現実妄想ごっこ

ぼくが過ごす日々の
現実の妄想や妄想の現実を綴ります。

吐露

2013-06-05 03:54:01 | Weblog
感情のないロボットなんかじゃない。私は不安も痛みも感じてきたんだよ。僕の中に詰まってるのはティッシュなんかじゃないよ。みんなとおんなじ血肉でできてるよ。本当だよ。私はどこにも存在してないみたいに扱われるのが悲しくて悲しくて仕方なかった。でも私が出来ない子だから、ばかだから、のろまだから、仕方のないことなの。わかってるの。ひとりでは何もできない。人の言葉を借りないと会話も成り立たない。私の言葉だって、本当はたくさんあるのに。誰も聞いてはくれない。僕が言わないんだもん、気付いてもらえなくて当たり前だよね。おいつかないの。会話の速度に自分の言葉の処理が追いつかない。たくさん溢れてきて、どれを出そうかなって迷っているうちにタイムオーバー。私の変わりの誰かさんの言葉が僕の言葉にすり替わる。僕の言葉はなかったことになる。私の気持ちは本当はこんなにたくさん、ここにあるのに、私がばかでのろまなせいで、外に出してあげられない。誰にもわかってもらえない。本当はいろんな人のたくさんの言葉と一緒にいられるはずなのに、私のせいで私の言葉も気持ちも私の中でひとりぼっち。どこにもいけない。私は居ないの。どこにも。私は私の中にしか居ない。それって、誰の中にも私が居ないってこと。居たとしたって、それは借り物の私で、本当の私じゃない。本当の私が、居るのよ。ここに、居るのよ。本当の気持ちも、言葉も、ちゃんと在るのに、どこにも無い。さみしい。全部自分のせいなの。ごめんね、ごめんね、こんな私でこめんね。切るのも本当は痛いよね。殴るのも本当は痛いよね。知ってるのに止めてあげられなくてごめんね。やめられなくてごめんね。希望を持ちたいとか、生きたいとか、そんな気持ちがあって切ってるんじゃない。自分が自分を追い詰める。自分に傷をつけながらじゃないと生きられないみたい。「生きていばいいことがあるかも知れないよ」なんて言われたって、あるかもしれないってことはないかもしれないってことで。ポジティブなんて持ってないネガティブな人間だから「ない、ない」ばかりしか見えないよ。自傷をするのは、内面の苦しみを表面化したかった、ていうのはあるかもしれないね。ファッションリスカやかまってちゃんリスカを馬鹿にしながら、僕も誰かに気付いてほしかったのかな。いや、まず自分に気付いてほしかったんだろうな。「私の痛みは傷として具現化したらこれっぽっちですよ」って確認して、うん、大丈夫って思っていたところがある気がする。生きるために切ったことは一度もない。「生きなきゃ」というより「生活しなきゃ」「いい子でいなきゃ」「うまくやらなきゃ」。逃げ方なんて知らなくて、カミソリで手を切る時だけは非日常の中に行けた。一瞬ずつの救いを何度も何度も繰り返していたんだね。確かに「救い」を求めている部分は大きい。傷が残ることがイヤになることもなるけれど、それ以上に、価値のある行為になってしまってる。自傷は苦しみから逃げるためにすることがほとんどだけれど、自殺はちょっと別の話だよね。リスカ=自殺未遂ではない。先に崩れるのは心だろうか、身体だろうか。僕はどっちもぼろぼろだよ。もうどこまで人間でいられているのか、自分でも危うい。「難しいことを考えずに、普通生きていけばいいんだよ」と言うけれど、普通に生きるってどういうことだろう。私が考えていることのどこからが難しいこと?選択肢が多すぎる。何でも許されてしまう。でもそれが重い。誰も律さないなら、自分で律するしかない。でもそのバランスをとるのが下手なのかも。「普通に生きている人達」はどんなことを考えて生きているの?「生きていればいいことがあるよ」なんてそんな無責任な言葉を放りだされても受け取れないよ。生きていくことに希望なんてない。「こうあるべき」っていうのはあっても、希望はどこにも見出せない。希望っていうのは可能性のことじゃなくて、自分自身が未来ってところに見出せる何かだと思う。それがない。考える。不安になる。苦しい。絵を描く詩を書く。走る。それでも尽きなくて、腕を切る。自傷は自分を向き合うキッカケになったりもするけれど、でも生きていることを確認できてしまうから、死にたくなる。でも、何も出来ない、臆病者なの。息が詰まるの。呼吸器のどこかが塞がったみたいに。手首を切ると傷口から息ができるような気がするの。僕の感性は、生きるのには少し強すぎるんじゃないかと思う。もっと、鈍感でいられたら、生きやすかったの?そんなのもう遅い。死ねってことね。がんばってきたけど、がんばれてない。期待されるのが怖い。不出来な私は何も応えられない。失望させてしまう。見捨てられちゃう。きらいにならないで。不安ばかり。安心なんて死にしかない。影響しあって、どんどん深くなっていく。「消えたい」「居なくなりたい」と思う日もあれば、「死にたい」「死のう」と思う日もある。後者に支配される日が積み重なって、もう、もう。自分のことを認証してほしくて、でも自信も、見せられるものもなくて、なんの価値もない自分に絶望する。「過剰に悩んでしまう人たちは、受容の言葉をかけてもらってない。欲しかったレスポンスをもらったことがない。だから自身がつかない」らしい。「多様化」「正解をつくらない」社会がだから、「誰かにとってのいい子」になりたい僕達は自分の答えで「よし」とできないでいる。期待はもうかけてもらえてないと思う。今まで何も応えられなかったから。でも、だから、せめて、いい子でいなきゃって思うんだ。見捨てられ感、疎外感、劣等感、こんな私、私なんて。息苦しい、生き苦しい日常の中から一瞬でも抜け出したい。だから切るんだろうな。切っても、切っても、終りはないね。血をぬぐって、眠って、また朝になったら切ってしまう。でもこんなことでしか、こんなことをしてでも、一瞬でいいから、抜け出したい日常があるんだよ。苦しいね。これからもずっと続いていくのかな。こんなこと、ずっと続けていくのかな。そんなのいや。抜け出したい。はやく、はやく。ここはこわい。

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3 コメント

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Unknown (おたっぴー)
2013-06-07 23:24:59
田んぼの苗ものびたでね。
笹団子、うんめよ。
佐々のはかおる。
Re:おたっぴーさん (でんちゅう)
2013-06-08 02:30:56
この季節の、田んぼの若い緑と水に反射する朝焼け、
僕がこの世で一番好きな景色です。
笹団子も、大好き。
今月のどこかの土日、帰ってみようかな・・・。

「佐々」と使うあたりに意図がありそうで怖いです(笑)
Unknown (おたっぴー)
2013-06-08 08:13:49
まってるでねぇ~

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