽作りについてだが、これはとても良い演奏だったと思う。アントネッロ・アッレマンディの指揮は、全体的に早めのテンポで通し、切れ味の鋭いリズム感と、ポイントポイントでのメリハリの利かせ方など、ぬるさのない現代的で引き締まった音作りだった。東京フィルハーモニー交響楽団も、良く鳴っていて、ブレのないハーモニーを聴かせてくれた。最近の東フィルのオペラ演奏では、かなり良い方の演奏だったと思う。
 次に、歌手陣についてだが、タイトルロールの澤畑恵美、アルフレードの樋口達哉、父ジェルモン小林輝彦、3人ともにとても良いできだった。後で述べる演出に従って、あれだけ動き回りながらも、よく声が出ていたし、歌唱表現も豊かだった。東京二期会のトップスター達の競演だけあって、十分に世界レベルの実力を発揮していたといえる。
 だが、問題なのは宮本亜門の演出である。彼の演出したオペラは、これまで「フィガロの結婚」と「コシ・ファン・トゥッテ」を観たが、いずれも従来のオペラに比べて演劇的な動作がみずみずしく、とても新鮮にものであった。今回、初のイタリアものということで期待も大きかった。ところが、舞台が始まってみると、これってどこかで観たような…という念がだんだん強くなってきた。そう、2005年のザルツブルグ音楽祭の「ラ・トラヴィアータ」である。アンナ・ネトレプコの主演と、ヴィリー・デッカーの斬新な演出が話題となった、あの公演だ。
 天下に名だたる宮本氏に対して失礼かもしれないが、今回の演出はザルツブルグ音楽祭の演出を下敷きにした焼き直し版としか思えない。「演出」という分野に盗作という概念があるのかどうかは知らないが、あまりにも似ている部分が多すぎるように思う。もちろん、同じ台本の同じオペラなのだから、普通に演出していれば似通ったものになるのは当然である。しかし、2005年のデッカー演出は、それまで誰も思いつかなかったような画期的なものだった。全体を貫くモチーフはヴィオレッタの心の内面の表していて、具体的な物語性を極端に排除したものだった(以上、私見)。つまり、デッカー自身による、かなり「斬新」で「画期的」な演出だったのである。以下、宮本演出との共通点を並べてみよう。
(1)第1幕の前奏曲
一般的な演出では、前奏曲が終わって、第1曲の始まりとともに幕が開く。華やかな夜会の場面で、客達が大勢でヴィオレッタの館に到着したところから物語が始まるからだ。
デッカー演出…前奏曲の始まる前に幕が上がり、憔悴したヴィオレッタが壁にもたれている。
宮本演出…前奏曲とともに幕が上がり、ヴィオレッタとアルフレードが舞台にいる。ヴィオレッタは病で憔悴している様子。
(2)第1曲・ヴィオレッタの館
デッカー演出…第1曲が始まると、舞台の左サイドからパーティ客がなだれ込んでくる。するとヴィオレッタが急に元気になる。
宮本演出…第1曲が始まると、舞台の両サイドからパーティ客がなだれ込んでくる。するとヴィオレッタが急に元気になる。
(3)赤いドレスのモチーフ
デッカー演出…ヴィオレッタの衣装は、第1幕が赤いドレス、第2幕第1場は白い下着、父ジェルモンにアルフレードとの別れを説得された後再び赤いドレスを着る。第3幕は赤いドレス。この解釈は、赤いドレス=娼婦であるヴィオレッタ、白い下着=純愛・アルフレードとの愛の日々、という意味を表していると考えられる(これも私見)。
宮本演出…ヴィオレッタの衣装は、第1幕が赤いドレス、第2幕第1場は白いドレス、第3幕は赤いドレス。
(4)第1幕の最後
「花から花へ」のアリアの部分では、通常の演出では、アルフレードは窓の外で歌声だけが聞こえることになっている。これは、アルフレードが実際に窓の外で歌っているのか、あるいはアルフレードに恋してしまったヴィオレッタの心の中だけに響いているのか、解釈の分かれるところだろう。
デッカー演出…アリアの最後にアルフレードが戻ってきて歌い、ヴィオレッタに抱きつく。これまで、アルフレードが戻ってくる演出は観たことがなかった。
