【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

今日(狂)の狂言 : 08月29日(木曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-08-29 05:10:28 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ 日本で銅が初めて採れたのを記念して、海の向こうの国のを真似た銅銭を鋳造(708年=「和同開珎」を発行)。でも、多くの日本人には使用方法が解らずお察し下さいな事に。 ◆ インドでぞんざいな扱いを受けたヴァスコ・ダ・ガマが、胡椒を手土産にポルトガルへの帰途につく(1498年)。 ◆ 帝都物語の出版元の創業者の息子が自ら野性の証明をする筈が、金田一耕助によって酒井法子並みだったことが判明(1993年)。

◎ ◎ 第1回 かつて父が登った山頂への道 / 野心家だった父(エドモンド)のコンプレックス ◎ ◎

- - -Webナショジオ Webナショジオ・インタビュー ピーター・ヒラリー / ンタビュー・文=高橋盛男/写真=澤圭太- - -

=エドモンド・ヒラリーが人類初のエベレスト登頂は1953年。それから60周年を迎え、その初登頂をテーマにしたドキュメンタリー映画『ビヨンド・ザ・エッジ』が公開された。ヒラリーの子息で自身も登山家のピーター・ヒラリーさんの来日を機に、父の思い出や、今日のヒマラヤの現状などについて尋ねた。=

――エドモンド・ヒラリーさんのお話を聞く前に、ピーター・ヒラリーさんご自身のことをうかがいます。ピーターさんも登山家であり、何度かエベレストに登頂していますね。

エベレストには、これまでに5回登頂しています。最初に登ったのは1990年です。

――2002年に、ナショナル ジオグラフィック協会がエベレスト初登頂50周年に向けて結成した遠征隊にも加わっていました。

 ええ、あれが2回目の登頂でした。エベレスト登頂に成功した初期の登山家の2世を中心に編成したチームです。  メンバーは1953年に初登頂を成功させたエドモンド・ヒラリーの息子である私、10年後の1963年に米国人として初登頂に成功したバリー・ビショップの息子のブレント・ビショップなど。  父とともに初登頂を成功させたシェルパのテンジン・ノルゲイの息子、ジャムリン・ノルゲイも参加しています。彼は、ベースキャンプで通信を担当しました。

――どのような経緯で参加することになったのですか?

友人で米国人の登山家、ピーター・エイサンズから声がかかったんです。初登頂50周年に向けて、ナショナル ジオグラフィック協会が遠征隊を送り、記録映像を撮るので来ないかと。願ってもない話です。ぜひ参加させてほしいと申し出ました。

――テンジンさんの息子、ジャムリンさんとは、それまで会ったことは?

 ありますよ。ノルゲイ家とは家族ぐるみのつきあいをしていましたから、彼のことは幼いころからよく知っていましたちょくちょく一緒に登山もしていたんですよ。キリマンジャロとかね。  テンジンが住んでいたインド西ベンガル州ダージリンの家にもよく行きました。彼の二人の息子とはずっと交流があります。

――50周年記念の登頂では、父のエドモンドさんが登ったときと同じサウス・コル・ルートをとったのですね。そのときの「ナショナル ジオグラフィック」の記事がここにあります。

ブルーストライプの日よけがついた帽子をかぶっているのが私です。この帽子が父のトレードマークだったので、それを着けて登ったのです。この写真は、標高8400mあたり。稜線は細く、両側が高さ300m~400mの崖です。ここを父とテンジンは登ったのかと思いました。

――かつて父親が登った道を、どのような気持ちでたどりましたか。

 感慨深いものがありました。  足下が400mの崖と聞くと恐怖心を覚えるでしょうが、落差が10mでも、人は落ちれば死にます。そういう理性が働くので、実際には恐怖心はそれほどでもないのです。しかし、ものすごく標高が高いので、低酸素状態で意識がもうろうとしていますから、「とにかく落ちないように、滑らないよう」とだけ考える。

 そんななかでも、父やテンジンのことが思い浮かんでくるんです。私は明らかにそのとき、父の存在を感じていたと思います。

――先ほど、最初のエベレスト登頂が1990年だということでしたが、エベレストに挑戦したのは、やはり父親の影響ですか。

答えは当然、イエスです。何せ、あのエドモンド・ヒラリーが父ですからね。  父はしょっちゅう遠征で家を留守にしていましたが、学校が休みになると、いろいろなところに連れて行ってくれました。 ヒマラヤ山脈やオーストラリアのアウトバック(内陸部の砂漠地帯)、それからアラスカにも。

子どものころから、そういう環境で育ちましたからね。父を見て、登山家を志したというより、ふだんの生活を通して徐々に登山家になっていったということのように思います。  父はエベレストばかりではなく、南極や北極にも行った冒険家ですから、そんな父親を傍で見ていて、私でもエベレストに登れるのでないかという思いに至ったわけです。

――では、その偉大な冒険家である父、エドモンド・ヒラリーの人となりを次にうかがいましょう。

・・・・・・・・明日 ( 第2回 教えられたのは自然とのつながりの大切さ ) に続く・・・・・ 

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