戌年の今年、年賀状に青い犬を描きました。馬なら「あお」は聞くのだけれど、青い犬とは何か意味が?というお尋ねが二、三ありました。
中国では青はおめでたい春を意味する色だからという、単純極まりない私の好みの色を択んだだけのことでした。
以下は、お尋ねをうけてのいわばこじつけです。
古くから明治初年まで続いたとされる、宮中行事の1月7日の「青馬の節会」は、年の初めに青馬を見ると一年の邪気を除くとされ、大伴家持も「水鳥の鴨の羽色」(4494)と詠んでいますから、古くは辞書のいうように青馬は青みを帯びた黒だったと思います。いわゆる「あおこま」でしょう。
日本人好みの白い馬が用いられるようになっても、「白馬節会」と表記して「あおうまのせちえ」と読んでいます。別に「黒を白という」のではありませんし、黒白をつける気など毛頭ありませんが。
ところで、日本固有の色の基本は、赤、黒、白、そして青の四つとされています。形容詞に転じることのできるのもこの四色です。これは現代語でも同様で、赤い夕日、黒い墨、白い雲、青い空、とはいえますが、緑い草はありません。他の色をいうときには、色という語を足しています。
そして、厄介なことに、青という色の持つ古くからの融通無碍の幅の広さです。今でも、芝生の形容に「あおあお」という表現が使われます。どうやら、赤、黒、白以外の色を漠然と呼ぶのに使われた節さえあります。
海外で暮らしていた折、信号の色を「青」といって、「緑」だと訂正された思い出があります。山藍で染めた色は濃い緑だったはずで、例の「青は藍より出でて藍より青し」の発酵させた藍染の青とは違っていたと思います。
あの清少納言さんが好んだ「蔵人の青」の袍は、本当はどんな色だったのでしょう。
中国では青はおめでたい春を意味する色だからという、単純極まりない私の好みの色を択んだだけのことでした。
以下は、お尋ねをうけてのいわばこじつけです。
古くから明治初年まで続いたとされる、宮中行事の1月7日の「青馬の節会」は、年の初めに青馬を見ると一年の邪気を除くとされ、大伴家持も「水鳥の鴨の羽色」(4494)と詠んでいますから、古くは辞書のいうように青馬は青みを帯びた黒だったと思います。いわゆる「あおこま」でしょう。
日本人好みの白い馬が用いられるようになっても、「白馬節会」と表記して「あおうまのせちえ」と読んでいます。別に「黒を白という」のではありませんし、黒白をつける気など毛頭ありませんが。
ところで、日本固有の色の基本は、赤、黒、白、そして青の四つとされています。形容詞に転じることのできるのもこの四色です。これは現代語でも同様で、赤い夕日、黒い墨、白い雲、青い空、とはいえますが、緑い草はありません。他の色をいうときには、色という語を足しています。
そして、厄介なことに、青という色の持つ古くからの融通無碍の幅の広さです。今でも、芝生の形容に「あおあお」という表現が使われます。どうやら、赤、黒、白以外の色を漠然と呼ぶのに使われた節さえあります。
海外で暮らしていた折、信号の色を「青」といって、「緑」だと訂正された思い出があります。山藍で染めた色は濃い緑だったはずで、例の「青は藍より出でて藍より青し」の発酵させた藍染の青とは違っていたと思います。
あの清少納言さんが好んだ「蔵人の青」の袍は、本当はどんな色だったのでしょう。
青春のいろ、青。明るく清らな予感がします。
今年はそんな年になりますように。 ちょっと出過ぎの蛙はみどりです
東が青で表されますね。さしずめ東方の人、ラグタイムさんも天を望む青龍。
今年も更なる飛躍の予感がします。
このお言葉に茶々を入れる当方”白身の魚より青い魚が大脳の進歩には良いとの学説があるようですよ、お孫さんには秋刀魚・鯖・鰯を勧められた方が・・・と。
彼女は色をなして”青白い顔”にはならなかったけど、
さぞかし、この”青二才”と思ったでしょうね。
anyway、難しいですね、色の道を究めるのは。
人それぞれ、コレステロールのためにもお勧めします。
いつまでも青い発想を大切にしたいものです。