介護福祉は現場から 2007.02.22-2011.01.25

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第3129号 癒される風景に出会ったのだが・・・

2009-08-17 11:15:45 | 鹿児島
写真は、奄美大島の夕陽。徒然なる奄美 の8月14日付け記事からお借りしました。

「いい写真はないかなぁ」とブックマークしたブログを探すときは、奄美の自然か安曇野の風景が多いですね。

都市景観の美しいものにはあまり出会いませんね。

【岩清水日記】
今朝、岩清水日記 (2009.08.16)で、『風景からの町づくり』(中村良夫、2008)を知りました。
岩清水さんは、京都や岡山という私からすれば都市景観の美しいところで日常を送っておられる。
「地域」「景観」「社会福祉」という概念がおなじ土俵で語られそうなことに関心を持ちます。

【風景論のなかから】
オーギュスタン・ベルクの風景論を思い出します。
フランスの風景学者ですが、農業の面から、北海道とデンマークの類似点を分析していました。
北海道の畑をみて「美しい」と感じたことにはそれなりの原理があった・・といったことが書いてあり、納得したことがあります。
(私自身、北海道の田舎に5年間住んだことがあります)

もうひとつ忘れられないのは、三浦 展 の問題提起です。
都市近郊の風景の劣化を「ファーストフード化する街」という視点で分析しています。

【戦災と復興】
鹿児島は三度大きな戦災にあっています。
薩英戦争、西南戦争そして太平洋戦争。

たしかに、金沢のような戦争の傷跡(きずあと!)のない街と比較すれば鹿児島における戦争の影響は否定できません。

ですが、いつも思うのは、
ヨーロッパでも歴史上戦争を繰り返してきて、
第二次大戦では、私が3年間住んでいたボンとか隣のケルンとかは壊滅的に破壊されていますが
昔の姿にできるだけ忠実に再現復興されています。

【知識と実践】
これまでも
日本から、政治家、建築家、経済人、
それに多数の一般市民がヨーロッパの町並みを訪問し、その町並みの美しさに感嘆しています。
膨大な数の本や画像もそれを伝えています。

○ 知識はあるのだが、実際に自分には応用できない。新しくなるが醜悪である。

○ お金もあるのだが、しばしば古きよきものも壊してしまう。

○ 自分の住んでいる地域の歴史に対する尊敬と自信がないのでは?

○ エリート階層にとくにはなはだしい。メディアなども。
 
○ 大事な約束を「マニフェスト」といえば高級と錯覚する政治家。
  人々が集まるお祭りを「・・フェスタ」という無国籍な呼び方(イタリア語か)でいえば上等と思う企画者

【足元をみつめる生活】
街の風景をお金をかけてきれいにすれば地域が再生するのではなく・・
地域がその自然と歴史に自信を持ち、地域連帯を強めている街は、結果として美しい外観をもつことになるのでは?

「地方分権」と叫ばれていますが、東京から逐一指示のあるような社会福祉では、住む町の連帯も強まらず、
その結果「己を信ずる」ような町の美しさ(たたずまい)は出てこないのでは?

話が脱線したようです。
でも、政治家が「よろしく!」「最後のお願い!」と連呼するような選挙はヨーロッパではないのでは?
「よろしく」は政治を任そうとする選挙民のせりふでは?
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4 コメント

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自然と文化 ないしは風土 (岩清水)
2009-08-17 21:38:13
読ませていただきました。
いろいろ勉強になります。
ありがとうございます。

北海道の風景論は興味があります。
北海道の開拓には米国の技術を導入しようとしました。映画「北の零年」や札幌農学校の歴史をみれば明らかです。
しかし、ベルくは結局は稲作の北限を引き上げることを日本人は選んだと書いています。

風景は客体としてあるのではなく、やはり、
風土としてあるのだということでしょうか。

私は、界隈性という言葉にずっと魅かれていました。
外に開かれた人々の暮らし。
例えば、原宿の同潤会アパートの写真を表紙にしている(NHKテキスト)は、その跡地に
立った「内に向いた建物」のことを一切触れていません。
無視しているのです。

