☆ ピアノの魔術師とまで渾名された毒キノコ・リストが誕生(1811年)。未だに産地をめぐってドイツとオーストリアとハンガリーで言い争っている。 ☆ ソ連がキューバにミサイルを持ち込んでいたと知るや、アメリカが第三次世界大戦の準備に入る。これ以降13日間にわたってJ・F・ケネディとフルシチョフが、発射ボタンに手をかけて睨み合う(1962年=キューバ危機)。 ☆ 野球の神様・イチロー降誕(1973年)への細やかなる反逆からか、この日が全世界各国共通の祝日「鉄人誕生日」に制定される(1987年)。
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2012年7月25日 / (Web編集部)
日本が戦争にいたる歴史的経緯をなぞる記事が続きました。掲載は1942年11月号で、同じくウィラード・プライス(実はスパイ/前節参照)の「満州で日本はロシアと対峙する(Japan Faces Russia in Manchuria)」です。タイトルは現在形ですが、大日本帝国陸軍の「関東軍」が暴走をはじめた1931年の満州事変までさかのぼり、満州国の建国、日中戦争、さらには39年のノモンハン事件でソ連に敗れて南太平洋に目を向けた流れをざっとおさらいしています。
ご存じのとおり、1941年12月の真珠湾攻撃で始まった日本とアメリカの戦争は、1945年8月に終わります。当初は勢いのあった日本でしたが、1942年6月のミッドウェー海戦を境に、『ナショナル ジオグラフィック』にアメリカ勝利の記事がたびたび載りはじめます。
米軍が勝利を重ねるにともない、日本に対する視線には、すでに勝ち誇ったような雰囲気がでてきました。余裕しゃくしゃくといった感じです。
日本人の精神構造の根っこを江戸時代にもとめた1944年4月号の「日本と太平洋(Japan and the Pacific)」は、そんなレポートの典型でしょう。著者は日米開戦時に駐日大使を務めたジョセフ・C・グルー。ウィラード・プライス(実はスパイ/前節参照)と比べると、トーンはだいぶ落ち着いています。
「日本には一般的に、政府に逆らってまで自分の権利を守る教育や伝統がない。政治体制が国民を食いものにし始めた頃、日本人は自らの権利のために立ち上がって『抵抗』したり、『自由』を主張する伝統をもっていなかった」
「その一方、日本は、独自の文化を築いているのだ。その文化は深遠で、美しいものだが、そこに根ざす精神性には残忍で盲従的な面もある。そのため日本の理想は、米国や、中国などの近隣諸国とは異なっている」
「米国の揺籃期、まだニューヨークが小さな貿易港で、ワシントンがポトマック川流域の草地に広がる村だった頃、日本の江戸(東京)はすでに整然とした大都市を形成していた。当時、フランスのナポレオンは、世界最大の都市を征服したいと願ったが、世界一の江戸を見ることはなかった。おそらく存在すら知らなかっただろう。江戸では巨大な独裁政権による絶対的で厳しい支配の下、優れた都市文化が確立されていた。この古く、大規模で、豊かな都市国家から、近代日本のパワーと残忍性が生まれたのである」
「日本の労働者といえば、ユニフォーム姿を思い出す。その背中に記された会社名は、彼等労働者たちが奴隷と変わらぬ状態にあり、管理された機械のような存在であることを象徴している。日本人労働者は、賃金について不満を言わない。戦前の賃金は、どうにか生活できる程度のものであり、それは今も同じだろう。万が一、組合があっても、彼らが声を上げることはないだろう」
「人命軽視」「良心の欠如」「致命的な弱点」と一方的に断じることなく、長所と短所を併記していますよね。日本が敵国ということを踏まえれば、まなざしは同情的とさえいえるかもしれません。
なかでも印象深いエピソードがこれ。
「開戦当時、まだ私たちが東京の米国大使館に拘禁されていた時に目にした光景は、日本人がもつ小ヒツジさながらの、周囲の動向に引きずられやすい性質を物語る一例だった…憲兵隊は通行人や商店の従業員など数百人を集め、米大使館前の広場でデモをさせた。一行は、私たちが軟禁されている大使館の柵の近くへ迫り、日本の国旗を振り、怒ったオオカミの群れのように叫んだりした。『打倒、米国!』、実に恐ろしい光景だった」
「このデモの真っ最中に、米国大使館員の1人が、暴徒たちを見下ろすバルコニーに立ち、ポケットからハンカチを取り出して、彼らに向かって陽気に振った。日本人は彼の予期せぬ行動に驚いた。彼らは口を開け、少しの間叫ぶのをやめた。大使館員がそのまま楽しげにハンカチを振り続けると、その後、驚いたことに、デモの一行は声を上げて笑い、ハンカチを取り出し、友好的な雰囲気でそれを振り返したのだった」
ほほ笑ましいというか、他愛ないというか……でも、わかる気がしませんか? 同じ日本人として。ドイツじゃまずありえないでしょう。
1945年になると、4月号にサイパン陥落とB-29による日本爆撃開始の記事が載りました。なんとB-29から撮影した皇居周辺の鮮明な写真もあります。一般誌にこんな写真が掲載されるんだから、もう勝負アリって感じです。8月号にはレイテ沖海戦で沈没した空母プリンストンの追悼記事も出る始末。これも余裕の表れですね。沈んだ空母の特集など日本では考えられませんでしたから。そしてほどなく、日米は終戦を迎えました。
・・・・・・・・明日に続く・・・・・ xxx削除xxxxx
次回は “ « ナショジオが伝えた原子力時代の幕開け» “ に続く・・・・・
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