介護福祉は現場から 2007.02.22-2011.01.25

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2 兼六園の四季

2008-04-28 10:13:20 | 鹿児島
兼六園
は、日本3名園の一つ。加賀前田藩の歴代藩主が手をかけてきた。

石川県金沢市へは
富山市に住んでいたから、例えば、小学校の遠足に兼六園へいっている。
若い時、出向という形で、3年余り、石川県庁に勤務した。
*公害環境部環境保全課長、企画開発部計画課長(長期計画や新規プロジェクト)、商工労働部観光物産課長(観光のほか、伝統産業の振興)など。

この時は、兼六園はまだ「有料化」されておらず、毎朝、県の官舎から、兼六園を経由して県庁へ通った。雪の朝、兼六園の「雪吊り」の前で雪を握っている長靴姿の私の写真が残っている。

観光客が多いため公園がいたむのを防ぐということで、当時の中西陽一知事(故人)がかねて心配していて、(兼六園は石川県の直営施設)、調査・世論喚起の時間を経て有料化された。市民の散歩コースを無くすな、というレベルの反対論も強く、これが、有料化の後でも、早朝や、桜・菖蒲・月見・正月などの期間の無料開放につながった。

兼六園の魅力は、四季折々の変化や整備された庭だけではなく、周辺の環境とマッチした広大な公共空間にある。美術館、金沢城址、博物館、能楽堂などが近隣にある。金沢城址のなかにあった金沢大学の郊外への移転、県庁の海岸沿いへの移転が兼六園の周辺の緑と文化の空間を拡大した。

同じ江戸期の雄藩であった島津藩はどうか?
薩英戦争、西南戦争、太平洋戦争と市内を破壊されつくした鹿児島と
太平洋戦争でさえ空襲にあわなかった金沢とを比べるのは酷ではあるが、
今の鹿児島の都市の緑、公共空間の無秩序と兼六園を核とした金沢の中心部を比べると住民としての快適度に大きな差があります。

60歳をこえて、金沢で長い歴史を持つ学校法人が、郊外に福祉系の大学を創設するというので勧誘を受けた。故郷の富山の近くということもあり、人生の終末期は北陸で送れるのか、とも期待したのでした。

兼六園

から写真を借りました。
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