サンデーたかひろ

絵描き・ながさわたかひろの制作実況 “from Machida, Tokyo”

「吉田照美のやる気MANMAN」番組終了に寄せて

2006年12月19日 | 吉田照美
昨日の「やる気MANMAN」放送開始直後、照美さんの口から番組終了の告知がありました。
3月いっぱいだって。ガーン!鈍器で殴られる衝撃ってこういうことだろう。
日曜の朝刊(日刊スポ)に小さい記事は載ってたんだけれど、ガセネタだろうと一笑してたさ。
なんたって20年続いた番組だし、つい先日放送回数通算5000回!を祝ったばっかりだもんね。
この番組が「僕の生活の一部」って人、多いんだよ。それ程ステキな番組なんだ。
中坊の頃から「ラジオは照美」が当たり前、月~金照美で土曜は夜更かし「鶴光のオールナイトニッポン」で決まり!だった。
「吉田照美のふッかいあな(21時~)」が終了したときの衝撃は忘れられない。夜中、馬鹿みたいに泣いてしまった。
だって中坊にとって、放送時間が夜から昼(今のやるMAN)に移ったら「=照美とのお別れ」ってことだったから。
ウチの田舎じゃ昼間は文化放送が受信できなかったしね。
それでも休日には照美会いたさから屋根に上り、ノイズまみれの微かに聞こえる声を拾おうとしてたのを思い出す。
「東京は遥か遠くになかりけり」で、その頃からはっきりと東京を意識するようになった。
ご多分に漏れることなく、寺山修司の「家出のすすめ」を繰り返し読んでいたし、時代が時代なら間違いなく「天井桟敷」入りだった。これは間違いない。

話を元に戻しますけど…昨日の放送ね、嘘っぱちとは思いつつもちょっとばかり怖かったので、仕事は全て取り止めてラジオの前に待機してたの。番組前、寺ちゃん(前時間担当)のフリもなく一安心と思っていた矢先、照美さんの第一声がくぐもってたのでガックリ、うな垂れてしまいました。相方の小俣女史も涙声だし、「こりゃ決定事項なんだなぁ」って理解した。

現在制作中の「照美」はね、前にも言ったように春先に合わせてゆっくり製版してたの。
だけど、こうなったらそうそう悠長なことも言ってられないよね。
もう少し描き込みたかったけれど、もう終わりにする。
早く刷り上げて、照美さんに渡さなきゃ!だよ。
で、今度は3月までに小俣女史を描くんだ。早く動き出さないと「やるMAN」が終わっちゃうから!ね。

明日は新しい勝負服(紙)を仕入れに行かなきゃいけないね。
そこにあるのは、何だ?
それは、愛だよ。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 野村セオリー絆刊行記念サイ... | トップ | 照美に褒められたくて »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
俺に言わせろ ()
2006-12-20 18:53:59
なんだ、マイクサイド・ボクシング
水曜日の楽しみなくなっちゃうなぁ、残念。

でも終わる前に逢えて良かったね。
返信する
Unknown (永澤)
2006-12-20 23:20:47
おっ、聞いてるね!
ホント、寂しくて寂しくて堪らんですよ。

でもね、こっちは会えただけじゃダメですからねぇ。
これからが正念場でございやす。
全ては僕の腕次第…
返信する

コメントを投稿

吉田照美」カテゴリの最新記事