大相撲初場所も,代わり映えもなく朝青龍の優勝20回目で千秋楽となりました。贔屓の豊真将は勝ち越しならず、魁皇は辛うじて勝ち越しました。ひとり琴奨菊が新三役昇進が期待できる成績でした。
この「千秋楽」という言葉は、もともとは奈良時代に伝わった雅楽の曲目の一つで、仏教の法会最終日に必ずこの曲を奏したことから出たとされています。
これが、芸能や相撲の世界に広がり、興行期日の最終日を意味するようになったもののようです。縮めて「楽日」とも使われています。
サービスのつもりでしょうが、現在大相撲では毎日弓取り式がおこなわれ、「この一番にて本日の千秋楽・・・・」と行事が告げています。もともとは、「これより三役」の最初の勝者が矢を、次の勝者が弓弦を受け、結びの勝者が弓を「役相撲に適う」という勝ち名乗りで最終日に受けたもののようです。
最も保守的な能楽では、能組み(能のプログラム)の最後は、必ず祝言を添えるという約束は今も踏襲されています。
祝言という語は、一般的には婚礼を意味しています。それも、婚礼の席で「高砂」などの祝言の謡が謡われることからのようです。松の精の高砂の尉と姥にあやかるようにとの祝福です。能では「四海波静かに」治まる御代を繰り返し祝福します。
千秋は、いうまでもなく千年、千歳の意味です。「千秋楽」「万歳楽」から、やがて千秋万歳(せんずまんざい)といった職業的な芸人が生れています。
祝言をもって締めくくる、これは、民間の文芸では「めでたし、めでたし」で終わり、「治まる御代こそめでたけれ」という納めの文言となります。
日本の文芸の背景には、どうやら祝福というテーマが存在していたようです。こうした祝福を素朴に受け継ぐことができる世の中でありたいと願うものです。
ようこそ、お越しくださいました。中途半端な説明をお喜びくださって恐縮です。
こちらこそ、安丹神楽に、千秋万歳楽の原型の姿を拝見して、嬉しくなりました。
素朴な形で、今に伝えられる千安 丹波 千安の安丹神楽、大切なものとして、伝承されてゆかれますようお願いします。
万歳は、祝福の意味で、長寿を寿ぎ、併せて”ばんざい”の読み方に示されるように歓喜の意味も持っています。
その意味でも豊穣の稔を願う農民文化を感じます。
いいものを見せていただきました。
千秋楽の解説、有難うございます。
拙ブログで紹介させていただきます。
BMよろしくお願いいたします。
来年は、モンゴル場所が設定されるのではないかと、我が家の相撲好きがのたまいました。
千秋の思いで、日本人のための日本人による品格ある横綱土俵入りを見たいと焦がれています。
そのうち、役力士は、全部海の向うからになっては、どこの”国技”か、その名が泣きますので。楽ならぬ苦言を呈します。
で、川魚が好物という(?)前日まで7勝7敗の誰かさんは、この日を千秋の思いで迎えたことでしょうが、辛うじて勝ち越して「これぞ千秋“楽”」だと言ったとか岩魚買ったとか……。いや、岩魚食わなかったでしょう。