多くの福祉施設は内向きです。
それは快適な室内です。
逆に外に開かれた施設は本当に少ないように思います。
これがとても不満です。

山口の土石流に押しつぶされた施設を見たときに
どうして、私たちは自然とうまく付き合うことができないのか。
そのような知恵を失ったのかと思いました。

風景について、再びきちんと考えていきたいと思います。
興味の幅が広がるばかりで取りとめもないのですが、これが私の風土なのでしょうね。
外に開かれた空間 (bonn1979)
2009-08-18 09:48:05
岩清水さん

コメントありがとうございます。

どうも思考のヒントをいただいて
すぐ考えをめぐらせるのですが
どうしても思考の蓄積が乏しく
飛躍があります。

「外へ開かれた空間」
という概念は素晴らしいですね。

鹿児島で言えば
ガヤコーヒーとか
おでんや「那津」とか
ミルクショップますみとか
ベルギービール「麦酒本舗」とか
・・あれれみんな「お店」関係ですね。

これらの店の開放性は
物理的というよりは
店をきりもりしている人たちの
心が外に開かれている
ということに気がつきます。

中世以来の人間関係を感ずるような
閉鎖社会では
これらの店で出会う人々に
ことのほかに
つながりを感ずるようです。
残暑お見舞い申し上げます (Qです)
2009-08-20 18:12:12
鹿児島の風景はまとまりが無いと感じます。
日本の多くの都市や町がそうであるように。
(海外の方の中には、現代の雑多な街の風景に日本の魅力を感じるひともいるようですが。)

「中央駅」になってしまった前身の「西鹿児島駅」は、その周辺の整備される前の電車通りや空間に、故郷の懐かしさを思い出します。

ヨーロッパのセントラルステーション(「中央駅」)はどこも趣があって、街の風景とも一体となりながら存在感があった気がします。

イギリスに滞在中、クリストファー・レンやマッキントッシュが設計したという小さな教会を、ロンドンやグラスゴーまで見に行きました。
その土地に馴染む造りは好感の良い印象を残しますね。

岩清水日記さんの「界隈性」という言葉を興味深く読みました。
京都はそれがもっともある地域なのかな、と私も数多くはないですが、大阪で仕事をしていた頃時間があれば足を運んだけれど、まだまだ行き足りないと感じていることから思いました。

今勤めているGH、10年経ってもなかなか「地域に開かれた」場所になりません。
先日も6回目の納涼祭で、無料のかき氷や抽選会の特賞のゲーム機やステージショーを目当てに300人超の近隣住民の皆さんが訪れました。
でも年一回の賑わいです。
職員は業務の傍ら準備に追われるので、止めよう、という意見が毎年出ます。
(利用者さんが楽しめる規模に落ち着かせたい
。特に交流が促進されるものでもないし。)

‘地域保健福祉の研究助成’に申請していた〈GHにおける地域交流を核とした園芸ケア〉の提案が通りました。

外に開かれた施設になるには時間がかかることでしょうが、きっかけになればいいのかな、と記事やコメントを読みながら思いました。

できれば、でなく必然として、施設の中の人々が内向きから変わっていくことに気づいてもらえるといいのですが。

感想、回想、報告ととりとめなく書かせていただきました。
研究活動へのご教示、またよろしくおねがいします。

研究費よかったですね (bonn1979)
2009-08-20 20:41:07
Qさん
コメントありがとうございます。

研究費の件
よかったですね。

鹿児島の悪口だいぶ書いてしまいましたが・・

日本にも
富山県の八尾(風の盆)
石川県加賀市(芭蕉が泊まっている)
北海道の美唄の彫刻公園(小学校の木造校舎を活用)など
大隅でも
串良の唐人原でしたか雰囲気がよかったです。
景観と暮らしと歴史が溶け込んでいるような雰囲気が心地よいわけですね。

香港に昔行ったとき
その街の猥雑さに驚き
またそれが日本と共通する色彩感覚のようなものを感じました。たしかにそのような街に親しみをもつ欧米人もいますね。

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