今日もはれたり♪くもったりⅡ 

熟年再婚14年目にして、人生変えたはずが。
恥ずかしながら、出戻りました。

安産のお守り

2018-03-12 22:43:03 | 娘ファミリーと私。

  
 成田山新勝寺に古いお札を納めにいってきました。


 そして目的はこちら











  

 自分の産んだ子には責任がありました、

 頑張って育てたつもりです。

 孫には責任なし、ただただ!可愛い可愛い!

 今度生まれるひ孫にはもっと責任なし、

ただいま7ヶ月!!・・・・

 さてどうなりますか?



                  bonji

震災から7年目

2018-03-10 00:02:22 | 悲しい事

  今日3月11日はあの大きな震災から7年目、

  私は弟を亡くしてこの6月でやはり7年を迎えます、

  この震災の日は、弟の命日のような気がします。

  腸閉塞で小腸を全摘出手術したのがあの年の2月10日、
  
  術後、「半年はもたないと思います」告知され、

  その日から一切の固形物はおろか

  一滴の水を飲む事さえ許されない日々が続きました、

  命を区切られた事を知らない彼が

  辛い治療に耐えて回復すると信じていたのもあの頃でした、

  

   術後一ヶ月、病院であの大きな地震を経験したのです、

   翌日心配をして病室に向かうと、

   元気な彼は私や周りを心配して、

   看護師さんたちがあの大きな揺れに大騒ぎ、

   「大丈夫だよ、この病院は新しいから崩れたりしないよ」

   そう言って落ち着かせたと、偉そうに話していました。

   もしかしたら、回復するかもしれない、

   奇跡が起こるかもしれない、いい薬に出会うかもしれない、

   そう錯覚するほど一番元気な頃でした、

   そこから一片の氷をなめる事が許され、

   もちろん食べる事は許されず、

   飴をなめる事が許された頃は少しずつ弱り始めてきました。、


   私はこの震災の日の弟の顔を毎年思い出す日です。


   亡くなる3日程前から先生の計らいで、

   少し味の付いたコンソメスープや麦茶を口にし、

   そして静かに亡くなって行きました。

   震災のこの日が弟の命日のような気がして、
  
   震災で亡くなった方と弟に手をあわせる日になりました。

   6月16日また7年目の弟の命日がまた来ます。

   夢にも出てこない非情な弟・・・

   逢いたいなぁ!。


     
           

   


            bonji





   

  

思い出のアルバム

2018-03-06 22:55:32 | 思い出


   
   

  自分で言うのもなんですが、可愛いじゃありませんか!
  
  tonaさんのところにお邪魔しましたら、

  懐かしい大倉山の梅園の事が・・・・・

  写真が趣味だった父が撮影会で

  私達姉妹と弟を写した60年近く前の写真を思い出し、

  荷物の中からアルバムを出してみました、

  残念ながら大倉山公園は姉の所にあったようで見つからず、

  その代わり懐かしい写真を久しぶり眺めてみました。


  

   ピンクの胸にスモックの刺繍のワンピース。



             

    
  私が10歳くらいで、母が31歳?

    

    
       
   

    お洒落だった母は

    いつも私達姉妹に可愛い洋服を着せてくれていました。

    ここは確か多摩川、今は亡き弟です。

    
         

     黒のベルベットのスカート覚えています。

    


  

   鎌倉の美術館前の階段にて。

   面影ありますか?

         
                 bonji