宮本演出…アリアの最後にアルフレードが戻ってきて歌い、ヴィオレッタと抱き合う。
(5)第2幕の始め
もともと、最初のアルフレードのアリアの場面にはヴィオレッタはいない。歌の内容もアルフレードの独白である。
デッカー演出…最初のアルフレードのアリアの場面にヴィオレッタがいて、ふたりがじゃれあっている。アンニーナが帰ってきて、アルフレードがヴィオレッタの財産処分について詰問する場面にヴィオレッタがいてはストーリー上おかしいのだが…。
宮本演出…最初のアルフレードのアリアの場面にヴィオレッタがいて、ふたりがじゃれあっている。アンニーナが帰ってきて、アルフレードがヴィオレッタの財産処分について詰問する場面にはヴィオレッタはものかげに隠れる。
(6)主人公達以外の登場人物
デッカー演出…ヴィオレッタ、アルフレード、父ジェルモン以外の登場人物は、医師グランヴィルを除きすべて同じ衣装で、人格を与えられていない。これにより、主人公3人だけが強調された存在となって物語を構成することになり、舞台全体が抽象的な世界を表していると考えられる(これも私見)。
宮本演出…歌唱のある登場人物以外(合唱団)は、顔を黒く塗り、人格を与えられていない。
(7)3つの幕の進行
もともとの幕の場面は次の通りである。
  ・第1幕…ヴィオレッタの館
  ・第2幕第1場…パリ郊外のアルフレードの館
  ・第2幕第2場…その夜、フローラの館で夜会
  ・ 第3幕…数ヶ月後、パリのヴィオレッタの寝室
つまりもとの台本では、3つの幕と場にストーリー上、時と場所の連続性はない。ところが…
デッカー演出…第1幕の後に休憩が入る。第2幕以降は続けて上演され、休憩は入らない。第3幕の最初は第2幕終了時と連続しているので(幕も下りない)同じ人物配置のまま、第3幕が始まるとすぐに合唱団を含めた大勢の登場人物が前奏曲の間に退出していく。
宮本演出…第1幕の後に休憩が入る。第2幕は第1場・第2場と続き、休憩が入るが、第3幕の最初は第2幕終了時と同じ人物配置になっていて、第3幕が始まると前奏曲の間に合唱団を含めた大勢の登場人物が一斉に退出していく。
(8)舞台中央のモノ
デッカー演出…第1幕では、赤いソファ(ヴィオレッタがワイングラスを持って立ち上がる「乾杯の歌」の場面)、第3幕では舞台中央に大きな時計。
宮本演出…全幕を通して、舞台中央に四角い台(箱のようなもの)。「乾杯の歌」の場面でヴィオレッタがワイングラスを持って立ち上がる。

 ここにあげたデッカー演出の内容は、2005年のザルツブルク音楽祭の時に初めて取り入れられた全く新しい演出のモチーフだと思われる(少なくともそれまではあまり使われなかった手法)。ところが、今回の宮本演出にもかなり頻繁に同様のものが見られるのである。デッカー演出がかなり奇抜だっただけに、これほど共通項が多ければ、真似をしたと思われても仕方がないのではないだろうか。
 私のまったくの独断だが、宮本氏は、このオペラの台本とスコアを読み込んで今回の演出を作りだしたようには思えない。むしろデッカー演出の映像を観て、それをベースにプランを練ったように見える。そうでなければ、考えられないようなところがたくさんみられるのだ。
 たとえば、第3幕の最初に、第2幕最後の夜会の場面が表れることなど、その必然性の説明ができない。時もところも異なる場面に変わるからこそ、幕が分かれているのである。デッカー演出では、むしろ第2幕と第3幕を強引につなげたために、第3幕冒頭で夜会のメンバーが前奏曲に合わせて退出していく必要が生じた。しかし、デッカー演出はヴィオレッタの心象風景を描いていると考えられるから、その連続性にも矛盾はないといえばない。なにしろ高度に抽象的で物語性が排除されているのだから。ところが宮本演出では、合唱団以外の登場人物たちには(通常よりも)明確に人格が描かれるような演技を付けており、物語性は比較的はっきりしている。しかも幕を分けているのだから、なぜ連続しなければならないのかがわからなくなってしまう。おそらく、観ていた人々は、第3幕が上がった時、えっ?と思ったのではないだろうか。死を目前にしたヴィオレッタの寝室に夜会のメンバーが「演出上」必要な理由は、およそ考えつかない。ところが、デッカー演出を下敷きにして演出プランを考えれば…こういうことも起こりうるのではないだろうか。
