「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

がらが悪い

2006年08月29日 | ああ!日本語
 “がら”は、柄としか考えられません。「柄が悪い」といえば、女性ならまず着るものをはじめとする持ち物の模様を思い浮かべるかもしれませんが、勿論、これは、「人柄」に関していうトゲのある言葉の場合です。

 初対面の人でも、その人の体格や、物言い、しぐさ、身にまとっているものなどが醸しだす全体像から、「人柄」を察します。
 柄のつく単語を思いつくままに並べてみると、この人柄の他にも、家柄、身柄、事柄、役柄、作柄、お日柄、続き柄、間柄、時節柄などと、いくつも出てきます。
 これらもその物事の全体像、全体的な性格を表すようです。

 この中で、「柄」が独立して、悪いほうだけに限定された「柄が悪い」は、肩で風切って歩く、目付きの鋭い、そばに来てほしくない怖い人を指します。
 それほど極端でなくても、日常生活の中で下品な行動を取る人を指していう事もあります。

 がらが悪いのは、人だけではなく、国家においても当然存在するわけで、昨年末以来、持て囃された藤原正彦先生の“国家の品格”は、欧米流の野卑な「論理と合理」に変わって、「情緒と形」に依る「孤高の日本」を取り戻せという、まさに「国柄」を形成する行動基準をわかりやすく述べたものでした。
 数学者の提唱する、美的感覚、美しい情緒や形の尊重が、国家の品格、国柄を高めるという主張は、嬉しいもので、ベストセラーを続けたのも頷けます。



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