【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

王妃メアリーとエリザベス1世 =20=

2016-04-22 16:19:56 | 歴史小説・躬行之譜

○◎ 同時代に、同じ国に、華麗なる二人の女王の闘い/王妃メアリーの挫折と苦悩 ◎○

◇◆ メアリーと相次ぐ陰謀事件 ③ ◆◇

 1569年9月23日にノーフォーク公がノーフォークの居城ケニングホールへ移ったことで、エリザベス女王は反乱準備と疑い、防衛向きのウインザー城へ移った。 しかしノーフォーク公に反乱の意思はなく、彼はウェストモアランド伯爵に使者を送って反乱を思いとどまるよう説得にあたっていた。 もともと結婚計画に関心がなかったカトリック北部諸侯はこれを無視し、11月にも「北部諸侯の乱」を起こしたが、急造の烏合の衆だったので政府軍がやってくる前に解散してしまい、蜂起は失敗に終わった。

 一方ノーフォーク公の方は9月30日にウィンザー城へ向かい、女王の慈悲を乞おうとしたが、逮捕されてロンドンの屋敷で謹慎処分となった。 12月には北部諸侯と自分が無関係である旨の誓約書を書いたが、結局1570年1月にロンドン塔に投獄される。 エリザベス女王はノーフォーク公爵を処刑すると鼻息を荒くしたが、宰相のウィリアム・セシルからメアリーとの結婚を計画しただけで処刑にはできないと説得された。 

 エリザベス女王の怒りが収まらぬ状況下の1570年6月、ノーフォーク公爵は今後二度とメアリーに近づかないという誓約書を書き、8月に至ってロンドン塔から釈放され、ロンドンの屋敷で謹慎生活に入った。 しかし この後もノーフォーク公爵はメアリーとの接触を続けた。

 他方、カトリック教会において北部諸侯の乱鎮圧に激怒したローマ教皇は1570年2月にエリザベス女王を「王位僭称者、悪魔の召使」と認定し破門した。 そして、1571年1月には教皇に忠実なフィレンツェのの銀行家ロベルト・ディ・リドルフィがイングランドへやって来てメアリーと接触した。 メアリーはリドルフィを仲介役にスペイン王やローマ教皇の援助を取り付けて、自分が王位に就くことを期待するようになり、ノーフォーク公にもその計画を伝えた。

 リドルフィは3月にもノーフォーク公の下を訪れ、スペイン王やローマ教皇に援助を求める手紙を書くよう迫ったが、ノーフォーク公はこれを拒否している。 だがリドルフィは自分で手紙を書いてスペイン大使館に提出し、「ノーフォーク公は署名をしなかったが、趣旨には賛同している」旨を報告した。 そしてリドルフィはメアリーとノーフォーク公の使者としてスペインへ向かった。 リドルフィの報告を受けたスペイン王フェリペ2世(前節参照)もイングランド侵攻に前向きになった。

 だが、リドルフィとスペインの動きはセシルやウォルシンガムらエリザベス近臣たちに逐一掴まれていた。 彼らは関係者に対して行った拷問や通報などからノーフォーク公の関与を確信する。 そして、1571年9月7日にノーフォーク公は逮捕され、厳しい取り調べを受けた。 その中でノーフォーク公は、自分はリドルフィの活動に関与していないことを主張し続ける。 そのうえでノーフォーク公は次のような上奏文を書いて女王の慈悲を乞うた。

 “私は我が身を振り返り、素晴らしき陛下の臣下としての義務をなんと大きく逸脱したことかと恥じ入っております。陛下の御慈悲を期待したり、望む立場にないと痛感しております。私は御慈悲に値しない人間であります。しかし陛下が慈愛にあふれ哀れみ深い方であられ、御即位以来、御繁栄がいや増す治世において、御慈悲をふんだんに下されてきたのを鑑み、後悔と悲しみに満ちる胸を抱えながらも、意を決して震える手で筆を持ち、つまらぬ我が身を低くし、服従を誓います。こうする以外に私の心が安らぐ道はありません。我が罪、我が不服従をお赦しくださいますよう。聖書にはこう書かれています。扉を叩け、されば開かれん。陛下の足元に膝まづき、我が身、我が子、我が持つ全てを投げ出しひれ伏し、陛下の高貴な御慈悲におすがりいたします。”

 しかし乍ら 1572年1月15日、ノーフォーク公はウェストミンスター宮殿星室庁裁判所にかけられ、「勅許を得ずにメアリーと結婚しようとした」「外国軍を招き入れて反乱を起こそうとした」「リドルフィの陰謀に加担し、大逆者たちにお金をばらまいた」とされて大逆罪で起訴された。

 

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森のなかえ

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