 また、細かいことだが、「乾杯の歌」の場面で、ヴィオレッタがワイングラスを高々と掲げて高いところに立ち上がる姿が、デッカー演出のアンナ・ネトレプコにそっくりなのは…偶然というにはあまりにも似ていすぎ。
 これらのように、2005年のデッカー演出以前にはなかった(と思われる)演出パターンが、今回の宮本演出に頻出している。もちろん、世界中で上演されている『ラ・トラヴィアータ』を知っているわけではないから、偉そうなことはいえないが、すくなくとも実際の上演や映像作品で20種くらいの演出を観た上で、衝撃的なくらい風変わりなデッカー演出と、宮本演出との間に共通点・類似点があるということは、同じオペラの台本とスコアを読んだ二人の天才演出家が偶然にも同じような演出モチーフや出演者の立ち姿までに辿り着いたということなのか。それとも、先人の作品をベースに部分的に改変していって、新しい演出を「創りだした」のか。
 もちろん、「ラ・トラヴィアータ」ほど著名なオペラなら、多くの演出家たちが先人の作品を参考にしたことは十分に考えられるし、むしろ当然のことかもしれない。フランコ・ゼッフィレッリのような豪華絢爛かつ古典的な演出が、多くの作品のベースになっていることだろう。だが、現在のような新演出は、それらの古典的な世界からの脱却を図ったものであり、とくにデッカー演出のように過去の作品群から全く異なる方向からのアプローチがあってこそオリジナリティが主張でき、「演出」という概念がオペラそのものを(台本とスコアが全く変わらないにもかかわらず)生まれ変わらせる力を持つことにつながっていく。誰かの新演出をベースに次なる新演出を創りだしていたら、オペラ作品の本質からのブレがどんどん大きくなってしまうような気がしてならない。
 今回の宮本演出にも、新しい試みは随所に見られ、そのことについては積極的に評価すべきで、素晴らしい点もおおかった。だが、演出もひとつの芸術作品であり、その解釈をめぐっては、常に賛否が分かれるところであろう。個人的には、今回の宮本演出は、登場人物が演劇的に動き回りすぎるような気がする。特に第3幕では、死に瀕したヴィオレッタが、横になることも少なく歩き回っているのに、違和感を感じた。逆に、3人の主人公達以外の登場人物達にも明確な人格が与えられることはおもしろかった。とくに、怒りっぽいドゥフォール男爵が新鮮で、彼をなだめるガストン子爵やフローラも人間臭く描かれていて秀逸だと思う。この人物像は、台本からイメージを膨らませた結果だろう。
 今回の『ラ・トラヴィアータ』は成功だったのだろうか。世間的な評価は、おそらくある程度高いものになるに違いない。しかし私にとっては、宮本亜門演出の新プロダクションには、正直言って失望した。もちろん、デッカー演出を知らなければ、あるいはもう少し楽しめたのかもしれないが…。

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以上です。最後までお読みいただきありがとうございました。

【追記】本公演以来、東京二期会の公演から足が遠のいてしまっている。「カルメン」には行ったが、これは「佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ」であって、純然たる東京二期会のものではない。愛好会会員になっているのに、公演に魅力が感じられなくなってしまっているのは、私だけだろうか…。


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