「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

葵祭のこと

2005年05月14日 | みやびの世界
 明日は葵祭。私は雨にたたられて、まだ葵祭に縁が無いのを残念に思っています。
 現在は5月15日が葵祭と固定されています。雨が降れば順延となります。
 京都の三大祭のうち、コンチキチンの祇園祭が、山鉾巡行が華やかなため一番賑いますが、平安朝以来、[花]とだけ言えば桜をさしたように、[祭り]とだけいえば賀茂の葵祭のことでした。応仁の乱で200年の中断があったとはいえ、1400年続く、かっては国家的な行事になっていた祭りです。
 テレビで見る限り、京都御所建礼門から下鴨神社まで、平安文学に登場するままが忠実に再現されているようです。

 御簾をはじめ、牛車、お供に付く人々の衣冠などすべてに葵の葉を飾るところから葵祭と呼ばれたようです。
 特に源氏物語の葵の巻に描かれる女の執念の戦いの車争いは、いまは寵の衰えた六条御息所と、ときめく葵上の従者との祭り見物の駐車をめぐっての争いです。破れ車をはずかしめられた御息所の怨念が生霊となって、出産の葵の上を苦しめ、取り殺す展開は、能でもしばしば演じられます。
 徒然草も137段、138段と祭見物を取り上げ、「片田舎の人」の代表の私の祭見物の様を、兼好はまるで見ていたかのように鋭く描いています。
 138段は、祭の後の御簾にかかる枯葉の話です。周防内侍の「かくれどもかひなき物はもろともに御簾の葵の枯葉なりけり」 をあげ、思う人が離れていって共に見ることができない失恋の嘆きや、「来しかた恋しきもの、枯れたる葵」(枕草子)を引用して、「後の葵」の枯れるまでの愛惜を述べていますが、現代に生きる枯葉の年代の私は、この趣味はすぐには肯定できかねます。が、ことほどさように、レジャーの少なかった昔人は、この祭に執着したということでしょう。今年も縁がありませんでした。





     祭りのヒロイン斎宮代

 祭りの行列

 映像は京都フォトギャラリーより

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5 コメント

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葵祭 ()
2005-05-14 13:32:30
私も一度は見てみたい祭りの一つです

子どもの頃はなんか嬉しくて訳も分からずただはしゃぎ回っていましたが

いつの頃から祭りがとても悲しくて苦しくてその場所にいられなくなってしまいました

折り返しの年齢を過ぎたあたりからだんだん図太くなったと見えその感情に囚われることが少なくなってきました

良いんだか悪いんだか・・・です
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記憶の中に痕跡 (bon!)
2005-05-14 17:28:53
祭りの賑わいの中で悲しみの情感を持った若い日の記憶がまだかすかに残っています。

 今は、その熱気が耐えがたくなってきています。その時々の流れに任せることにして楽しんでいます。

 見てしまったものが多いのより、見てみたかったものを多く持っているほうが、人生ふくよかだと自分を慰めています。
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気持ちは常に若く (Unknown)
2005-05-14 22:21:03
いえいえまだまだ”枯葉年代”なんてことは御座いませんぞ!

人には個人差というものが御座います。

千年も万年もは生きられませんが30万分の1の確立でこの世に生を受けたからには、、、、!
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心も体も (bon!)
2005-05-15 05:30:04
個人差でぬれ落ち葉とならないように精一杯活性化につとめるとしましょう。

 5月も半ば、木々の緑が活力をそそいでくれますね。今朝も、小鳥たちのさえずりが賑やかです。
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葵祭りと神幸祭 (R.H)
2005-05-16 10:13:00
枯葉も若葉もお祭じゃァー! 葵祭りといえば京都の初夏を盛り上げますが、神幸祭は各地にあります。今日の話題は福岡県田川市の(遠賀川)川渡り神幸祭のことです。葵祭りは好天に恵まれ12万人を超える人出でした。その人ごみの中を500人からの行列が京都御所を出発、1Km余の道のりを下鴨神社を経て上賀茂神社に向かいました。日曜日は22年ぶりというメーンイベントでした……。

一方、田川では最終日の15日、神輿や山笠が「お旅所」から風治八幡神社に戻る「お上り」が行われました。昨年は大雨のため数十年ぶりに川を渡れなかったので、楽しみにしていた見物客も祭関係者も、「昨年の借りは返せた」と喜んでいました……。 と見てきたようなことを言い。

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